バングラデシュ編 閲覧注意
バングラデシュ・ダッカ郊外の道沿いに路上生活者がテントを張って住んでいる場所がある。
以前からそこが気になっていたのだが、何度かその道を行き来しているうちにやはり好奇心を抑えることができず、ふらふらとそのテントハウスに入っていった。
数十人が暮らすその絶対貧困者のテントハウスの人々と話すうちに打ち解けたが、そこでスラムの人々は奇妙な男を私に紹介してくれた。
人々から呼ばれて出てきた男は、右頬から溶解するように皮膚が垂れ下がり、喉から右腕までその溶解が続いていた。
右腕は少し身体の前に出すようにして胴体と「接着」され、曲げたまま伸ばすことができないようだった。
熱湯を浴びせても人間の皮膚はこのような極端な溶解はしない。火災に巻き込まれたにしては溶解した皮膚の範囲が限定されている。
手に入れようと思えばいくらでも手に入る
垂れ下がった皮膚を私に見せながら静かに立つ男を前にして、私は心の中で「これもアシッド(硫酸)か……」と考えていた。
バングラデシュでは、アシッド・アタックが流行しており、その後も私は何度も現地でアシッド・アタックされた人たちを見ることになる。
硫酸や硝酸といった液体は、日本では「劇物」に指定されており、取り扱いも保管も販売も、厳重に管理されている。
劇物とは、ごく少量でも扱いを間違うと死に至るほどの深刻な影響を与えるものを指す。
バングラデシュではこのような危険な劇物が金物屋や自動車修理店等で簡単に手に入ったし、現在でも手に入れようと思えばいくらでも手に入ると言う。
バングラデシュだけではない。パキスタンからインド、アフガニスタンからイランまで、どこでもそうなのだ。
インド・コルカタのムンシガンジ売春地帯でもアシッド・アタックの事件があって、売春女性が犠牲になった。売春地帯の中に自動車修理工場があって、金さえあればすぐに硫酸が手に入る環境にある。
バングラデシュでは法律が機能していないし、警察機構もまた不正と汚職にまみれている。その中で状況を改善するには、政府が本腰を入れて対策に乗り出すしかない。
2002年から政府はやっと事態の深刻さに気がついて対策を練りはじめた。しかし、10年経った今も、事態はほとんど改善されていない。
選挙運動でもしばしば大暴動に発展して、政党同士の争いが死者を生み出すこの国は、犯罪においても容赦ない暴力で相手を攻撃する傾向がある。
これほど残虐で極悪非道な犯罪は他に類を見ない
バングラデシュは人の命があまりに軽く、人権よりも個人の利害や感情が優先する。
相手に酸を浴びせる攻撃が「流行」しているのは、過剰なまでの利己主義と、自制の効かない気質が関係しているのだろう。
特に問題なのは、硫酸の被害者がたいていの場合は若い女性だという事実だ。
アシッド・アタックの被害者のうち、圧倒的多数を占めるのは10歳から20歳までの女性、次に20歳から30歳までの女性、さらに10歳にも満たない少女が犠牲になることもあるという。
バングラデシュに限らず、法も秩序もあまり機能しない無法地帯の様相を見せる国や地域では、しばしば暴力の対象は女性になる。
それは単純に女性の方が力が弱く、社会的地位も低いからである。アフガニスタンでも、インドでも、カンボジアでもそうだ。
カンボジアは一時、硫酸を浴びせる事件が続出した。16歳のカラオケ女優タット・マリナが愛人の妻から濃硫酸を浴びせられて、顔面の皮膚をほぼすべて失ってしまった経緯はブラックアジア第一部の中でも触れた。(バイオレンス。カンボジアに渦巻く暴力の裏に何があるのか)
彼女は奇跡的に一命を取り留めたが、容貌の損壊と激痛の中で「私は何の希望も持っていない」と新聞記者につぶやいた。「死んだ方がよかった」と本人が自ら吐露する言葉は非常に重い。
容貌や容姿は女性にとっては非常に大切なものだが、硫酸はそれを一瞬にして損壊させ、その後の人生を悲惨なものにする。
事件はやがて人々から忘れ去られることになるだろうが、被害者は永遠に傷を背負って生きていかなければならない。
これほど残虐で極悪非道な犯罪は他に類を見ないと信じているが、にもかかわらずこれがバングラデシュでは「ありふれた事件」なのだ。この国がいかに混乱しているかが分かる。
大量の酸攻撃がバングラデシュで続出している
このアシッド・アタックを完全に撲滅できない限り、バングラデシュは無法と残虐の暗黒大陸だと思われてもしかたがない。それほど大量の酸攻撃がこの国で続出している。
バングラデシュでは、酸を浴びせる事件が古くは1960年代から報告されていたが、これら一連の事件が目立つようになって来たのは1995年頃からだ。
政府は慌てて硫酸事件の犯人は死刑もあり得るように法改正をしたが、もともと法が機能していないのだから事件は一向になくならず、逆に増えていくばかりだった。
それは硫酸が100円にも満たない値段で手に入るからだと言われている。すなわち「安価に手に入れられる武器で、最大の効果を得ることができる」のだった。
事件のほとんどは、自分の思い通りにならない女に対する男の復讐である。
30歳だったある女性は、最初の夫をなくしたあとふたりの息子を育てながら自活していたが、初老の男との再婚話が持ち上がった。彼女はそれを断った。
激怒した男は真夜中、女性がふたりの息子と寝ている時に家に押し入って、彼女とふたりの息子の顔に酸を注いだ。
女性の顔は修復不可能なまでに焼けただれたが、彼女はそれを確認することができない。なぜなら視力も同時に失ったからだ。
その初老の男は自由の身だ。バングラデシュではどんなに凶悪な犯罪を犯したとしても、保釈金を払えば自由になれるし、その上に警察を買収することさえも可能だからだ。
13歳のソニアは執拗に自分につきまとい、セックスを求める21歳の男チアン・ミアにたまりかねてそれを両親に訴えた。
チアンは激怒し、自分の思い通りにならない少女に罰を与えるため、自宅でテレビを見ているソニアに彼女の兄弟もろとも酸をぶっかけた。ソニアの顔面は酸によって崩壊し、やはり失明してしまった。
顔面の皮膚のほとんどを失ったまま、生きた屍に
20歳になったばかりのスフィアもまた酸を投げつけられた。
スフィアの妹が結婚を断ったのだが、その男が酸を投げつけたのだった。男の目的はスフィアの妹だったが、スフィアは妹のベッドで一緒に寝ていたのだった。
バングラデシュはインドと同様に持参金の習慣がある。結婚する女性の家族は娘と共に持参金を差し出さなければならない。
モニラは持参金が足りないと腹を立てた自分の夫に酸を頭からぶちまけられた。
やはり彼女の容貌は原形をとどめないまでに崩壊してしまった。
スペインの外科医が無料の支援を差し入れて、彼女は整形手術を受けることになったが、まぶたも、首も、鼻も、唇も、耳も、すべてに手を入れなければならなかった。
もちろん、現代の医学でさえも失われた容貌を完全に修復することは不可能であり、モニラも手術後に父親と面会したが、父親は娘を認識することはできなかった。
18歳のジョスナも持参金が足りないと言われて酸を浴びせられた。ジョスナは非常に貧しい家の出身であり、モニラと違って支援する医師も現れなかった。
彼女は顔面の皮膚のほとんどを失ったまま、生きた屍のようになっている。
13歳のジャンナチュルもまた20代の男につきまとわれたが、つき合うのを拒否して酸を浴びせられた。
彼女はすぐに病院に連れて行かれたが、設備も何もない田舎の病院では何もすることができず、そのままダッカの病院に転送された。
彼女は顔面の皮膚をほとんど失っていたにもかかわらず、一昼夜、治療も受けられずに放置されたのだった。
これらの硫酸事件はバングラデシュの恥だ
もちろん、絶命した人もいる。
路上で物乞いをしていたある女性はいつもある男からセックスを執拗に求められていたが、それを頑として受けつけなかった。プライドを傷つけられたその男は残酷な報復を思い立った。
それは、ふたりの子供が見ている前で彼女を押さえつけ、彼女の陰部に酸を注ぐというものだった。
絶叫を上げてのたうち回る物乞いの女性は病院に運び込まれたが、そのまま病院で死亡した。
アシッド・アタックを注意深く見ていると、事件の深刻さと同時にその動機の身勝手さに驚く。
婚約を断られて「プライドが傷ついたので思い知らせてやる」とか、「他の男に取られるくらいなら、めちゃくちゃに壊してやる」というのを身勝手と言わずに何と言えばいいのだろう。
セックスを断られて、その腹いせに硫酸を投げつけるという短絡思考に至っては、あきれて物も言えない。
さらには、持参金が足りないから結婚したばかりの妻に酸を注いで自分の怒りを思い知らせるというのは、どこからそのような発想が生まれてくるのか理解することすら不可能だ。
酸で破壊した女性とは、曲がりなりにも自分の妻でなはないのか。
歴代のバングラデシュ首相は「これらの硫酸事件はバングラデシュの恥だ」として、アシッド・アタックの犯人には極刑で臨む姿勢を打ち出している。
しかし、揉み消された事件も含めると、ここ5年から6年ほどの期間だけでも1000件以上も発生しているのに、有罪になった人間が20名ほどしかいない。
バングラデシュの司法が機能していない。
アシッド・アタックの根底に、女性蔑視と人権無視
アシッド・アタックのほとんどが男女の感情のもつれで発生していることを考えると、バングラデシュでは、誰もが酸攻撃の犠牲者になりえることを示唆している。
しかし、なぜインド圏やイスラム圏にこの手の事件が多いのだろうか。そして、なぜ被害者は女性が圧倒的多数なのだろうか。そして、なぜこれらの事件は根絶できないのだろうか。
これらの事件の陰には、劇物が手に入りやすいという点とは別に常に指摘されるのは、「女性蔑視」「圧倒的な家長制度」の存在である。
要するに、女性をモノとしか思っていないような男が圧倒的な力を持った社会がそこにある。
そして、それを増長させているのが宗教だ。イスラム教は、頑迷なまでの男尊女卑が宗教に織り込まれており、女性の人権を極端に抑圧している。
女性が自分に逆らうと激怒し、折檻する。その折檻の延長にアシッド・アタックがある。
自分に逆らう女性、自分の言うことを聞かない女性は、めちゃくちゃにされても当然だという意識があって、実際に「分からせる」のがこれらの事件なのである。
宗教が、男の優越意識を極限まで増長させている。
だから、女性の地位が向上し、女性を物として扱う風習がバングラデシュからなくならない限り、この手の事件は撲滅することができないだろうと分析する人も多い。
アシッド・アタックの根底に、女性蔑視と人権無視が横たわっている。それを改善しない限りいくら刑罰を厳しくして硫酸の入手を難しくしても無駄なのだ。
では、バングラデシュは、今後女性の地位は向上するのだろうか。
バングラデシュの男たちは、女性の地位を向上させ、女性の人権も大切なものだと思ってくれるようになるのだろうか……。
今のところ、その兆候すらも見えていない。
【バングラデシュ】
この記事は「売春地帯で、初めてアシッド・アタックされた女性を見た日」の後半部分なのですが、前半のラヒラに触れず、別記事に修正しました。
【鈴木傾城】
ブラックアジア・ダークネスの傾城様のご記事に出会うまで、私はアシッドアタックなどという凄絶にして禍々しい犯罪が現に行われていることすら知りませんでした。
違法な、犯罪がらまりの世界で、死体処理の方法として酸(強アルカリ)で人体を溶かすことがあるらしいぐらいしか知りませんでした。映画「ニキータ」で、始末屋がバスタブに酸を満たして死体を入れ、溶解して証拠隠滅しようとしたところ実はまだ生きていて大変な事になるシーンがあり、おそらく闇の世界では実際こんなこともあるのかもとおぞ気をふるい、数日モヤモヤしたものですが、それどころではない事をご記事を通じて知りました。
生かしておけないほど憎ければ、刺すなり首を絞めるなり、他にやりようはあるものを、いう事を聞かないから、憎らしいから、悔しいから、女の子はいらないからと酸をかける、その目を覆わんばかりの結果をみれば、その動機があまりにも浅薄に見えます、狂っています、人が人にこんな禍事をしてのけるとは、いったいどうなっているのか。何でそんな事ができるというのか、人って何なんだと思う。
ご記事を読むたびに、恐怖と嫌悪で悶絶しています。銃刀法違反なみに、劇物所持を取り締まれと吠えたこともありますが、それではまだ足りないのですね。酸をかけて、してやったりと思うマンタリテ、そんな事をしてもいいというエクスキューズの源を破壊しないといけないのですね。文化だなどとは言わせない。そんな文化があってたまるものか。それを文化だ伝統だと言うのなら、それは何かに利用された宗教のうんだ腐れ文化だ。そんなものにこそ酸でもかけて溶かして流してしまえればいい、できることなら。aurore
アシッド・アタックは、鈴木様の記事を読む前からしっておりましたが、改めて鈴木様の色々な情報を受けとるたびに怒りと無力感に襲われていました。アシッドは「貧者の武器」なのです。シンナーが「貧者の覚せい剤」であるように。そして、アシッド・アタックの根底には、(男性被害者もたまにありますが)「女性軽視・蔑視」の精神があるのだと思います。優位な者が軽蔑を受けたり腹の立つことがあると、下位とされるものへ対しては躊躇なく酸をあびせる。それは、一撃で殺すよりも相手にとってダメージが強く長く一生残るので、やる方にとっては一層小気味よいのでしょう。なんというむごい発想なのでしょうか(いや、そいういう行為がまかり通る地では人々はむごいとさえ思っていないかもしれません)。そしてえてしてそういう地域ではそれらをちゃんと取り締まる法治機構も備わっていない。さらに宗教・伝統などがそれら残虐行為(もちろんその地では残虐行為と思っていないかもしれない)を教義やその地の思想の拡大解釈で是として容認したりもしているのでしょう。
アシッド・アタックで火傷と失明を負った女性に対して、その地では最大に公平に裁いて(裁いたつもりなのでしょう)、相手を同じく失明させてよい、という判決の出たことがありました。しかし、被害者の彼女は相手に対してそれは行いませんでした。文化・伝統・宗教・思想・慣習は一朝一夕には代えられません。ましてや、外圧で変えようとしたりするものなら反発を増すばかりです。少しずつ、少しずつ、しかもその地の人々自らが自覚し納得するように、非人間的な文化・思想は変わっていかなくては、と思います。
日本女性が参政権を得たのも、わずか67年前くらいのことなのですから。
婚約中の女性からメール一通、その内容は「好きな人ができたのでもう連絡しません」で切られた自分です。アシッド・アタックは全面否定ですが、あまりに酷い残酷で理不尽な目に遭う男性もここにいます。日本は女性の地位と権利がイスラム圏と逆に上がりすぎて、その歴史上最高の女性天国になっている気がします。仮に下手に連絡しようものならストーカー被害を出されて犯罪者となる覚悟もいります。
国によって女性の立場や地位は極端に違うんだと思いました。
この記事を、男性が書いている事に感動を覚えます。
世界中の男性が鈴木さんのように理性的であれば、戦争さえも無くなると思うのですが。
もちろん人間だから、怒りを感じることはあります。
しかし、だから相手に硫酸をかけていいわけはありません。
有る意味、殺人よりも残酷なこの犯罪が、早くなくなることをお祈りしています。