私たちが生きている世界は、「願えば叶う」ほど生やさしいものではない

私たちが生きている世界は、「願えば叶う」ほど生やさしいものではない

場末の世界に流れ着いた女性たちは、話を聞いているとこちらまで絶望的な気持ちになるほど哀しい運命の渦中にある。生活能力のない家族、無責任な夫、空腹に泣き叫ぶ子供たちの声。そんな境遇に追われ、切羽詰まって夜の世界に堕ちる。どんなに頭が良くて聡明な女性でさえも、どん底(ボトム)の境遇に置かれてしまうと、悪い方に悪い方に転がり落ちていく。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

私が筋金入りの現実主義者になった理由

私は長い間、東南アジアのスラムや売春する女性たちをずっと見てきたので、「努力したら必ず報われる」とか「向上心を持ったら成功する」とか「楽観的に考えたら不幸な境遇から這い上がれる」とか「願えば叶う、想えば叶う」とか聞くと、即座に「現実的ではないな」と思う。

血が滲むほど、心身がボロボロになるほど努力しても、その努力が報われない人は大勢いる。驚くほどの向上心を持って物事に取り組んでも、叩き潰される人も大勢いる。どんなに楽観的であっても這い上がれない人も大勢いる。

努力や向上心や楽観性は必要ないわけではない。

物事を成し遂げるには、努力や向上心や楽観性がなければならないのは言うまでもない。それは認める。

しかし、私が言いたいのはそこではなくて、「努力や向上心や楽観性があっても、必ずしも成功が約束されているわけではない」ということだ。

基礎能力の有無、運の良し悪し、時代や環境の良し悪しなど、本人のどうにもならないところで物事が決まることもある。特に運の良し悪しなど、どうしようもないことでもある。

本人がどんな正しい哲学や考え方を持って努力しても、どうにもならないこともあるというのは、私自身は東南アジアで多くの女性たちを見つめることによって悟ったものだった。

あまりに不幸に落ちた女性たちを見続けて、私はいつしか筋金入りの現実主義者になった。何をどうしても、どん底(ボトム)から這い上がれない人がこの世にはいるということに気づいた。

私たちが生きている世界は、「願えば叶う」ほど生やさしいものではないと私は繰り返し繰り返し現実に叩き込まれた。

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悪い方に悪い方に転がり落ちていく

日本は識字率は99%である。健常者で字が読めない人を探すのは難しい。しかし、識字率が50%を切る国もある。つまり2人に1人は字が読めない人がいる国がある。

セネガル、ガンビア、ベナン、シエラレオネ、ギニア、アフガニスタン、ソマリア、チャド、ブルキナファソ、ニジェール、エチオピア、南スーダン、マリ。これらの国は識字率50%以下である。

アフリカのマリは識字率が26.2%だから、それこそ4人いたら3人は字が読めないということになる。

私が東南アジアで知り合った女性たちの少なからずは、字が読めなかったし計算もできなかった。2000年代初頭のカンボジアの底辺では、本当にそういう女性たちで溢れていた。

今でも覚えているのは、ある女性は「5ドル札」が5ドルと認識できず、「1ドル札を5枚くれ」と私に言ったことだ。

彼女は1ドル札の裏に書かれているあのピラミッドの絵を見てその「紙」を1ドルと認識していたので、5ドル札は受け取らず1ドル札を5枚受け取って納得したのだった。(ブラックアジア:マティーニに巣食う女郎蜘蛛。図柄で金を判断していた女性

東南アジアの極貧国家であったカンボジアでは、そういう女性が珍しくなかった。そして、そういう女性が場末の世界に流れ込んできていた。

場末の世界に流れ着いた女性たちは、話を聞いているとこちらまで絶望的な気持ちになるほど哀しい運命の渦中にある。生活能力のない家族、無責任な夫、空腹に泣き叫ぶ子供たちの声。そんな境遇に追われ、切羽詰まって夜の世界に堕ちる。

どんなに頭が良くて聡明な女性でさえも、どん底(ボトム)の境遇に置かれてしまうと、悪い方に悪い方に転がり落ちていく。彼女たちは売春ビジネスで生活を好転させることができないのだが、それでもこのビジネスを続けざるを得ない。

それしかできることがないからだ。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

危険な男たちに囲まれて、ただもてあそばれる

女性が夜の世界に堕ちるのは、先進国でも途上国でも関係がなく見られる現象だ。しかし、途上国の女性が置かれている立場はとてもひどい。

金がない家庭に生まれると、親も泣く泣く娘を手放さざるを得ない。娘たちもその境遇を受け入れる。それが伝統になっていたのがタイ東北地方(イサーン)であり、メコンデルタのベトナム女性たちだった。

もし、彼女たちが先進国に生まれていたら、大学に進学して豊かで充実した将来を思い描いていたに違いない。しかし、途上国ではそれほど幸せではない。どん底で暮らしていれば、教育よりも生きていくことを優先せざるを得ない。

生まれた国が良くなかったのか。生まれた境遇が良くなかったのか。それとも運がなかったのか。あるいは、そのすべてが重なったのか……。

世の中には、すべてにおいて社会から見放されている女性たちがいる。途上国で見る女性は、運にもツキにも見放されて、ひっそりと生きていた。

女性が悪い境遇に落ちると、落ちたところで次々と悪いことが重なる。何しろアンダーグラウンドに集まる男たちのほとんどは、社会不適合者かアウトサイダーばかりだからトラブルが満載なのである。

快楽に取り憑かれたような男もいれば、ギャングやマフィアもいる。麻薬に溺れていたり、STD(性感染症)やHIVにかかっていたりする男も多い。女性を搾取して自分自身が儲かることだけしか考えていない経営者もまた彼女たちの敵だ。

彼らはまわりに幸せをもたらすことはない。落ちた女性を幸せにすることはない。

インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

不運は転がる雪のように膨らんでいく

彼女たちに運が向いてくるとしたら、地道に金を貯めるか、金持ちの男に拾われるかのいずれしかない。しかし、どちらも口で言うほど簡単なことではない。

金持ちの男は来るだろうが、そう簡単に囲ってくれるほどチャンスが転がっているわけではない。地道に金を貯めるのも難しい話である。

そんな寂しさに堪えきれなくなったとき、気の許せる優しい男が現れることもある。しかし、その男を信用していると、有り金を根こそぎ持っていく詐欺師だったり、貢がせるだけ貢がせようとするヒモだったりすることが多い。

こわもての男は暴力で女を服従させる。普通の男は金で女を服従させる。言葉巧みな男は舌先で女を服従させる。

夜のビジネスに長ければ長いほど、騙される数も増える。そして、女たちは通常の感覚を失っていく。そして、ついには誰も信用しなくなる。不運は転がる雪のように膨らんでいき、最後に破綻してしまう。

病気や歳になって「女」として使えなくなってしまったら売春地帯から放り出されるが、その頃はもはや彼女の人生は終わっていることも多い。やり直しは効かないし、世間が夜の女性を見る目はどこの国でも重い。

さして技能もなく、教育もなく、世間も知らない女性がひとりで生きていくことの難しさは、先進国でも途上国でも変わらない。そんな状況をずっと見てきたので、「努力や向上心や楽観性があれば人生を変えられる」という話には即座に「現実的ではないな」と思う。

薄っぺらい楽観主義を説く人を見ると、私はいつも不幸の中で人生を変えられなかった女たちのことを思い、そして現実はどちらだったのかを冷静に考える。私の脳裏は不幸な運命を変えられなかったけれども、愛すべき女たちの顔でいっぱいだ。私は人生を堕ちた女たちから学んでいる。

『スワイパー1999 カンボジアの闇にいた女たち(鈴木傾城)』

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