1990年代の経済情勢が悪化から「前向き思考」が宗教のように広がった

1990年代の経済情勢が悪化から「前向き思考」が宗教のように広がった

日本は1990年にバブルが崩壊し、その頃から急に「前向き思考(ポジティブ・シンキング)」を極度に礼賛するようなものが持てはやされるようになり、それが長らく続いた。

興味深いことに、日本の経済が悪化していけばいくほど、その前向き思考はどんどん原理主義化していき、もはやネガティブなことを考えることや、落ち込むことすらも自分で許さないような方面にまで到達していった。

よく考えれば分かるが、人は誰でも絶好調の中にいる時、高揚感に溢れて「前向き思考になろう」と思わなくても勝手に前向きになる。

意識して前向き思考が必要なのは、不安と恐怖と焦燥感に駆られている時なのである。不安が大きければ大きいほど、それを掻き消す「何か」が必要になった。それが日本人は「前向き思考」だったのだ。

1990年代から「前向き思考」が礼賛されるようになったのは偶然でも何でもない。恐怖と不安は、経済の悪化からやってきた。迫り来る凋落に恐れて、人々は何でもいいからすがるものが欲しかった。

そこで日本人は、「前向きに考えれば何とかなる」という祈りにも似たような気持ちで、宗教にすがりつくように、前向き思考にすがりついていったのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

現実から遊離してしまう前向き思考

不安と恐怖が忍び寄る時、人は何かすがるものを必要とする。富裕層よりも貧困層の方が必死で宗教を拝む傾向が強いことはよく知られている。なぜか。貧困層の方が不安と恐怖でいっぱいになっているからだ。

インドでは貧困層が「ヒンドゥー原理主義」となり、中東では貧困層が「イスラム原理主義」となる。

自分の将来が足元から崩れ去る恐怖の中で、全知全能の神はすがりつくのに最適な対象だったのだ。だから、貧困層であればあるほど、その宗教心は熱狂的かつ狂信的になる。

日本では宗教が衰退してしまっている。そのため、代わりに「前向き思考(ポジティブ・シンキング)」のようなものが、宗教に変わって流行していったのだ。

もちろん、誰が何を信じるのは自由だ。前向き思考も悪いわけではない。前向き思考で救われるのであれば、それはひとつの手段となる。

しかし、「前向き思考であれば、すべてがうまくいく」「うまくいかなかったのは前向き思考を疑ったから」というような極端な考え方にまで到達すると、だんだん現実から遊離して逆にすべてがうまく回らなくなっていく。

人間は社会環境や自然環境と無縁ではいられないので、自分だけが「前向き思考」であっても、それで「自分だけが助かる」というのは現実的ではない。

飛行機が落ちる時は、前向き思考の乗客も後ろ向き思考の乗客もみんな一緒に死ぬ。巨大地震が襲いかかってきた時、前向き思考の人だけが生き残るわけではない。

大不況が襲いかかってくれば、誰もがそれに影響を受けて自分の生活環境が悪化してしまう。いくら前向き思考でも、等しく社会の悪影響を受ける。

そして、そこから這い上がれるかどうかも、前向き思考を持っているかどうかはあまり関係がない。前向き思考を持っている人よりも、何も考えないで淡々と現実を生きている人の方が生き残るかもしれない。

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狂信は現実を見失わせる

前向きであることは決して悪いことではない。それは人に好かれる条件のひとつであるし、自分を鼓舞する考え方のひとつだからである。しかし、前向き思考の原理主義になってしまうと、現実が見えなくなってしまうのも事実だ。

いくら前向きであっても「克服できない現実」というものがある。

15世紀から奴隷として売り飛ばされ続けたアフリカ人の中にも前向きで楽観的な人も大勢いたはずだ。しかし、彼らはみんな奴隷として売り飛ばされて、苛酷な人生を送ることになった。

1945年8月の広島や長崎に暮らしていた人たちの中には前向きな人間はひとりもいなかったのか。戦局は悪化していたが、前向きに生きていた人たちは大勢いたはずだ。しかし、爆心地にいた人々はひとり残らず地獄に突き落とされた。

ナチスが台頭するドイツでも、前向きに生きていたユダヤ人がいたに違いない。嵐が過ぎればきっと良くなると考えていた人もいただろう。しかし、彼らはナチスという巨大な暴力の前に為す術もなかった。

ポル・ポト時代が来る前からすでにクメール・ルージュは危ないという世論はあった。そんな時、プノンペンにいた華僑や都市住民が前向きに考えて何が良いことがあっただろうか。彼らのほとんどは皆殺しにされた。

平和で友好的な素晴らしいチベット仏教を持つチベット人には前向きな人間はたくさんいるはずだ。しかし、中国の凄まじい弾圧の前に為す術がなかった。

100万人が中国共産党政府の作った強制収容所に隔離されて民族浄化されているウイグル人も前向きな人間がいるはずだが、彼らはまさに今、国際社会からも見捨てられて虐殺されている最中だ。

社会環境や自然環境の中では、人は「巨大な現実に押しつぶされる」というのが現実であり、その現実の前には人の心の持ち方は何の影響力もない。

「前向き思考でうまくいく」というのは洗脳である。ただの洗脳ではない。口当たりが良い分だけあって、かなり悪質な洗脳だともいる。前向きであろうがなかろうが、巨大な現実が押し迫った時、人はそれに巻き込まれてもがくしかない。

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時代が悪ければ悪い方に巻き込まれる

「良いことだけを考えれば良い結果が返ってくる」というのは、そういうことも確率としてあるので全否定するものではない。しかし、絶対にそうだというわけではないので、あまり過信はできない。

時代が悪ければ悪い方に巻き込まれるし、時代が良ければ良い方に進んでいく。日本でも高度成長時代では「前向きに考えなくても」、それこそどこかの会社に潜り込んで適当にやってさえすれば食べていけた。

何の自己啓発もせず努力もせず、テレビを見てビールを飲んで日曜日は何もせずに寝ている怠惰な人間でさえ、いつの間にか課長くらいにはなれた。歳を取ったら年功序列で出世までして、会社を辞めたら退職金さえもらえたし年金も心配がない。

この時代に生きていた人でうまくいっていた人は、全員が本人に何か深い思慮があったわけではない。単にそういう時代だったのである。そして、今やこれは「過去の話」である。

1990年代に社会に出た若年層は、運の悪い世代だった。(1971年〜1974年生まれは、自分たちは苛酷な時代に生きる世代だと認識せよ

この運の悪さはこれからも続く。自己研鑽していてもリストラされるし、必死で働いても年功序列もなく、退職金も出るかどうか分からず、将来的には年金も当てにならない時代に入る。

団塊の世代も決して勝ち組ではない。「勝ち逃げ」するには平均寿命は長くなり過ぎている。今後、日本の超高齢化時代に政府の社会保障費がパンクして、社会に大きなトラブルが発生するのは必至だ。

生き残れるのはわずかな人たちだけである。そのわずかな人は、恐らく前向きだった人ではなく、悲観が前提にあって経済的に守りを固めている人である。

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無理して楽観的であろうと努力する必要はない

前向き思考でないと成功しないのではないかと恐れる人もいる。しかし、成功した悲観論者も多いし、人格も性格も欠陥のある人間が社会的地位や大金をつかむケースは多い。「悪い奴ほどよく眠る」とは昔から言われている。

本人が何もしていなくても、成功した親からそれを地位と名誉を相続するパターンも多い。本人の性格や考え方がどうであれ、親から何か相続できる人は何もしなくても最初から成功しているのである。

あるいは、人を蹴落とし、罵り、暴力をふるい、それでのし上がった人間も多い。極度の拝金主義で、策略や謀略をはりめぐらせて成功する人間もいる。現代の中国の成金は、みんなそうやってのし上がってきている。

あらゆるタイプの成功者がいるので、別に自分が前向きでも後ろ向きでも関係ないし、わざわざ無理して前向き思考になる必要もない。

朝から晩まで「前向き思考」で、ただ良いことを願っていれば、人に好かれるので人間関係を良くするくらいの効用はあるかもしれない。しかし長い目で見ると、それだけで人生を渡っていくには心もとない。

無理して楽観的であろうと努力する必要はないし、前向きであろうと思う必要もない。もともと慎重なタイプや現実を見据えたいタイプや防衛的なタイプというのは、根拠なき楽観や前向き思考を押しつけられれば不安になるはずだ。

性格的に楽観的になれないのであれば、無理して楽観的になるよりも、むしろ現実的であろうとした方がいい。性格的に前向きになれないのであれば、前向きであろうと思うよりも合理的であろうと思う方がいい。

「前向き思考の原理主義」になってしまうと現実が見えなくなってしまうが、現実的・合理的であれば現実が見えてくる。それによって立ち回り方が分かり、実利をも得られることも多い。決して悪い話ではない。(written by 鈴木傾城)

「前向き思考の原理主義」になってしまうと現実が見えなくなってしまうが、現実的・合理的であれば現実が見えてくる。それによって立ち回り方が分かり、実利をも得られることも多い。決して悪い話ではない。

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