廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃

1999年前後、プノンペン南部にある「ブディン」を初めて見たとき、「こんな廃墟のビルに人が住めるのか」と驚いたものだった。

ブディンは今でこそ廃墟のビルだけを指している。しかし1999年当時のブディンは、この廃墟ビルの前と後ろは広大なバラック小屋のスラムがびっしりと密集していて、そのすべてを指してブディンと言っていた。

ブディンはプノンペンでひどく治安が悪い場所だった。それは今も変わっていないのかもしれないが、当時の状況を知っている人間から見れば今のブディンは治安が悪いと言っても大したことはない。

1999年頃のブディンは、銃を持ったチンピラ、ナイフを持った酔っ払い、軍用ライフルを持った兵士、腐敗した警官……と、危険な人間たちの見本市のようになっていて、よく怒声や銃声が響き渡る場所だった。

銃声が響くと言うのは言葉のアヤでも何でもなく事実だ。夜中のプノンペンは危険な街だった。

モニウォン通りのディスコでは喧嘩した現地の男たちが銃を撃ち合っていたし、ドイツ人は夜中に強盗に遭って抵抗したら銃に撃たれて病院に担ぎ込まれた。

当時は『ホリデー』というディスコにドラッグを売買する男が集まって日本人もたむろしていたのだが、ここでも日本人が現地の男に割ったビンで腹を刺されるという事件が起きていた。犯人は分かっていたが逮捕されなかった。理由がある。

3人の日本人が『ホリデー』で喧嘩を売られたが、この時に日本人の腹を割れたビンで突き刺して重症を負わせた男は、フン・セン首相の親族だったニュム・バウという男だった。

この当時のフン・センの親族たちはプノンペン中を荒らし回るギャング集団と化していて、やりたい放題だった。警官に銃を発砲した男もいたのだが罪にも問われなかった。

ブラックアジアは2000年に書き始めるようになっていたのだが、私が70ストリートの売春宿を地図付きでブラックアジアに掲載したら、後日その売春宿で日本人の男が撃ち殺されたという事件もあった。

こんな事件が無数に起きていたのがその当時のプノンペンだったのだ。だから、当時のブディンが治安が悪いと言うのは、治安が悪いプノンペンでも特に治安が悪い地域だったということを意味している。

この当時、私はプノンペンにどっぷりと沈み、夜中にはしばしばブディンに訪れていたが、女性には廃墟ビルに近寄らないように言われていた。マフィアが棲みついていて、行けば「ボクシングされる」というのだ。ボクシングというのは当時のカンボジアでは「袋叩きにされる」という意味で使われていた。

このブディンのスラムは廃墟ビルを中心にして、貧しい人たちが勝手にバラックを建てて住んで売春ビジネスをも行っていたので政府はしばしば立ち退きを要求していたのだが、もちろん誰もそんな要求を聞き入れなかった。

すると、どうなったのか……

(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア』。本編に収録できなかった「はぐれコンテンツ」を掲載。電子書籍にて全文をお読み下さい)

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『ブラックアジア外伝1 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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