彼女の名前はシタと言った。清楚で端正な顔立ちをした娘で、歳はあえて訊かなかったが25歳前後に見えた。インドネシア領バタム島で出会ったのだが、彼女の出身はバンドゥンだった。
バタム島の夜のビジネスに関わっている娘たちは、大抵が近くのスマトラ島やカリマンタン島から出稼ぎに来ている。ここバタムでバンドゥンから来たという娘に会うのは彼女が初めてだった。
ジャカルタで夜のビジネスに従事している女性の多くはバンドゥン出身である。バンドゥン出身は珍しくない。
しかし、流れ流れてこんな最果ての島までやって来るバンドゥンの娘は珍しいのではないだろうか。
実は、バンドゥンにもいかがわしい店は多い。本当は、わざわざ遠いところに行かなくても地元バンドゥンの置屋でビジネスすればいいものだが、ほとんどの娘は地元を避ける。
これには娘たち本人の理由と、娘たちを人身売買するブローカー側の理由と、経済的な理由の3つが挙げられる。
いつかタイのパッポンで知り合ったイサーン出身の娘が「バンコクは好きじゃない。早く田舎に帰りたいよ」と言っているのを聞いたことがあった。
「それならコーンケン(イサーン最大の都市)で働いた方がいいんじゃないのか。バンコクまで来るより近い」と答えたことがある。
すると、娘は激しく首を振って……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア インドネシア編』にて、全文をお読み下さい)

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