昔の私は「苦境に落ちているのに掃除したところで意味なんかない」と思った。今は違う。企業でも掃除することにより無駄が排除される。在庫が排除される。動作の無駄もなくなる。空間の見通しも良くなる。「掃除する、整理する」は、思った以上に合理的なソリューションだった。
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」
もし、どうしようもない苦境に落ちて、何をどうしていいのか分からないとき、「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」を徹底して始めればいい。そう言えば、たぶん鼻で笑う人もいるはずだ。
昔の私も「苦境に落ちているのに掃除したところで意味なんかない」と嘲笑したか、馬鹿げていると思って無視したはずだ。しかし、今の私は違う。
「掃除する」「片付ける」というのは、大きな意味があることを覚えたからだ。(ダークネス:「掃除する」「片付ける」というのは、人生を変えるほど重要なことだった)
企業でも、掃除することにより、無駄が排除される。在庫が排除される。動作の無駄もなくなる。空間の見通しも良くなる。無駄が排除されることによって効率化する。
「掃除する、整理する」は、思った以上に合理的かつ論理的なソリューションだったのだ。
そして、この「掃除する、整理する」というソリューションは人生にも効くのだ。苦境に落ちたときに「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」を徹底するのは、いろんな意味で問題解決に結びつくのである。(鈴木傾城)
インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから
追い詰められて身動きできなくなったらどうするか?
長く生きていると、突如として予期しないことが起きて追い詰められたり、困窮したり、先行きの見通しがまったく立たなくなったりすることがる。
私たちは誰でも追い詰められる日が来る。経済的にそうなることもあれば、精神的にそうなることもある。そんなとき、あなたはどうするだろうか。
もがくにしても、耐えるにしても、実は「もがき方」や「耐え方」がある。苦境をやり過ごすためには、何にしても方法論に則って淡々と、やるべきことを実行していくしかない。
苦境に落ちるというのは、今までのやり方が破綻したということでもある。そして、今までの余裕がすべてなくなったということでもある。
経済的にも精神的にも余裕がなくなったとき、私たちがしなければならないのは、一にも二にも今までと同じように生きようとしないということだ。
今までと同じようにしようとすると、あるいは持っている物を何とか維持しようと焦ると、より深みにはまってしまう。
たとえば、経済的な余裕が消え失せてしまったのに、今の生活水準を守ろうとしても、それができなくて身動きができなくなってしまうだけだ。
一時的な借金で乗り越えようとしても、それが一時的でなくなるとさらに困窮する。維持できなければどうするのか。
掃除し、整理し、捨てるのである。
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「よけいな持ち物」を捨てるのは知られていない
捨てるというのは、シンプルになるということだ。苦境に落ちたら余裕がなくなる。余裕がなくなったら、無駄が致命傷になる。無駄をなくすには、捨てていく。
苦境に落ちると「よけいな出費を減らす」というのは誰でも考える。知られていないのは「よけいな持ち物」も物理的に捨てていくというところだ。
よけいな物でもそれが物として目の前にあれば、自分が守らなければならない物であり、それが余裕のない時には精神的に非常な重みになっていく。
物をたくさん持っているというのは、それを自分が「抱えている」ということである。しかし、すべてを抱える必要が果たしてあるのか?
たとえば、かつては大切だった物でも、今はもう自分の人生に意味をなくしてしまっているのであれば、それは「よけいな持ち物」になったということだ。
よけいな持ち物があればあるほど抱える物の重さに押しつぶされてしまい、守ることの絶望感や負担に心が潰される。無意識に「守り切れない」という気持ちで沈んでしまう。
また、よけいな持ち物がたくさんあればあるほど気が散る。集中しなければならないときに、集中できなくなってしまう。よけいな持ち物が、気を削いでしまうのだ。
よけいな持ち物は、それ自体がメンテナンスや整理や維持費が必要になるので、無駄なものに金や時間が取られる。
さらに、よけいな持ち物がたくさんあればあるほど、新しい重要な物を迎え入れることができなくなる。物理的にも心理的にも、古い物に圧倒されて新しい物を入れることができない。
だから、物理的に「よけいな持ち物」を捨てるというのは、苦境に落ちている時であればあるほど、重要になってくる。
要らないものをどんどん捨てていく。そして、守るべきものを減らして、身も心も身軽になっていく。自分の人生をシンプルで軽いものにしていく。
1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから
これこそ、真っ先にやらなければならないことだ
よけいな物を捨てるというのが「掃除」であり「整理」である。掃除をすれば気持ちもリフレッシュすると思う人もいるが、なぜリフレッシュするのか、その「深層心理」まで考えなければならない。
単純に掃除をすればキレイになるからリフレッシュするのではない。人生に行き詰まったら掃除をすればいいという理屈は、実は以下の深層心理が関わっている。
・それによって守るべきものがなくなる。
・物理的にも精神的にも身軽になれる。
空間が増え、身軽になり、精神的にも楽になる。だから、掃除をすればリフレッシュできるのである。
ここで重要なのは、掃除して右から左に物を整理するだけでなく、「物を捨てる」という部分が入ることだ。ポイントは「物を捨てて身軽になる」という部分である。
よけいなものがたくさんある人であればあるほど、身軽になることの効用は計り知れないものがある。
今まで私たちはよけいなものがたくさんあればあるほど豊かであると思わされてきた。大量生産と大量消費時代に入って長いので、「物をどんどん買い込むのが素晴らしいこと」と洗脳されてきた。
しかし、それによって無駄が溜まっていき、その無駄によってにっちもさっちもいかなくなってしまっている。
太るだけ太って無駄な脂肪が溜まると、もう身動きすらもできなくなってしまうのと同じだ。苦境に落ちても動けなくなってしまうのだ。無駄を削ぎ落とせば、精悍になる。無駄を削ぎ落とせば、俊敏になる。
だから、苦境に落ちたら、もがくにしても耐えるにしても、真っ先にやらなければならないのは、「無駄を捨てる」ということなのだ。「掃除する」「整理する」ことで、よけいな持ち物を捨てるというのは、そのような意味がある。
人間関係? もちろん人間関係もよけいなものは捨ててしまえば身軽になれる。「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」は、あらゆる問題に効く。
モノは持っているだけでコストがかかりますからね。
持ち物は場所や空間を占拠して、どんな小さなモノでも、
例えば家賃の0.000…1%のコストが毎月かかっている訳です。
また、本文中にあるように維持管理コストも馬鹿になりません。
要するに追い詰められたなら、そんな余計な事にリソースを消耗している場合では無い。
昨今の災害ではありませんが、明日はもう家が無いかも知れない。
ミサイルが飛んてくるかも知れない。
旅行中にテロや事件に出くわすかも知れない。
そんなとき、ここはわたしの土地だのこれはわたしの持ち物だの言っている場合では無い。
真っ先に手放して逃げるのが正解だ。
逃げるときに障害となるもの、語弊があるかもしれないが、
正直に言って足腰の弱った人、例えば老人なども捨てて行くべきだと思う。
もちろん最善を尽くすが役に立たないものは捨てるべきだと思う。
残念だが弱肉強食とはそういう事だと思う。
モノは持っているだけでコストがかかりますからね。
持ち物は場所や空間を占拠して、どんな小さなモノでも、
例えば家賃の0.000…1%のコストが毎月かかっている訳です。
また、本文中にあるように維持管理コストも馬鹿になりません。
要するに追い詰められたなら、そんな余計な事にリソースを消耗している場合では無い。
昨今の災害ではありませんが、明日はもう家が無いかも知れない。
ミサイルが飛んでくるかも知れない。
旅行中にテロや事件に出くわすかも知れない。
そんなとき、ここはわたしの土地だのこれはわたしの持ち物だの言っている場合では無い。
真っ先に手放して逃げるのが正解だ。
逃げるときに障害となるもの、語弊があるかもしれないが、
正直に言って足腰の弱った人、例えば老人なども捨てて行くべきだと思う。
もちろん最善を尽くすが役に立たないものは捨てるべきだと思う。
残念だが弱肉強食とはそういう事だと思う。
確かに部屋を掃除して物を捨てると、頭の中も掃除されて全てに対して意欲が湧きますね。不思議なものです。
大事なのは自分で掃除することだと思います。
不要な物が部屋にあるだけで無駄な家賃を払ってると思うと捨てる気になれます。