アメリカ人の最近の若者の意識を調査したところ、パートナーは「回答者の3分の1以上が身体的な相性や知的な相性よりも、経済的な相性の方が重要だ」と答えているのだと言う。
とくに、1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた世代では顕著で、49%が「身体的な相性よりも、精神的な相性よりも、経済的な相性が大事だ」と答えているようだ。
要するに、ほぼ半数が「経済的な相性」が合わないとパートナーにはなれないし、したくないと考えていることになる。ライフスタイルよりも、趣味よりも、関心よりも、まずは「経済観念」なのである。
実際、付き合う前には経済観念をしっかり確認しており、そこから交際もスタートすることにしているようだ。
すでにアメリカでは弱肉強食の資本主義が極度に進んでおり、若い世代は親の世代よりもシビアな経済観念がないと生きていけない時代になっている。若い世代は「自分たちは親世代よりも豊かになれそうにない」と達観しているところもある。
だからこそ、自分も経済観念にシビアであり、自分の付き合う相手にも経済観念にシビアさを求めている。
アメリカがそうなのであれば、アメリカで起きていることは数年遅れで日本にも入ってくるわけだから、日本でも若者は「経済的な相性」が合致した相手を重要視することになるのだろう。いや、もうすでに日本もそうなっているのかもしれない。
そういうのを考えていると、ふと私自身はどうなのだろうかと思った。御存知のとおりだが、私はけっこう普通の人とは違う異質な人生を歩んできた。東南アジアの歓楽街に沈んできた鈴木傾城の経済観念は果たしてどうだったのか、けっこう主観的になると思うが説明したい。