私は「誰でも犯罪者になる可能性がある」という説を固く信じているのだが、その理由は個人の持つ善意や道徳など当てにならないし、人間は誰しも弱さを持っていることを理解しているからだ。
たとえば、誰しも人が見ていないところで一万円が落ちているのを見つけて、それを拾った時、この一万円を交番に届けるか自分の財布に入れてしまうのか、心の葛藤が起こるだろう。
何の迷いもなく交番に届ける人もいるかもしれない。しかし、ほとんどの人は「このまま自分の財布に入れても誰も見ていないし問題ないのでは?」と思うはずだ。財布ならともかく、1万円である。名前が書いてあるわけでもない。拾った瞬間にそれは自分の所有物になったとも言えるではないか。
多少、後ろめたい気持ちはあっても、何となくまわりを見回して、本当に誰もいないのを確認できたら、そっとカバンや財布に入れてしまうこともあるだろう。どんな道徳的な人であっても、本当にそういう気持ちになったとしても、それは「人間の弱さ」であり、よくある話でもある。
よくある話と言えば、日本では傘の盗難と自転車の盗難も結構あったりする。雨の日にどこかの店に何の変哲もないビニールの傘が置いてあったら、間違えたフリをして他人のビニール傘を差して行ってしまう。そういう人が、かなりいる。
自転車の盗難に関して言えば、敷居が高い犯罪のように思えるが「状況」によってはそうではないようだ。たとえば、たとえば、自転車が駐輪している場所が見通しの悪い場所であったり、鍵の掛かっていない自転車が放置されていたりする場合には、「出来心」を誘発する場合がある。
一方、盗難が難しい場合には「出来心」が起きない。たとえば、自転車に高性能の鍵を使用していたり、駐輪場に防犯カメラが設置されていたりする場合は、自転車を盗もうという気は起きないだろう。