フェミニストの「男性憎悪《ミサンドリー》」は男女の分断を深めていく一方で、女性の立場をより悪化させているように見えることもある。(自分の男性憎悪を吐き出すためにフェミニズムという看板を使う女性がいる?)
まるで男という存在そのものが「この世の悪」のような勢いで、激しく批判と攻撃を繰り返したら、男の側もまた激しい憎悪を女性に持つ。そうした憎悪の連鎖がジェンダーを起点にした分断と対立を限りなく煽って、取り返しがつかない社会的損失をもたらす。
しかし、こうした男性憎悪を生み出すきっかけというのはある。男性憎悪とまでいかなくても、「男嫌い」のレベルになってしまったしまった女性もいて、やはり何らかのきっかけがある。
それは往々にして男性側に問題があったりすることも多い。中でも多いのが、男による過剰なほどの「性欲」が、女性に害を与えてしまうことである。
少女の頃から性的な目で見られていたずらされていたとか、思春期に入ってからは一方的に性の対象にされてしまったとか、来る男、来る男が性的な下心だけしかなかったとか、そういう経験が過剰に積み重なって、ついに男嫌いの地点に到達する。
フェミニストは、こうした状況を「性的に消費される」という言い方をする。
先日、「性的に消費される」というのは、女性にどのような心理状態をもたらすのかを、じっくり語ってくれた女性と会ったので、彼女の生の言葉を通して「いかにして彼女は男が嫌いになったのか?」を見ていきたい。