カンボジア編
プノンペンから延々と11キロ、国道5号線をウドン方面に北上する。
ムスリム(イスラム教徒)の寺院を左手に、クメール人の高床式の粗末な家を右手に見ながら、さらに奥へ奥へと突き進んで行くと、今はもう古びて色あせてしまった「コンドームを使いましょう」という看板が見える。
それを左折すると、そこは「スワイパー」と呼ばれる村である。
ここは「不浄の聖地」だ。地獄に堕ちるのは避けられそうにないほど多くの姦淫をしてきた男どもが、最後に集う場所だ。
正式にはスヴァイ・パッ(svay pak)だろうか。ちなみに、カンボジアにはスヴァイがつく地名は多くある。このスヴァイはクメール語で「マンゴー」という意味らしい。
右手に看板を見ながら下り坂になった道を歩いて行くと、目の前にはいきなり三階建てのビルがそびえ立っているのが見える。
まわりが鄙(ひな)びた小屋なので、この高層建築物は初めて訪れた者には違和感があるに違いない。プノンペン市長が「不法建築物だ」と非難する建物である。
しかし旅人が釘づけになるのは、建物よりも……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア カンボジア編』にて、全文をお読み下さい)

今、ベトナムの売春地帯にいます。
ここも牧歌的な風情の中にあり、夏には家族連れが海水浴を楽しむ場所でもあります。
そんな家族連れが利用する宿泊施設が、売春宿を兼ねています。
家族が楽しく談笑する同じ場所に20歳前後の売春婦が共存しているというシュールな空間です。
前置きが長くなりましたが、私のいる売春宿で知り合った日本人が1995年から2000年頃まで、スワイパーに入り浸っていたと話していました。
まだ40代前半にしか見えなかったので、20代前半の若い頃から売春地帯にいたことになります。
スワイパーの特徴としては、とにかく女性が若かったと。10代前半も普通にいたし、裏の方に行けば5歳児も居たとのこと。
なんということでしょう。
そんな状況判断すらできない子達が見知らぬ男達に抱かれていたと思うと、衝撃を受けました。
値段も普通の子で2〜3ドル、5歳児でも10ドルだったということ。
値段も驚きですが、そんな子供を性の対象として抱く気になれる男がいることに衝撃を受けました。
ペドフィリアにとっては天国だったんでしょうが、抱かれる子達にとっては地獄だったでしょう。
その子達のその後が気になります。
気を病んで自殺していたとしてもおかしくありません。
性のオモチャとして使い捨てにされた子供達。100年前の日本でも娘の身売りはあったと聞きますが、そんな5歳児で抱かれることがあったのでしょうか。
来世は子供を売らなくても済む幸せな家庭に生まれて欲しいです。
今私がいる売春地帯の中には結婚資金を貯めるために働いてる子もいて、売春行為のあとに婚約者の写真を見せてくれました。事の是非は別にして、自らの意志でカラダを売る子達だけがいられる売春地帯であって欲しいです。
ガウ
ガウさん
精力に励んでますね(笑)羨ましいです!
鈴木様の記事やガウさんが知り合った方の話で未成年が売春地帯にいたという記事や話をよく聞きますが、実際に目にしたことがないので、おるんやろうけど、ほんとかな?と思ってしまいます。
実際、未成年に興味がなく会いたくもないですが、そのように話をされてる方は実体験をされてるので、裏の世界を知り、新たな自分を発見されてるでしょう。見方が変わってるかもしれません。
私も、その時自分がどのような衝撃や動揺を感じるのか、一時してどのように考えるのか。一度は現場を見てみたい。と若干思います。
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たまたまですが、今回行ったベトナム売春地帯にいました。
簡易宿の夫婦の子供かと思ったら売り物でした(汗)
試しに聞いたら処女ということで通常価格の10倍でした。
それでも日本人からしたら小遣いレベルの価格なので、そのうち売れるんでしょうね…。
ガウ
ガウさん
はぁ~そうなんですね><:
やはり貧困がなくならないかぎり、続くんでしょうね。ガウさんの文章を見た瞬間、とても残念な気持ちになりました。過去の話から現在の話でも何も変わってないんだと・・・
貴重な情報とご丁寧に返信ありがとうございます!