◆パッポン。ベトナム戦争が作り上げたアジア最大の歓楽地

◆パッポン。ベトナム戦争が作り上げたアジア最大の歓楽地

タイ編
東南アジアきっての歓楽街、世界で名だたる売春地帯、アルコールと音楽、退廃とエイズ、美しい女と妖しいガトゥーイ(性転換者)の溢れた現代のソドム。

多くの男たちの人生を狂わせた街、それがバンコクの一角にある毒々しい不夜城「パッポン」である。

はじめてこの街に足を踏み入れたのは1986年春のことだった。当時はまだ道を埋め尽くす屋台などはなく、どこか殺伐とした匂いが漂う筋金入りの売春街だった。

パッポンではいろいろな想い出が

現在のパッポンは、売春街というよりも女性や子供も楽しめる観光地になってしまったが昔は違った。あの頃のパッポンを歩いていたのは、欲望に目を血走らせた男と、一見して売春女性と分かる女たちだけだった。

当時からパッポンの主役はゴーゴーバーだった。

ゴーゴーバーとは、水着姿の女性がカウンターに立ってダンスしているのを見ながら酒を飲むシステムのバーで、これはもちろんアメリカから上陸したものだ。

店によって踊っている女性の数はまちまちだ。3人前後のところもあるし、20人以上が同時に踊っているところもある。

また、過激なところではトップレスを売りにしているところもあるし、さらに2階では、女性が全裸であったり、性器を使ったショーをしている店もある。

以前はセックス・ショーですら普通にあったが、これは厳しく罰せられて消滅した。

男たちはここで気に入った女性が見つかると、アイコンタクトをしたり、話しかけたりして女性を連れ出すことができる。この連れ出しのことを「ペイバー」と言う。

タイは一応、売春禁止法があるので、連れ出された女性が何をしているのかは店は関知しない。

女性が連れ出されたあとに客と肉体関係が生じたとしても、それは「自由恋愛」の結果であって、店が強制したのではないということになっている。

そうやって、売春防止法をザル法にしてゴーゴーバーを拡大させ、1980年代には、すでにこの街をアジア最大の歓楽街に仕立て上げていったのだった。

警官がなだれ込んできたこともあった

パッポンではいろいろな想い出がある。

一度、セックスショーの最中に大勢の警官が突入してきたことがあった。「ポリス!、ポリス!」と叫び声が聞こえ、その次の瞬間、経営者は店の電気を消してしまった。

真っ暗闇の中で女や客の叫びやモノが壊れる音などがして阿鼻叫喚の騒ぎになった。逮捕されたくないので、ペイバーしようとしていた女性と一緒に女子トイレに隠れて息を潜めていた。結局、かなり長い時間トイレの個室に隠れていると、いつの間にか騒ぎも収まって何事もなく店は再開された。

ポケットに入っていたマリファナ、捕まるかもしれないという恐怖、真っ暗な個室で一緒に抱き合って震えていた女性の強烈な香気、柔らかな肌の感触、そんな出来事が今ではとても懐かしい。麻薬と、女と、スリルと、セックスがそこにあった。

この街は若い人間にはあまりにも強烈で、どこまでも魅力的だった。結局、ここで覚えた退廃の味を捨てることができず、その後の人生を狂わされてしまった。

ちなみにこの頃はコーラが1杯40バーツ、レディ・ドリンクは30バーツだった。現在は大体どこの店もコーラ1杯90バーツ、レディ・ドリンクは80バーツくらいなので、物価は2倍以上に上がっていることになる。

ベトナム戦争がパッポンを生み出した

ゴーゴーバーのひしめく現代のパッポンの原型が形作られたのは1970年である。1970年と言えば、東南アジアはまさに激動の時代だった。近隣国ベトナムでは血を血で洗うような激しい戦争が展開されており、タイも戦争に無縁ではなかった。

ベトナムの大地を絨毯爆撃するための大型戦略爆撃機B52は、そのほとんどがタイのアメリカ軍基地から飛び立っていた。また、タイ陸軍はアメリカの要請によってサイゴンに「黒豹」と呼ばれた精鋭部隊すら送っている。

タイは資本主義国であり、共産主義には根強い反感感情があった。

それは言うまでもなくアメリカと同調する思想であり、そのためにタイ国軍はアメリカと全面協力の体制を作り上げたのだった。時の首相はタノーム、副首相はプラパートだった。

両人とも今では汚職と腐敗にまみれた暴君として名を残している。特に、副首相のプラパート・チャルサチエンは陸軍司令官を兼任しており、アメリカとの協調に傾倒して利権を漁っていた。

ベトナム戦争時代、このタノーム=プラパートの打算の入り交じった肝いりによって、タイ全土がアメリカ軍基地と化していった。


<<<ベトナム戦争時のアメリカ軍>>>

バンコクには米軍基地、ウタパオ(パタヤ)には海軍基地は当然としても、その他の地域、たとえばタークリーやコーラート、ナムポーン、ウボンラーチャターニーにも米軍基地が作られ、そこからB52がベトナムに出撃した。

通信基地もタイの至るところに作られ、特殊部隊もタイのいくつかの地域に拠点を置いた。

レクリエーションセンター

もちろん、CIAもやって来ている。パッポンにはエア・アメリカの事務所があったが、それはますます激しくなってくるベトナム戦争のために、いつしかCIAの司令塔へと変貌を遂げていた。ここで、刻一刻と変化する戦争の情勢を冷徹に分析していたのだ。

アメリカのアイゼンハワー大統領とダレス国務長官は、ベトナムに介入する理由として「ドミノ理論」を全面に打ち出していた。

ベトナムが共産化したのは中国共産主義革命の影響が強いとCIAは分析していたが、ベトナムが共産主義化すると、まるでドミノ倒しのように東南アジア全域が共産化してしまうという世論がアメリカで生まれた。

その結果、どんどん力を失っていくフランスに変わって、アメリカはベトナム戦争を引き継いだ。ケネディ、ジョンソン、ニクソンと、歴代の大統領はすべてドミノ理論の中でゲームを進め、アジアの泥沼の中に足を取られていった。

アメリカはアジアの貧しい国に簡単に勝てるはずだと思っていた。しかし、ホー・チ・ミン率いるベトナム労働党は激しく抵抗し、その結果アメリカは大量の爆弾と兵士をアジアに送り込まざるを得なくなった。

大量の若者が兵士としてアジアに向かった。米軍基地が林立するタイにも当然、アメリカの若者たちがやって来ている。当時は常時3万人から4万人もの兵士がタイに在住していたようだ。

ベトナムでは多くの若い兵士が最前線で負傷し、過度のストレスにさらされ、いつ終わるとも知れない戦争に苛立ち始めた。

そこで、アメリカの軍部は実質的な後方基地となっていたタイにレクリエーションセンターを作ることに決定した。

そのレクリエーションセンターの娯楽こそ、アメリカンスタイルのカウンターバーであり、ゴーゴーバーだった。


<<<1970年代のパッポン。昔は車が通っていた通りだった。>>>

狂乱の売春地帯の幕開け

1969年にはたったの5軒しかなかったバーは、女に貪欲なアメリカ兵士に後押しされて翌年には100軒を数えていた。アジア最大の歓楽街、現代のソドム、パッポンが誕生した瞬間だ。

明日の命さえ知らぬ兵士の金払いの良さは抜群のものがある。近い将来、死ぬ運命かも知れない兵士にとっては、金を貯めるという行為ほど無意味なことはない。

持っている金は全部使い切り、たとえ一文なしになったとしても、目の前の快楽を貪欲にむさぼる方が重要なのだ。

平常時の兵士でさえ、久しぶりに休暇が取れてどこかの港に上陸すると、夜の街に繰り出して気が狂ったように羽目を外す。

見境いなくアルコールと売春婦を求め、気前良く金をばらまくのは、現在のパタヤや沖縄ではお馴染みの光景だ。これが戦争時だったら、さらに暴走するというのは想像に難くない。

かくして、パッポンのゴーゴーバーにドル札が乱舞し、国中の若い女たちがパッポンを目指してやってきた。

ジミ・ヘンドリックスやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの激しいロックがゴーゴーバーに鳴り響き、紫の煙(マリファナの隠語)でバーが曇り、兵士が道ばたで奇声を上げ、赤い服を着た熱帯の女が外人(ファラン)の腕に絡みつく「退廃の世界」が日夜繰り広げられた。

そして1975年……。サイゴン陥落を迎え、ベトナム戦争が終息に向かった。傷つき、自信をなくしたアメリカ兵がベトナムから撤退し、パッポンからも潮が引いたかのようにアメリカ人の姿がなくなっていく。

ところが、1970年からサイゴン陥落までの5年間で、パッポンは東南アジア屈指の歓楽街として、すでにその名を欲しいままにしていた。

アメリカ兵がいなくなって入れ替わりにやってきたのが、東洋一の歓楽街の噂を確かめにやってきた観光客だった。

観光客が支えたパッポン

エキゾチックなオリエンタル・ガールを求める西ドイツやフランスの男たち、石油成金となったアラブ人、シンガポール人や隣国マレーシア人、そして驚異の経済成長を遂げた日本の男たちが中心だった。

やって来る男たちの質は変わっても、女が究極的な目的であることには変わりがない。女を供給するパッポンの勢いは、その後もとどまることはなかった。

タイ政府は決して認めようとしないが、パッポンやパタヤと言った歓楽街こそが、タイが観光立国として君臨し、世界中から観光客を呼び寄せる原動力になった。

今も昔も、パッポンのゴーゴーバーの頂点に君臨しているのは、華人系タイ人であるウィチャイ氏率いる「キングス・キャッスル」系列だ。キングス・キャッスルは系列ごとに女性のタイプが違っている。

一般論になるが、キングス・キャッスル1(KC1)は白人(ファラン)好みのきつい顔の美人が揃っている。褐色の女性たちのつける白のシースルーは魅力的だ。

白は肌の黒いタイ女性の美しさをもっとも引き出すインパクトのある色だ。恐らく経営者もまた同意見なのだろう。

そして、この店には必ず胸を躍らせる美しい女たちが在籍している。パッポンで数あまたのゴーゴーバーの中でもブランド力はナンバーワンであり、集客力も他とは格段に違う。

KC1は女性たちの競争も熾烈で、そこを勝ち抜いてきたしたたかで美しい女たちには華がある。ウエイトレスの可愛さも格別だ。


<<<キングス・グループはパッポンの支配者だった。今もそうかもしれない。>>>

様々なバー特徴

キングス・キャッスル2(KC2)は美人というよりも、かわいい感じの女性が揃っている。日本人の姿はかなり多く、日本語のできる女性もちらほら見かけた。

以前に較べると若干質が落ちていたような気もするが、やはり白のツートップ・ビキニを着たダンサーたちはセクシーだ。ウエイトレスも経営者が気合を入れて揃えてきているのが分かる。

ウエイトレスは青いジャケットに白いミニスカートをはいている。なかなかコケティッシュだ。

KC1、KC2が定番だとすると、KC3は少々毛色の変わったバーだ。恐ろしく美しい者たちが揃っていて幻惑されるが、そのほとんどはガトゥーイ(性転換者)である。

あまりにも完璧に女に変身してしまったガトゥーイに、最後まで彼女が男だったと気がつかない客もいる。

男が女に化けて気がつかないというのは、ガトゥーイの実態を知らない人間には嘘に思えるかもしれない。しかし、この店にいるガトゥーイと接すると愕然とするかもしれない。

一見して男だと分かるガトゥーイもいるが、ここでナンバーワンを張った「女性」を見れば、かつて彼女たちが男だったとは信じられない。それほど「女」に変身しているのである。

彼らはペニスを切り落として人工の膣を作り、ホルモン剤を飲み、豊胸手術を受け、顔までも整形手術で変えてしまっている。

さらに念入りに施された化粧、女性よりも女性らしいしぐさをして、清爽な香水を髪に振りまいている。そして、やってくる男たちを魅了するのである。

リップスティックは、かつて好きだった女性が在職していた想い出深い店である。隣にあるゴーゴーバー「ゴールド・フィンガー」と並んで1階に位置していたのだが、一度閉鎖の憂き目に合い、2階のライブ・ショーとして再出発して現在に至っている。

リップスティック

パッポンではじめて知り合った女性は、リップスティックがまだ1階にあった頃の話だ。

もう十数年前のことで、名前はマイと言った。彼女とはひどい別れ方をしてしまったが、一緒に過ごした甘い想い出は濃厚に記憶の中に残っている。(パッポンのマイ。なぜ自分はここまで堕ちたのかと、涙した

もちろんリップスティックに行ったところで彼女の姿はもうどこにもない。2階に移転した新生リップスティックは1階にあった頃のイメージの片鱗さえ残っていない。

この店はまったく別のバーとして生まれ変わってしまい、思い出が深いがゆえに、新しい店にはなかなか馴染めなくなってしまった。流れていた曲の雰囲気も変わった。

マイが好きだったのはスティービー・ワンダーの『 I just called to say I love you 』のような曲だ。バーでこの曲が流れると一緒に口ずさんでいた。

このようなシンプルな曲が当時のバーでは当たり前のように流れていた時代だった。今は、耳をつんざくようなダンス・ミュージックがそれに取って代わった。

ちなみにダンス・ミュージックは、時代の流行の曲がそのままノンストップに流れるものから、徐々にユーロの曲をダンス・リミックスとして提供するものが多くなった。

リフィフィやソイ・カウボーイの各バーはいまだに1960年代後半の、ちょうどパッポンが生まれたばかりの頃にかかっていた曲を「これが我々の原点だ」と静かに訴えるように流している。

キングス・グループ系は過去への未練はほとんど感じられない。流行をどんどん取り入れて驀進している。だから、常にナンバーワンであり続けることができたのだろう。

ここ5年ほどの間のパッポンを馴染んだ人たちには、恐らくベンガ・ボーイズに代表されるユーロ・ミュージックがパッポンを代表する曲になっているはずだ。ユーロ・ミュージックはパッポンを席巻している。

ライブショーは1970年代から何も変わっていない

ところで、パッポンのゴーゴーバーには1階の店と2階の店がある。1階は陽気に楽しむスタンダードなバーだとすると、2階はよりエロティックでハードコアなバーへと深化して男を待ち受ける。

1階ではオブラートに包まれていたセックスの匂いは、2階では剥き出しのまま目の前に現れる。1階の店はぼったくりバーはない。

しかし、2階の店になるととたんにぼったくりバーが増える。そして、知らないで入ってきた観光客を食い尽くすのである。

リップスティックは、もちろんぼったくりバーではない。

しかし、2階はぼったくりバーが多いという情報を知っている観光客はなかなかやって来ないので、店は比較的空いている。ステージはひとりかふたりの年期の入った女性がオールヌードで過激なショーを男たちに見せつけている。

ライブショーの内容は大体が女性器を使ったものになっている。性器で煙草を吸ったり、性器を巧みに使って物をつかんだり、性器で卵を割ったり、性器から果てしなく長いテープを取り出したり……、そんなところである。


<<<ポン引きが外国人観光客に見せていたチラシ。>>>

ショーの内容は実を言うと、1970年代から何も変わっていない。1974年に公開された映画『エマニエル夫人』はバンコクが舞台だが、彼女の夫がひとりゴーゴーバーに繰り出すシーンがある。

これを見ると今のパッポンの原型がすでに25年も前に形作られていたことがよく分かる。何しろ、お立ち台で踊る女性や、ショーの内容は今とまったく同じなのである。

タイのダンサーが女性器で煙草を吸うシーンもこの映画にはしっかり収録されている。

他にも、パッポンでは、スーパースター、キッスと言ったゴーゴーバーが軒を並べて、熾烈な競争を繰り広げている。

パッポンの一流店では、徹底的に女性同士を競わせて、質の高い女性のみが生き残る世界になっており、万人受けする美しい女たちがあらゆる手練手管を使って男を「落とす」。

「コーラ!」「コーラ!」

ところで、キングス・グループのオーナーが華人系であることは前に書いた通りだが、では他の店はどうなのかと言えばやはり華人系である。

ここパッポンでは、ほとんどすべてのゴーゴーバーは華人系が握っている。タイ社会に華人がいかに浸透し力を持っているかを示しているひとつの例だ。

また、パッポン地区の不動産をすべて一手に握っているのもまた華人系であることはよく知られている。パッポンパニッチ一族である。

この一族はタイ屈指の名門であり、タイを代表する金持ちになっている。実質的なオーナーであったウドン・パッポンパニッチは1986年10月に死亡し、ふたりの妹が後を引き継いでいるようである。

パッポンから徐々に歓楽街のイメージが失せて、健康的な観光地へと変貌を遂げようとしているのは、所有者が男性から女性に変わったからと邪推する人もいる。


<<<この看板を見れば、ゴーゴーバーのオーナーが華僑であることが分かる。>>>

しかし、本当はそうではない。あまりにも有名になったパッポンというブランドに他業種(屋台ショップ等)が割り込んできたのだ。それが徐々に目立つようになってパッポンは変わった。

今やパッポンはセックスの街というよりも、観光客相手の純粋なショッピングの街になってしまったかのようだ。

ショッピング目当ての女性観光客が増えれば、だんだんゴーゴーバーに入りづらいと考える男も増える。

また観光客が増えると、ゴーゴーバーも観光客を大量に「処理」するために、よりビジネスライクになってくる。

つまり、短時間で客から金を引き出そうとする。

ひとりの客に数人の女性がついて飲み物をどんどん奢らせるコーラ攻撃や、レシートのごまかし、水増し請求が日常茶飯事になった。

調子に乗って金を出す客だと分かると、店の女の子が入れ替わり立ち替わりやってきて甘い笑顔を浮かべ、「コーラ!」「コーラ!」と合唱する。

ゴーゴーバーは消え去る運命にある

金を払わない客だと分かると、そのうちにイグノア(無視)が始まる。昔と違って恐ろしくビジネスライクになった。それを不愉快に思って店を出たとしても、店側はまったく困らない。

なぜならパッポンは世界に名高い観光地だ。黙っていても客はどんどんやって来る。客の機嫌など取る必要がなくなってしまった街、それが今のパッポンだ。

オープンバーで白人に抱きつかれて嬌声を上げる売春婦たち、階段のブロックの中に隠した麻薬(ヤーバー)をこっそり取り出して不良外国人に売りつける売人たちの姿が、目に飛び込んでくる。初めて足を踏み入れたパッポンでも、確かこんな風景が当たり前のように見られた。

しかし、2002年2月から始まった社会の健全化を求めるタイの政治家・一般市民の声は徐々にパッポンを締めつけている。

経済成長をバネにして新たな自信をつけつつあるタイは、外国人が自国の女性を玩具のように買う風習を、段階を経て消し去りたいと思っている。

パッポンからひとつひとつゴーゴーバーが消えて行く。悪習は一夜にしてなくなることはないが、少しずつ消えゆく。

伝説のゴーゴーバー「リフィフィ」にしても、すでに店じまいして消えて行った。

ベトナム戦争から歴史を紡ぎ出した現代のソドムがこれからどうなってしまうのかは、誰にも分からない。

あまりにも観光地になりすぎたパッポンはさらに健全化し、かつてのパッポンを形作っていた性風俗はわきへわきへと追いやられてしまった。

ひとつ言えるのは、徐々に競争力をなくしたゴーゴーバーから消え去る運命にあるということだ。

パッポンは変わらざるを得ない。

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