カンボジア編
アジアをさまよって売春をする女たちと刹那的に一緒にいても、通り一遍では彼女たちの心の中を知ることは難しい。社会的な環境も違い、文化・世代・言語さえも違う。
自分と一緒にいる娘たちの心の中に何が渦巻いているのか、その正確なところは男たちには永遠に分からないものなのだろう。
プノンペンに降り立ち、70ストリートで女性たちとたわむれる。
熱帯の寝苦しい夜、ベッドの中で彼女がどんな生い立ちで、どのように堕ちたのか、たまに聞くことができる。ひとつの枕を分かち合いながら、彼女たちはいろんなことを話してくれる。
しかし、それでもやはり分からないのだ。
いったいなぜ、彼女たちは売春宿にいるのか。なぜ貧民窟70ストリートに流れてきたのか。なぜボロボロになるまで働いているのか。誰に縛られているのか。なぜ警察は彼女たちを保護しないのか……。
貧困のためにそうなったとか、警察は信用できないとか、いろんなことを断片的に聞く。
しかし、全体像がぼやけたままだ。彼女たちの置かれている状況というのがよく分からない。
たとえば、人身売買で売られたのなら、警察に駆け込めばいいのではないか、と最初の頃よく考えていたものだった。売春宿には毎日のように警官がやって来る。
彼らは捜査のためではなく、金をタカリに売春地帯に来ている。しかし、曲りなりにも警察官は警察官だ。
もし、娘が人身売買されて売春を強要されているのなら、やってきた警察官に助けを求めれば、必ずや救出してくれるに違いない。人身売買されたというのなら、なぜそうしないのか……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア カンボジア編』にて、全文をお読み下さい)
ちょうど一年前、カンボジアに行きました。
私は女性なので安全を考慮し、完全パックツアーで。
南国フルーツをいっぱいたべて、綺麗なアプサラダンスを見て、アンコール遺跡を沢山見て・・・と、典型的な旅行でした。
パンフに書いてあった「微笑みの国」というキャッチコピーに偽りはありませんでした。
しかし、親切なガイドさんが「警察にだけは関わるな」と言っていたのが印象に残っています。
あと、ポルポトの爪痕が色濃く残っていたのも驚きました。
売春婦を続けたいという言葉には驚きました。
支援や救済というのは、本当に難しいものですね。
「こうするのが正しいんだ。正しいあり方はこうだ」と押し付けることは傲慢なのでしょう。
本当に、世界の全ての問題の元凶は貧困かもしれませんね。
しかし今度は、「貧困」とは何を指すのかを考えていしまいます。
考え出すととまりません。
ゆっくりと読ませていただきました.
あらためて,人と人はどのようにして言葉を交わし関わるのか,生身の人間同士として.
旧約聖書のなかに,盲目の人がキリストの手によって光を与えられた話があったのを思い出しました.
>>私は(あなたの)目に見えない。
見えていると思っていても実はなんにも見えていないことがある.
もっと見えるようになりたい.
Tai