カンボジア編
カンボジアの首都プノンペンにはあちこちに置屋が点在している。
隆盛を誇った70ストリートが徐々に縮小するのと対照的に、市内の置屋は数も勢力も増しているようだ。勢い、夜になったら男たちは市内の置屋をふらふらと夢遊病者のように巡ることになる。
プノンペンの夜は人の姿が極端に減る。治安は悪く、銃を持った強盗が横行するので、人々は巻き添えを恐れて家から出てこない。
隣国タイでは夜中になっても子供たちが外で遊んでいるが、プノンペンの夜は救いようのない暗さに沈んでいるのだった。
昼間はあれほど喧噪に溢れていたプサー・トメイ(中央市場)も、夜になると誰ひとりとして歩いていなかった。ふと、クメール・ルージュがプノンペンをゴーストタウンにした歴史を思い浮かべる。
1975年4月17日。クメール・ルージュがロン・ノル政権を打倒した。筋金入りの共産主義者ポル・ポトがまず最初にしたのが、プノンペンの無人化だった。
プノンペンからすべての人が追い出され、地方に追いやられた。後に残ったのは略奪されて放置された大量の家財道具と舞い散るゴミであった。
誰もいない真夜中のプノンペンの街を歩いていると、今や25年も昔の話になった歴史の一章が脳裏に浮かび上がり、思わず背筋が冷たくなる。
治安の悪い夜のプノンペンは、いまだ忌まわしいクメール・ルージュの陰に支配されているかのようだった。人が誰も見えなくなった夜。この日も……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア カンボジア編』にて、全文をお読み下さい)
「売春宿に放り込まれれば、セックスだけを強要される。
知性も向上心も危険視されるだけ。」
すごく辛いです。お前はセックスだけしてればいいんだ!と
自分が言われたように辛い文章でした。
手紙を書くいじらしい彼女、どうか母親に会えますように。