閲覧注意
ここ数日、パキスタンのニュースの一面を飾っているのは、ファクラ・ヨーヌスという女性の自殺の記事である。彼女はパキスタンの女性で、自分の夫にアシッド・アタック(酸攻撃)された。
顔面は破壊された。鼻も口も、すべてが完全に溶解して呼吸ができないので攻撃を受けたその日のうちにも死亡すると思われた。
それほどの損傷だったにも関わらず、彼女は奇跡的に生き延びた。それから10年。彼女は36回にも及ぶ整形手術を耐えてきた。
絶望のあまりに死んでいった女性
しかし、自分を攻撃した夫ビラル・カーが、パキスタンでなんと無罪になった。無罪放免だ。
この男は元国会議員にしてパキスタンの権力者の息子、もっと具体的に言えば、パンジャブ州の知事の息子であった。
女性は男の付属品とでも思っているイスラム教国の女性蔑視と、権力者なら何をしても構わないというパキスタンの実情が絶妙に合わさった結果の無罪だ。
この無罪はもちろん、この残虐で自分勝手な男が権力者としてのコネクションを使った結果だとパキスタンの市民は信じている。
ファクラ・ヨーヌスはそれに絶望し、彼女は自分に支援を差し伸べてくれていたイタリア・ローマの治療中の建物の6階から飛び降り自殺をしたのだった。
2012年3月17日。享年33歳だった。
彼女は問題のある貧困家庭に生まれ、若くして売春をしながら生計を立てていたが、やがては美しいダンサーとしてカラチで知られるようになっていった。
そこでカラチのパーティーで夫となるビラル・カーと知り合って結婚するのだが、結婚した瞬間に夫の態度は豹変したのだという。夫は暴言を吐き、罵倒し、殴る、蹴るの暴行を加えた。
ドメスティック・バイオレンスに耐えかねたファクラ・ヨーヌスは、実家に逃げ帰ったのだが、そこにビラル・カーは追いかけてきて、彼女の息子の目の前で酸をぶちまけた。
それで無罪になるのだから、ファクラ・ヨーヌスでなくても絶望するのは当然だ。
女性にとっての暴力国家
アシッド・アタック(酸攻撃)は女性に対する攻撃としては最悪の部類に入る卑劣な犯罪だ。
しかし、残念なことにイスラム教国家ではこれがまったく珍しいことではない。
イラン・アフガニスタン・パキスタン・バングラデシュの4国は特に最悪だ。
私はバングラデシュでアシッド・アタックされて背中に大怪我を負った女性と、顔から腕にかけて皮膚が溶けたまま放置されている男を実際にこの目で見てきている。
それだからこそ、この凄絶なまでに悲惨な犯罪に対しては誰よりも激しく憤っている。
日本の女性団体が、あるいは世界の女性団体が、女性の権利云々と言うならば、なぜイスラム教そのものを激しく糾弾し、イスラム教と闘おうとしないのか不思議でしかたがない。
女性がイスラム教を見て見ぬ振りをすればするほど、ファクラ・ヨーヌスのような悲劇が続出し、それにも関わらず加害者が平然と世間に居座るような社会になる。
本当のことを言えば、女性はすべての宗教に対してあまりに無邪気になりすぎていると言いたいのだが、そこまで覚醒できる女性はほとんどいないだろう。
だから、せめて男性優位・女性蔑視を公然と示しているイスラム教くらい反発してほしいと切に願う。
パキスタンでは、アシッド・アタック、共生結婚、その他の女性に対する暴力が年間で8,500件以上も起きているのである。暴力が女性に向いている。
別の言葉で言えば、パキスタンは「女性にとっての暴力国家」と言ってもいいほどだ。パキスタンだけではない。イランも、アフガンも、バングラデシュも、すべて事情は同じだ。
サウジアラビアでもレバノンでもイエメンでもソマリアでも女性たちが鞭打たれ、焼かれているではないか。
そんな地獄のような宗教国家に、女性たちが閉じ込められて息もできないでいる。
イスラムはすでに女性をがんじがらめにしている。内部の女性が逆らえば、みんなファクラ・ヨーヌスやスアドやビビ・アイシャのようにされてしまう。
だから、イスラムの外にいる女性たちが何とかしなければ、イスラムの人権侵害はとめられないだろう。
それだというのに、世界中の女性たちは誰もファクラ・ヨーヌスに見向きもしない。関係ないのだろうか?
とても、残念だ。
こんな目にあっているイスラムの女性たちに対し「関係ないよ」とは思っていません、私はイスラム外でありますが、だからといって闘えば「明日は我が身」と思われ、とても怖くて・・・。
私なら即死かもしれません。
いえ、死にたい。。。(泣)
では、一方で私には何ができるのか。たとえ政治家になっても、外政干渉は難しいでしょう。NGOや国連機関でも難しいでしょう。
「悪魔の詩」を翻訳した日本の大学助教授は殺害されていますよね。犯人は迷宮入り。「作者」でなく「翻訳」しただけでも殺されてしまうのです。本当に恐ろしい。結局は、アメリカが国力を回復して戦争でもふっかけるしかないのですかね。でもイスラム教自体は既に一つの国家だけに浸透しているのではありません。なので、せめて宗教と法律を分離して考えるよう世界がそれらの国家に対して呼びかけるしかありません。信者の増えた宗教をなくすのは難しいです。せめて法律や統治が正しく行われるようになって欲しいです。そうするには・・うーん、もうちょっと考えてみます。
ひとつひとつ紹介したいのですが、それができないほどアシッド・アタックの「流行」が止まりません。女性の顔を破壊する流行です。嫌な時代が続きます。
(鈴木 傾城)
でも、キリスト教の国が、無理に変えようとして、余計に保守派はより過激になっているそうです。事実、アシッドアタックなんて恐ろしい事は、絶対無くならないといけないと思う。
欧米の言う、イスラム教を鵜呑みにしては、いけないとも思います。
何もムスリムでなくても暴力的な人は世界中にいますが、法治が正しく機能していれば、宗教に関係なく加害者は裁かれます。それが正しい法治国家と言えるでしょう。また、アシッドアタックなどをしても法が健全に機能しない国家においては、伝統的に女性を支配し暴力をふるうのがDNAに染みついてしまっているかのような人が多いのが現実です。周りの人や親達がそうだったから、子供もそれが当たり前と思っているのでしょう。また、その地域や部族では慣習として染みついている場合もあります。別に本来はイスラム教とは関係なくても、イスラムの教義を男性にとって都合がいいように解釈して用いる場合が多い、というだけです。
しかし少なくとも「アラー・アクバル」と唱えながら人の首を切るのが良いことでないのは無いのは誰の目にも明らかでしょう。アラーも迷惑に思っていることでしょう。こんなことを書くと私も狙われるのかな、という恐怖を与えるだけの悪影響を及ぼしていることだけは確かです。
本当にそうですね、アラーも迷惑だと思います。
魔女狩りも、ヒンドゥのアンタッチャブルもひどい目にあってきて、宗教を、政治に使うとロクなことがおこりませんね。宗教も元々は道徳的で人道的だったと思うんだけど。。。。。
涙が出るお話ですね。
しかし、確かに女性団体、非イスラム圏の女性には、
渦中の女性たちを救うため、
イスラムの男たちと闘う必要は、
あるのかもしれませんが、
それは、
闘わなくてはいけないのは
女性に限ったことでは、
ありませんよね。
これは、もちろん性の別が
発端にはなっているお話ですが、
人の尊厳や命の重大さには
性差はもちろんございません。
アシッドアタックは、女性の被害の話が
中心なので、
ご覧になられた放置男性が
酸をかけられる経緯や、ほかの
男性の被害について、
興味がわきましたね。
こういう、ネットのような
半永久的に残る媒体で報告すること、
これもまた、闘う一つの手段なんでしょうね。
イスラム教。。本当に何とかならないのか、考えます。現在の宗教は、当初の教えをかなりゆがめてしまっていて、悪いとこしか残ってない。三輪さんがおっしゃるように、宗教と信仰は違う。
狂った宗教信奉者ははやく間違いに気づいてほしい。。
戦うことは難しくても、祈りでそういう世界を変えることはできると思います。一人でも多くの女性が愛をこめて祈れば、きっと世界は変わると思います。
私はそのために活動します。