ストリート漂流

◆大阪・宗右衛門町。大阪ミナミを代表する巨大な歓楽街の光景

大阪の宗右衛門町は「そうえもんちょう」と呼ぶのが正しいのだそうだが、大阪の人たちは「そえもんちょう」と呼んでいる。 宗右衛門町は大阪ミナミ屈指の観光地である道頓堀・戎橋(えびすばし)から橋を渡った向こう側にある巨大な歓楽街である。東京を代表する歓楽街が新宿・歌舞伎町であるとするならば、大阪を代表する歓楽街はミナミ・宗右衛門町である。 私はそのどちらの雰囲気も好きだ。街の派手さやいかがわしさで言えば […]

◆そして神戸。元町の南京町、大安亭市場。そしてソープ街「福原」を歩く

アンダーグラウンドには、身体と性サービスを売りながら、日本を転々として回っている女たちがいる。今、私はこうした女たちを追いかけて話を聞いている。(アマゾン:野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト) 女性は一ヶ所に定住する傾向があるのだが、風俗の女たちは意外に流れ者のように生きていたのである。 その理由は「身バレしたくない」「追い込んで稼ぎたい」「地元に働き場所がない」「諸般の事情で地元にいられな […]

ブラックアジア:ストリート漂流(日本のいわくありげの街を写真で見る)

日本のストリートを漂流して書き留めた記事がかなりの数になってきましたので、ひとつのカテゴリーとしてまとめておきます。「ブラックアジア:ストリート漂流」と名付けました。鈴木傾城が実際に街を歩いて記録したものです。主に撮りためた写真でコンテンツを構成しております。

沖縄潜伏。基地問題、貧困問題、流れ者の女たちで沖縄に興味を持った

「沖縄」のことは以前から気になっていた。世間では沖縄の基地問題で揺れていて、沖縄のニュースを目にしない日はない。 普天間基地のことや辺野古移設問題のことは、沖縄に行ったことがなかった私ですらも地名が分かるほどだった。 日本の地図を俯瞰すると、沖縄がひとつの要所になっているのに誰でも気づく。防衛上的にも沖縄に基地が必要であるという意識は日本人には共通認識としてある。しかし、広大な基地を沖縄県人に押し […]

◆宇都宮にはタイ料理屋・タイマッサージ・飲み屋が林立していた

2018年6月23日、栃木県宇都宮市のオリオンスクエア・オリオン通りにて「第1回 宇都宮タイフェスティバル 2018」が開催されていた。 なぜ、栃木県なのだろう。面白いことに、栃木県にはタイ人もたくさん住んでいる。宇都宮市が出している『国籍別外国人登録人口(人口統計情報)』によると、平成27年にはタイ人は692人住んでいると記録にある。 最も多いのが中国人で2386人、次に韓国人で988人。タイ人 […]

◆滝井新地。新地が自然消滅するとすれば、ここが最初かもしれない

大阪には、5大新地(ちょんの間地帯)がまだ残っているというので、これらが時代の波に流されて消えゆく前にすべて見ておきたいと思った。 というのも、関東では「町田・たんぼ」「横浜・黄金町」もすべて政府当局によって叩き潰されており、町田のちょんの間の雰囲気を愛していた私には、少なからずのショックを覚えていたからだ。 町田については、電子書籍の小説『グッドナイト・アイリーン』に書いた。町田ちょんの間の主役 […]

◆横浜寿町。日本三大ドヤ街の1つも高齢者の街になっていた

横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区とならぶ三大ドヤ街の1つとして知られているところだ。寒風が吹きすさぶ2017年12月の真っ只中、私は東京から横浜に向かい、この寿町を歩いてみた。 寿町は横浜からJR京浜東北・根岸線に乗って3つめの石川町が最寄り駅となる。 ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線 […]

◆山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える

日本は少子高齢化を放置してきたので、地方からどんどん寂れてしまっている。人口は急激に減少して、地方の僻地どころか、地方都市そのものまで人口が消えてマンションや民家に空白が増えている。 地方のこの惨状は、実際に自分の目で見て見ると「本当に日本はこのままで大丈夫なのだろうか?」と背筋に冷たい汗が流れるような恐怖に駆られる。 以前、広島の人口減で消えていく村や、廃墟になりつつある民家の写真を紹介したこと […]

大阪のドヤ街「あいりん地区」はどんな光景だったのか?

かつて労働者の街と呼ばれた大阪のドヤ街「釜ヶ崎」は今では「あいりん地区」と呼ばれるようになっているのだが、名前が変わったのと同様に、街の性質もまた変わっている。 この街はもう労働者の街ではなく、福祉の街である。福祉の街というのは、福祉が行き届いた街という意味ではなく、年老いた労働者が生活保護や年金を搾取されながら暮らす街になったということだ。 生活保護を受給するためには、そうした交渉に慣れた人間が […]

◆鈴木傾城、あいりん地区で1泊1000円のタコ部屋に沈む

大阪のあいりん地区は、かつては「釜ヶ崎」と呼ばれた場所で、東京の山谷と共に日本を代表する「ドヤ街」である。ドヤ街とは「宿(やど)」を逆さに言った言葉である。 裏社会の人間は、自分たちが「裏側」であるという意識があるので、表側の人間が「やど」と言えば裏側の彼らは「どや」、「おんな」を「なおん」、「がくせい」を「せいがく」と逆に言って隠語にしてしまうのが好きだ。 そんなわけで、あいりん地区は宿街ではな […]

◆鶯谷(うぐいすだに)。山手線内で最も嫌われている場所

鶯谷は山手線内で最もイメージが悪い街だ。上野の次の駅というのに降りる人はあまりおらず、「山手線の中で一番乗降客数が少ない駅」としても知られている。 駅自体が何となく再開発から放置されており、誰もこの駅を気にもしない。そのため、この駅を降りると時代が急に20年も30年も逆戻りしたような感覚になる。 なぜ、この街は放置され、東京の人間もこの街を話題にするのを避けようとするのか。 その理由は簡単だ。鶯谷 […]

◆大阪・十三(じゅうそう)は今でも歓楽街の空気が濃い街だ

東京で風俗や水商売がひしめく猥雑でいかがわしい歓楽街と言えば「新宿・歌舞伎町」がすぐに思い浮かぶ。しかし、もちろん東京の歓楽街は歌舞伎町だけでなく、池袋も渋谷も銀座も歓楽街と言えば歓楽街だろう。 他にもソープランドが立ち並ぶ吉原だとか、ホテル街のある新大久保だとか鶯谷だとか、特色のある街が点在している。 大阪もまったく同じなのだが、猥雑さから言うと東京よりも大阪の方がはるかにディープで面白い。 大 […]

◆再び町田へ。次に町田に外国人女性が戻るのはいつなのか?

私は電子ブックで小説『グッドナイト・アイリーン』を発行している。町田の売春地帯がどのようなところだったのか知りたい方は、どうぞ読んでみて欲しい。(『グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」の闇にいたタイ女性(鈴木 傾城)』) 小説なので、脚色は入っている。しかし、内容の8割は真実に基づいていおり、登場人物もひとり残らずモデルがいる。 アイリーンという女性は本当にいたし、もしかしたらありし日の彼 […]

◆かつて巨大遊郭地帯だった大阪「松島新地」を歩いてみた

昭和32年(1957年)に売春防止法が施行されて日本から消え去ったのが赤線地帯と呼ばれる特殊な地域である。 こうした場所は、今で言うところの売春地帯だが、こうした売春地帯が日本に存在するのは「恥」だとして歴史から消されていった。 東京では吉原遊郭、大阪では松島遊郭、京都では島原遊郭が有名だったが、この中で松島新地は「大郭(おおくるわ)」として一時期は吉原をも凌いで日本最大の規模を誇っていた場所であ […]

◆中国地方最大の歓楽街である広島の「流川」を歩いてみる

岡山県・広島県・山口県・鳥取県・島根県の5県をまとめて中国地方と言うが、この中国地方の中で最も人口も多く、栄えているのが広島県だ。 広島は1945年8月6日に壊滅的打撃を受けたが、そもそも原爆の目標になったのも、広島が軍港であり、大日本帝国軍の広島大本営が設置されていた場所だったからである。 中国地方で最も重要な都市が広島だったわけで、戦後もまた広島が中心であることには違いない。 そして、この中国 […]

◆滅びゆく地方の光景。やがてそれは日本の致命傷になる

広島から岡山を奥地に奥地に巡っていくと、あちこちで限界集落を目撃することになる。 大都会の人たちが無視して見捨ててきた地方は疲弊を止めることができず、村は見捨てられ、かつては子供たちを育んできた共同体は消えた。 日本の地方は日本の文化と伝統を育んできた豊穣の大地であったはずなのに、大都会はこの地方の人材を根こそぎ吸収して地方を崩壊させた。 人々が消えた地方は寂れていき、見捨てられていき、やがて立ち […]

◆大阪。あいりん地区と、飛田新地に寄ったので歩いてみた

大阪に入って、梅田をうろうろ歩いていたのですが、今日は朝の9時頃に天王寺付近にいたところで、大阪環状線の人身事故でまったく電車が動かなくなりました。 どうも、今宮駅で人身事故があったということですが、1時間以上も再開不能とのことです。 まあ、このようなことは海外ではよくあることなので、のんびり待っていたのですが、どうにも動かないので、予定を変更して事故の遭った今宮の手前である新今宮という駅で下車し […]

◆広島(3)原爆スラムが消えた跡と老朽化する高層住宅

1945年の原爆投下によって広島は壊滅的な打撃を受けた。 一瞬にしてすべてを焼き尽くされて自らも被曝してしまった人たちの群れと、何もかも失ってしまった人たち、さらに戦争から戻ってきた兵隊や引揚者が、広島の広大な焼け野原に取り残されていた。 広島はもはや人間の住む場所ではなくなったとして出て行く人たちも多かったが、一方で広島で何とかするしかない取り残された人たちも多かった。 終戦直後、「広島は何十年 […]