広島

原爆が投下された広島の惨劇は、いよいよ重みを増していく

閲覧注意1945年8月6日、リトルボーイと呼ばれたウラニウム型原爆が広島上空高度約600メートルの上空で爆発した。 これによって爆心地500メートル圏内が一瞬にして吹き飛び、燃え上がっていった。 この圏内にいた人のほとんどは即死、即死を免れてもその後の数ヶ月で放射能症で死亡している。死亡率は99%。 この1%の中には、燃料会館の地下室にいたことで奇跡的に生き残った野村英三氏がいる。ただ、原爆の爆発 […]

◆中国地方最大の歓楽街である広島の「流川」を歩いてみる

岡山県・広島県・山口県・鳥取県・島根県の5県をまとめて中国地方と言うが、この中国地方の中で最も人口も多く、栄えているのが広島県だ。 広島は1945年8月6日に壊滅的打撃を受けたが、そもそも原爆の目標になったのも、広島が軍港であり、大日本帝国軍の広島大本営が設置されていた場所だったからである。 中国地方で最も重要な都市が広島だったわけで、戦後もまた広島が中心であることには違いない。 そして、この中国 […]

◆滅びゆく地方の光景。やがてそれは日本の致命傷になる

広島から岡山を奥地に奥地に巡っていくと、あちこちで限界集落を目撃することになる。 大都会の人たちが無視して見捨ててきた地方は疲弊を止めることができず、村は見捨てられ、かつては子供たちを育んできた共同体は消えた。 日本の地方は日本の文化と伝統を育んできた豊穣の大地であったはずなのに、大都会はこの地方の人材を根こそぎ吸収して地方を崩壊させた。 人々が消えた地方は寂れていき、見捨てられていき、やがて立ち […]

◆広島(3)原爆スラムが消えた跡と老朽化する高層住宅

1945年の原爆投下によって広島は壊滅的な打撃を受けた。 一瞬にしてすべてを焼き尽くされて自らも被曝してしまった人たちの群れと、何もかも失ってしまった人たち、さらに戦争から戻ってきた兵隊や引揚者が、広島の広大な焼け野原に取り残されていた。 広島はもはや人間の住む場所ではなくなったとして出て行く人たちも多かったが、一方で広島で何とかするしかない取り残された人たちも多かった。 終戦直後、「広島は何十年 […]