2020年からのコロナ禍で仕方なく東南アジアの歓楽街にも行かなくなり、日本でも社会の裏側で生きる女たちと会わなくなった。さらに、私に情報をくれていた風俗嬢も現役を引退して東京を離れた。(現役の風俗嬢で、定期的に現場の情報をくれる東京近郊の女性がおられたら連絡ください)
コロナ禍は私の環境を何もかも変えてしまった。たった2年と少しの間に私は真夜中の世界から完全に切れて、今では聖人君子みたいになってしまっている。それが悪いわけではない。そういう環境でも、それなりに生きていける自分には安堵した。
しかし、何となく表社会で取り澄まして生きている自分に「居心地が悪い思い」が心の奥底にはあった。たった2年で自分の人生が他人の人生みたいになってしまったような、何か遊離したようなものを感じたりする。
すでにコロナ禍も3年目だ。今さらコロナで騒ぐような人は誰もいない。そうであれば、いつまでも自分のホームグラウンドから離れ続けているのも奇妙だ。
「そろそろ、あの裏側の世界に戻るか……」
そんな気持ちがふつふつと湧いてきている。世間から爪弾きされているあの世界、関われば間違いなく後ろ指さされるようになる夜の世界、金と欲望だけで出来ている不毛な世界。あの世界がとても懐かしい。
戻ったところで一円の得にもならないが、野良犬の人生に戻って真夜中をうろつき回りたいという気持ちは日増しに強くなってきている。結局、あの夜の暗闇で起きている世界が私の愛する世界でもあるというのをこの2年で実感した。
社会の裏側でひっそりと生きている女性に、今も私は惹かれ続けているのである。
いつまでも野良犬のように真夜中の世界をうろついた
真夜中に生きる女たちの人生を知ることが私の人生だった。これからも、彼女たちの生きている世界を知り、彼女たちの生き様を知り、そして彼女たちに感化されて人生を考えたい。
私は二十歳《はたち》の時にドロップアウトして、東南アジアをうろつきながらゴロツキのような生き方をしてきたはずた。どちらかと言えば、いつも他人に顔をしかめられ、罵られ、排除されるような人生だった。
今もそうだが、私は常に裏側の人間であり続けている。
20代の頃、私は夜の世界から抜けられない自分の運命を悟って、いつまでも野良犬のように真夜中の世界をうろついて、あの愛すべき女たちと関わりながら生きようと決めた。
表社会から爪弾きされるのは覚悟の上で、裏の女たちとだけ関わって生きるようと思った。その思いは今も私の中にある。
このサイト『ブラックアジア』も、東南アジアに点在していたスラムやレッドライト地区の女性たちとの関わり合いを描くものであった。
さまよった国や関わった女性は、タイ・カンボジア・インドネシア・インド・バングラデシュ・フィリピン等々、多岐に渡っている。
貧困の女たちとの膨大な関わりに関しては、書籍のブラックアジア・シリーズでまとめている。東南アジアの裏の世界がこのサイトの原点でもある。(『売春地帯を、さまよい歩いた日々』これがブラックアジアの原点)
しかしながら、このサイトを立ち上げた23年前と今では様相が違ってきている。
日本はまったく成長しない国となり、昨今の社会を見ても分かる通り日本人の経済状況は非常に悪化している。一方で、日本の低迷をよそに東南アジア諸国は勢いよく経済成長して荒んだスラムやレッドライト地区は縮小しつつある。
日本人の多くは東南アジアに長期沈没するということがなくなり、東南アジアの貧困地区やレッドライト地区も縮小し、マイルドになってきた。
依然として闇は存在するが、日本人はそこに到達できなくなっているので、ほとんどの日本人にとって東南アジアのレッドライト地区の光景は、今はもう昔話どころかファンタジーの世界になりつつあるということだ。
日本女性が道ばたに立ってストリート売春する現実がリアル
これは東南アジアのスラムやレッドライト地区という存在そのものが、大半の日本人にはもうリアリティーのない世界になったということを意味する。
むしろ、大半の日本人にとっては自国の女性が貧困に堕ちて、セックス産業で働いたり、道ばたに立ってストリート売春するようになっている現状の方がリアルな関心ごとだろう。
私自身は2000年代の早い段階から、日本の女性が困窮化して若い風俗嬢やストリート売春する女性が増えるというのは予感として持っていて、それはこのブラックアジアでも長らく取り上げてきた話題でもあった。
そして、2014年から日本の風俗嬢と会うようになって話を聞いたり関わったりして、3冊の書籍にまとめている。日本の裏側の女たちを追ったシリーズだ。
『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト』を発売したのは2年半ほど前なのだが、コロナ禍もあって、そこで日本の夜の世界の女たちに会うのを中断していた。
しかし、日本女性の本当の困窮は「これから」である。日本の女性は「国は成長しない、政府は増税ばかりで機能不全、実質賃金は上がらないのに物価だけは上がる」という三重苦の中であえいでおり、特に女性が年齢問わず大ダメージを受けている。
まったく良くなる兆しのない凋落していくばかりの絶望の国の中で、彼女たちの多くは経済的安定も失った。
それだけではない……。
彼女たちに会うために野良犬に戻るべきなのだろう
日本でもずいぶん前から個人主義やフェミニズムがジェンダー(性別)の分断を加速させていて、男たちもすでに「女が貧しくなろうがなんだろうが知ったことか」という感情を持つようになってきている。
男たち自身も貧しくなったし、女性の苦境に同情も関心も持たなくなった。日本は世代によってもジェンダーによっても、ズタズタに分断されてしまった国なのである。
そんなわけで、日本女性たちもまた社会のセーフティーネットを喪失して、弱肉強食を剥き出しにした社会の中で最底辺に蹴り出されている。だから、もう若い女性が道端で寝たり、ストリート売春したりする光景さえ普通に見かける。
とすれば、私は今こそ日本の真夜中の女たちを追う必要があるのだろう。
日本も裏の業界に生きている女たちが数十万人も存在するのだ。凋落していく日本の「どん底の部分」に彼女たちがいて、これからも増えていく。安全圏を失った「這い上がれない女たち」はどこに向かっていくのだろう?
彼女たちが何を考え、どうやって生きて、どんな人生を送ってきたのか興味がある。私は常に裏の世界で必死に生きる女たちから学んで来たし、今でも彼女たちを崇拝している。
だから、そろそろ彼女たちに会うために私も野良犬に戻るべきなのだと思うようになった。そんなことをここ1ヶ月ほどぼんやりと考えながら、日々を暮らしていた。
これから再び社会の裏側をほっつき歩きながら、そこで出会った女たちの生々しいルポを書いていこうと思う。
半年から1年ほどである程度の分量が溜まったら書籍として刊行し、上記の3冊に続くシリーズとして出す予定でもある。ブラックアジアの読者は、このサイトの会員制の中でリアルタイムに読んで頂けたら嬉しい。
ルポとしてだけでなく、実際に出会った女性たちをモデルにして、現実に起こった事件を組み合わせたスタイルの小説も書いてみようと思っているのだが、モデルとなる女性も実際に出会った女性を描写するものにしたい。
真夜中の街には私たちが伺い知れない人生を送ってきた女たちがいて、彼女たちの話を聞くのは私にとっては何よりも大切なことでもある。それこそが自分のアイデンティティであるとも言える。
おー!いよいよ復活ですか!
傾城さんの書籍みんな読んでます。
野良犬の女たちのやつも独特の世界観があっておいらは好きやね。
もうこういうのヤメてしもたかと思ってたので復活大歓迎。
またインドやカンボジアとかも期待してます!