このサイト『ブラックアジア』で2年近く書いてきた『野良犬の女たち』ですが、本日アマゾンのKindleで電子書籍化しました。
(ブラックアジア:野良犬の女たち(ジャパン・ディープナイト))
同時に、サイト内の『野良犬の女たち』は削除して読めなくなっております。今後、ご関心のある方は本書を手に取って読んで頂ければと思います。
路上に立つ女たち、日本全国を流れて性産業で生きる女たち、沖縄に出稼ぎに行く女たち、外国から来た女たち、場末の風俗の女たち、そしてトラブルの渦中にいる女たち、風俗にどっぷり浸った女たち……。次から次へとアンダーグラウンドに生きる女たちが登場するのが本書です。
ブラックアジアのひとつのコンテンツとして読んで下さった読者も、電子書籍として「ひとつの塊」となった形で読むと、その濃密さに驚かれると思います。サイトで読むのとはまったく違う空気感に圧倒されるはずです。
書籍という形で読むのは、枝葉末節を省いたひとつの確立された世界観に浸るということでもありますので、是非「書籍」として読んで欲しいと思っております。
ちなみに、この書籍で取り上げている女性たちは2018年〜2019年までの2年間で知り合った女性たちで、「コロナ以前」の女たちです。
アフターコロナ(コロナ以後)の世界が以前の姿に戻らないのであれば、この書籍はきっと「コロナ以前はこうだったのか」という読まれ方になるのだと思います。
野良犬の女たち(ジャパン・ディープナイト)
彼女たちの心象風景や生き方は私のそれと生き写し
『野良犬の女たち』の野良犬というのは、路上で売春する女たちや、日本の各地の性風俗を転々としながら生きている女たちの生き様を象徴している言葉です。
私自身が東南アジアの売春地帯から売春地帯へと流浪しながら生きてきた「野良犬」みたいな人間なので、私と同じように野良犬のように生きている女性にはとても強く深い共感を持っています。
彼女たちの心象風景や生き方は私のそれと生き写しのようです。
誰にも干渉されたくない、誰にも命令されたくない、世間から弾かれている、世間から嫌われている、友人もいないし意図的に作らない、まわりの人には裏切られっぱなし、愛に飢えているのに誰もが通り過ぎるだけ……。
一箇所にじっとしていられない、いつも飛び立つことを考えている、刹那的に知り合って刹那的に別れることを繰り返す、生き方を理解してくれる人は皆無、いつも孤独、いつも切羽詰まっている……。
アンダーグラウンドに長く生きてきたら最終的にそうなるのか、それとも最初からそうした性格や傾向がある人間がそうなるのかは分からないのですが、彼女たちの生き方は私の生き方と根底の部分がよく似ているのです。
だから、私は「野良犬」のように社会のどん底(ボトム)でさまよい歩きながら生きている彼女たちに深く共感し、まるで自分の仲間のような気持ち、自分と同じ種族に会ったような気持ちになってしまいます。
私は彼女たちを見つめながら、自分自身を見つめているのかもしれません。『野良犬の女たち』は、そんな一冊です。そういった野良犬の女たちに関心のある方は、どうぞ読んでみて下さい。
お疲れ様です!(現場か•笑)私は具体的にどのようにかは知らないのだけれど、こうして電子書籍にまとめるのはとても労と丹精を要すると拝察いたします。
口伝、石板、羊皮紙、パピルス、紙と情報の保存の方法は利便性と未来永劫にわたって保存されかしの切ない願いとともに移り変わってきました。今は膨大な情報量を電子的に保存する方法が開発されました。物体として残す方法から一歩つきぬけたと私は思います。
伝説の?エメラルド版を思わせるものがありますがそんなものが本当にあったとしても今や伝説になっている以上、それ相応の、しかも高度文明的な「エネルギー源」の持続的な供給と受容方法が壊れればそれとても消滅ざるを得ないだろうとも思います。
ですがブラックアジアには、私もその一員である、傾城さんのご文が好きで共感している、今現に生きているたくさんの読者がいます。そもそも傾城さんも私達自体も遅かれ早かれ死んで消えますが、だからといってつたえる、受ける、できれば残す努力を空しいなどと放棄するのは何でか知らないが現に今あることの全否定だと私は思うのです。
記憶を綴りのこすためにあらゆる方策をつくす傾城さんに敬意を表します。
私達読者はそれを確かに共有しているのですから。
auroreさん、ありがとうございます。
先日は神保町に行って、久しぶりにあちこちの本屋を巡ってきましたが、純粋に本を売っている店はもう高齢者しかいない感じで、コンテンツとしての「文章」の低下は強く感じてしまいますね。そういう時代になったのだと思って悲しい気持ちも溢れます。媒体は、すべてデジタルに移行する時代です。「紙」の媒体のあり方が根底から問われるようになっているのだと思っています。