◆女の息づかい。目的はすでに失われ、ただ反復しているだけ

◆女の息づかい。目的はすでに失われ、ただ反復しているだけ

タイ編
カルカッタからバンコクに戻るとすでに夜になっていた。体調はあまりよくなかった。

インドではあまりにいろいろなことがありすぎて疲労が蓄積していた。カルカッタの安宿でベッドに横たわりながら、無理しないで休息を取ろうと思ったときだった。

不意にバンコクに戻りたいという気持ちになって、たまらずに戻ってきた。

あの見捨てられたエリア

スクンビット通りやパッポンは人が多いので寄りたいとは思わなかった。しかし、ヤワラーはまだかつての怠惰で無気力なタイの雰囲気が残っている。

あそこは観光客もいなければ、ファランも日本人もあまり見ない。

今の疲れた身体には、ヤワラーくらいしか受け入れてくれる場所はないような気がした。

ファランポーン駅から運河をひとつ渡ってヤワラー通りに入るまでの、あの見捨てられたエリアは、愛憎が入り交じった特別な地域である。

ある時はたまらなく懐かしい。しかし、ある時は打ち捨てられたような寂しさに耐えられない。

無性に訪れたくなる時と、絶対に足を運びたくない時のふたつの気持ちが、振り子のように、右に揺れ、左に揺れて定まらない。

自分がハイエナであることを自覚した頃から、チャイナタウンに向かわなくなった。

当時の王道はパッポンだった。だからパッポン一本に絞って、宿もパッポンの近くに取り、他の地域には見向きもしなかった。その過程でチャイナタウンは不要のエリアとなった。

冷気茶室はあまり自分には合わないと思ったし、そもそも度重なる警察の手入れで冷気茶室そのものが消滅しつつあった。

安宿にたむろする女はいるにいたが、パッポンの方が華やかで楽しかったから、わざわざチャイナタウンに向かう理由がなかった。

しかし、パッポンが歓楽街から観光地へと変質するにしたがって、パッポンの客層に違和感を覚えはじめ、あまり行きたいエリアではなくなってしまった。

その違和感は日に日に大きなものとなっていたのだ。5年ほど前からは、ついにタイに見切りをつけてアジア中をさまよう国際的なハイエナへと変貌してしまった。

他国からタイへ戻ってくると、パッポンを避けてスクンビット通りのどこかに宿を取るようになった。

戻ってきたんだなという気持ち

そんなとき、ふと何気なく思い出すのはヤワラーだった。不思議なことに、タイに見切りをつけたとたんに、バンコクの想い出として真っ先に頭に浮かぶ街がヤワラー地区だったのだ。

インドからタイに戻ってきたこの時も、無性にチャイナタウンに向かって疲れた身体を癒したかった。

国際空港からエアポートバスで市内に入り、途中でローカルバスに乗り継いだ。

チャイナタウンに入る道すがら、夜のラーマ四世通りの風景をじっと見ているうちに、「ああ、戻ってきたんだな」という気持ちになった。

日本人だから日本に帰って「戻ってきた」と思うなら分かるが、ヤワラーに向かう道すがらで故郷に戻ってきたように感じるのが自分でもおかしかった。

日本に戻っても感じないような感傷に胸が熱くなったのは、恐らくこの地域にいろいろな想い出を持っているからなのだろう。

ファランポーン駅で降りるとソムタム売りがポツポツといた。しかし、もう昔のように流行っていない。

かつては道を覆い尽くすほどのソムタム売りがここで商売をしていたのに、今は盛況の光景は完全に消えて、ただ街灯に浮かぶわびしいファランポーン駅がそこにあった。

このあたりは昔に較べると非常に清潔にはなった。それによって何かが失われたように思う。

かつてのように地方から出てきた客でいっぱいの猥雑な雰囲気が完全になくなって面白味がなくなった。

近代化は街を清潔にするが、その代わりどこも同じような無個性の風景にしてしまう。ここは明らかに個性を失った場所になってしまった。

互いに成りゆき任せの生き方

カセム運河を渡す橋をぶらぶらと渡っていると、闇に隠れるようにしてふたりの人間が仲良く橋のたもとに座っているのが目についた。

ひとりは女装したガトゥーイ、もうひとりは昨日田舎から出てきたかのような下手な化粧と垢抜けない格好をしていた。

“Hallo”(こんばんは)とガトゥーイの方が声をかける。

足をとめてふたりを見つめると、ふたりとも揃って曖昧な笑みを浮かべた。どうやら男が反応するとは思っていなかったらしい。

惰性で声をかけていたのに男が急に反応したので驚いたという感じだった。

こちらと言えば、片方の肩に小さな荷物をかけたまま、今日の宿さえ決まっていなかった。どこへ泊まるのか、候補さえ考えていなかったのだ。

疲れて気持ちも冴えなかったので、表情もきっと生気がなかったに違いない。

声をかけてきた方も、声をかけられた方も、互いに成りゆき任せの生き方をしているという点でどこか似ていた。

それにしても、薄闇でも隠せない貧相な格好はひどかった。通りすがりの男が相手にしないのも分からなくはない。

厚化粧でも明らかに性別の判別がつくガトゥーイに、田舎者の野暮ったい女……。人を立ちどまらせる魅力はどこにもない。

ましてここは遠くからドブの臭い、機械油の臭い、漢方の臭いが渾然一体になって漂ってくるような見捨てられた街の一角である。

安っぽさと流行遅れの寂しさが、端から見ていると情けなくなるほどだった。

押し黙ったままのポン

“She is good!”(彼女はグッドよ)

ガトゥーイが隣の田舎娘を指さして、つたない英語で言った。自分を買ってくれと言わないところが、すでに自分に対して見切りをつけている証拠だった。

その小柄な田舎娘を見ると、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまった。男と交渉のやりとりをするのは馴れていないのだろう。

“What is your name.”(名前は?)

英語で訊ねると”She is Pon.”(彼女はポンよ)とガトゥーイの方が答えた。ポンという名の娘の方は、やはり何も言わないままだった。

“She is no English”(彼女は英語ができないから)と、ガトゥーイは押し黙ったままのポンの代わりに弁解した。

ポンは黒い肌の、非常に小柄な女性だった。ずっとインドの女たちを見てきたあとなので、ことさら彼女が小さく見えた。

アーリア系の血の混じったインドの女の骨格と、モンゴロイド系のタイの女の骨格はまったく違う。肉のつき方も違う。

インドの女たちの身体に慣れたあとにアジアの女を見ると、誰もが幼く見えてしまう。

「女性を評価する感覚」がインドを経験する前と後では違っていることに自分でも違和感を感じてしまう。

どちらがいいとか悪いという問題ではなく、それほどの違いがインド・アーリア系とアジア・モンゴロイド系にあるということだ。

100バーツでもオーケーよ

疲れていたので彼女を抱いてみたいとは思わなかったが、気まぐれに値段を聞いた。

「彼女は200バーツ……」

やはりガトゥーイの方が答えた。ナナやパッポンではバーに払う連れ出し料だけでも400バーツかかり、女性には1000バーツ払っても「足りない」と言われるのに、ポンはたった200バーツでいいという。

しかし、それでも彼女が欲しいという気持ちにはなれなかった。世の中は皮肉なものだと思う。

2000バーツでも2500バーツでも、あるいはもっと値段を釣り上げられても喜んで払いたいと思わせる女がいる一方で、その日暮らしのような安い値段を提示されても払いたくないと思わせる女がいる。

特に嫌いというわけではないが、彼女は欲しくなかった。今は体調が悪いという事情もある。

他にも、ひとことも話さない、着ているものが野暮ったい、それほど目を引くような何かがあるわけでもない、ずっと目を伏せてこちらを見てくれない……といういろんな理由が重なっている。

積極的に彼女を受け入れなければならない理由は、何ひとつなかったのだ。

肩をすくめて行こうとすると、背後から「ハロー」と再び呼ぶ声がした。それはガトゥーイの声ではなく、さっきから何も言わないで目を伏せていたポンの声だった。

振り返ると、彼女は恥ずかしそうに「ヌンローイ・バーッ」と言った。

「100バーツでもオーケーよ」
ガトゥーイが英語で補足した。

自分の窮状をあれこれ説明することはない

ポンを見つめると、彼女はその視線に耐えようとするが、やはり最後には目を伏せて下を向いてしまう。そして、そっと隣のガトゥーイに助けを求めるのだった。

ああ、そうだ。ここはインドじゃなくてタイだった、と再び思う。

ここがインドなら女はしがみつき、引きずり、罵声を上げ、声高に交渉を進めるだろう。

見つめると、さらに強烈な視線で見つめ返すのがインドの女たちの特徴だ。目を伏せることがない。しかし、タイの女たちは凝視すると目を伏せる。

外見の違い以上に、内面の違いも大きいことを改めて気がつく。カンボジアやインドネシアはタイの文化と透過するように馴染めたが、インドはそうではなかった。

それは人種が違うというよりも文化が違ったからだ。

ポンはインド女性の自己主張型とは180度違う文化で訴えていたのだ。彼女は自分の窮状をあれこれ説明することはない。

罵声も上げなければ、執拗に絡むこともない。ただ、じっと男の前で目を伏せて成りゆきに任せている。

ポンが幾ばくかの生活費を補填したいために金が必要なのだというのは、その服装のみすぼらしさを見れば想像がつく。

急に彼女の寡黙で薄倖な人生に何か気の毒なものを感じてしまった。

経済格差が広がりつつある

貧しさは皆が貧しいうちはあまり気にはならないが、だんだん豊かになる人がまわりに増えてくると、とたんに焦燥感や絶望感に変わっていく。

それは「取り残されている」といういら立ちや喪失感のうずきなのだと思う。

自分だけが取り残されていると考えて、身の不運や屈辱感にまみれるようになると、怒りや嫉妬が心の中に渦巻いていく。

経済格差が広がって、それが埋められないものとなった時に底辺の人たちの怒りが爆発して国がめちゃくちゃになってしまうのは、フィリピンやインドネシアや南米の例を見れば分かる。

タイは少しずつバンコクの豊かな人たちと農村の貧しい人たちの間で経済格差が広がりつつある。

それはディスコで遊びまわる若者がいる一方で、身体を売ってでも300円を手に入れたいというポンの姿を見ていれば実感する。

急速に発展して行くタイの社会の中で、ポンは明らかに取り残されてしまい途方に暮れていた。

「まだホテルも決まってないんだよ」

そう説明するとガトゥーイは笑って「問題ない」と言った。かくしてホテルが決まらないうちに、もう一緒に過ごす相手が決まってしまったのだった。

長々とホテル捜しをするのも面倒なので、道路を渡ってすぐのところにある旅社に宿を取った。

施設のすべては古いがそれなりに清潔で、インドから戻ってきた人間にとっては天国のような静けさと安心感があった。

ずっと立っていた

ポンは緊張していて何も言わず、借りてきた猫のようにおどおどとして突っ立っている。

荷物を置いて、先にシャワーを浴びてくるように言った。

ポンはうなずいて服のままシャワー室に行き、しばらくするとバスタオルを一枚まいたままの姿でこっそりと姿を現す。下手な化粧は落とされていた。

恐らく鏡を見て、自分でも合っていないと思ったのだろう。地黒の肌があらわになり、化粧をしていた時と違って逆に印象は瑞々しく美しかった。

黒い肌の女性は白く見せる化粧はすべきではない。

本当に肌の濃い黒人はファンデーションを塗らないが、そもそも黒い肌そのものが装飾的で美しい。それをファンデーションで中途半端に白くしてもしかたがない。

粗末な服を脱ぎ捨て、化粧をぬぐい去ったポンを見て嬉しくなった。

決して美人ではないし、小柄でバランスも悪いが、何も手を加えられていない女性の自然な姿は充分に愛おしい姿だったからだ。

次にシャワー室に入ると、洗面台に置かれたポンの粗末な服が、ていねいに折りたたまれているのが目に入った。

適当な女もいれば、几帳面な女もいる。ポンが几帳面な性格なのは売り物を並べるように折りたたまれた服を見て分かった。

部屋を出ると、ポンはバスタオルを巻いたまま格好でずっと立っていた。他の女なら、ベッドに寝そべって待っているか、ベッドに座って待っていただろう。

立ったまま、男が出てくるのをじっと待っている女はポンの他に知らない。

「ずっと立ってたのか? 座って待ってくれてもよかったのに」

英語としぐさでそう言うと、ポンは恥ずかしそうに微笑を浮かべて、はにかむばかりだった。寡黙な娘だった。

子供が生まれたのに、彼女は離婚した

ベッドに上がってこちらに来るように促すと、彼女はやっとベッドに上がり込んで、これから眠りにつく子供のように仰向けになって、手足をまっすぐに揃えて天井を見つめた。

彼女をベッドに横にして、ゆっくりと彼女の身体を隠しているバスタオルをはぐった。

恥ずかしがると思ったが、彼女は天井を見つめたまま、男のすることに抵抗はしなかった。

形の崩れない固い乳房と、微細な皺と妊娠線に覆われた腹部が見えた。子供を生んで一年も経っていない女性の身体だというのはすぐに分かった。

「君のサーミー(夫)は?」

ポンは交差した両手の人差し指が離れるしぐさで状況を説明した。それは離婚したということだった。

子供が生まれたのに、彼女は離婚した。なるほど、彼女が身体を売らなければなければならない理由はそれだったのだ。子供が生まれ、夫に離別され、他に収入の道がなかったのだろう。

夜のビジネスに落ちる女は二種類の女がいる。子供ができたらビジネスをやめる女と、子供ができたらビジネスをはじめる女だ。

生活に余裕のある女性は、子供ができたら身体を売るビジネスをやめる。

それをやめても生活できるからだ。しかし、生活にせっぱつまった女性は、子供ができたら逆に子供を食べさせるために必死に身体を売る。

ポンは子供が生まれて生活に困窮し、取り残されたヤワラーの夜道で、ガトゥーイと一緒に男に拾われるのを待つしかなかった女だ。

だとすると、「身体を売る」という商売に慣れていないはずだし、知らない男に笑みを浮かべて誘うようなプロまがいなこともできないのも当たり前だ。

うつむいて下を向き、自分を「買う」男が悪い人間でないことを祈るくらいが精一杯だったのだろう。

ふたりとも、それを持っていなかった

「コンドーム……」と、ポンは唐突に言った。
「今は持ってない。君は?」

ポンの表情が見る見るうちに困惑したものに変わっていく。彼女もコンドームを持っていないのだった。

男はみんなコンドームを持っているはずだと彼女は思っていたのだろうか。

ポンの困惑は当然だが、それにしても男にコンドームをつけて欲しければ自ら用意しなければ意味がない。もしかしたらコンドームを買う金すらなかったのかもしれない。

コンドームくらいは用意しておくべきだった。

しかし、インドから戻って来たばかりで、常に持ち歩いているコンドームはもう切らしていることに言われて気がついた。

ポンの思案に暮れた顔を見つめながら、彼女はいったいどうするつもりなのだろうかと考えた。

男にとってコンドームとは性病の防止くらいの意味合いしかない。しかし、女の方はそれほど単純なものではない。

彼女はコンドームなしのセックスで再び妊娠するかもしれない。それは名前も知らないゆきずりの男の子供である。

子供を産むというのはそれほど簡単なことではないのは、子供が産まれて身体を売るビジネスにまで追いつめられた彼女が一番よく知っていることだろう。

女性は三ヶ月あたりから女性は自分の胎内の生命を感じはじめ、それが日に日に大きくなって行くのを感じるようになる。

女性は徐々に激しく動くことはできなくなるし、小さな生命を宿した身体を守るためにじっとしていることが多くなる。その間、彼女は誰かに生活や環境を守ってもらわなければならない。

じっと黙って彼女の決断を待っていた

子供が産まれたために生活苦に喘ぐことになった女性が、夜のビジネスでまた子供を身ごもってしまったら、誰が彼女を守るというのだろう。

彼女は誰にも守ってもらえなかったから、追い込まれてそうしなければならなかったのだ。ゆきずりの男がやって来て彼女を守るはずもない。

やがて子供が生まれても、「私生児」は、どこの国のどの共同体からも祝福されない。

社会のルールを無視して生まれた子供は、常に排除の対象となって育つ運命にある。

女性にとって間違ったセックスで子供を産むというのは、自分の人生と子供の人生に一生の辛苦と責任を背負い込むということになるのだ。

また、男が性病を持っていたら、彼女も性病にかかってしまう。エイズなら生命さえ失う。その場しのぎのビジネスは、彼女の人生を今以上に追いつめてしまうのだ。

もしコンドームがあれば、妊娠の危険と性病の危険を両方ともある程度避けることができる。

だから、それを男任せにするのはよくないことだ。ポンは無理をしてでもコンドームを用意しなければならなかった。

じっと黙って彼女の決断を待っていた。もし彼女が「コンドームがなければセックスはできない」と言うのならば、彼女の決断に従った。彼女はそう言うしかないはずだと思っていた。

しかし、彼女は長い時間、沈黙したまま自分で決断することができなかった。

本音ではコンドームなしのセックスをして欲しくないと思っていたはずだが、それを口に出して言うことはとうとうできなかったようだ。

困惑したまま、黙り込んで、ただ天井をじっと見つめているのだった。

もしコンドームなしのセックスを求めたら、きっと彼女は黙って受け入れただろう。困った状況に陥ったことを自覚しながら、彼女は何も言わなかっただろう。

「俺は今日、インドからタイまで飛行機に乗ってやって来て、とても疲れている。セックスはなしでもいいかい? そのかわり一時間だけ、ここにいてくれ」

そのようなことをタイ語や英語やしぐさを交えて説明すると、ポンは黙ってうなずいて安堵の表情を見せた。

隣で静かに呼吸を続けていた

そもそも最初からあまりセックスにこだわっていなかった。だから結果的に何ら欲求不満もなかった。 もう昔のように快楽は重要ではなくなっていた。

普通、夜の世界では女と一緒にいる目的はセックスをすることなのだから、それがなければ意味がない。 にもかかわらず、最近はそれがどうでもよかった

女のその時の事情や、自分のその時の事情によって、状況はまちまちなのだから、何が何でもセックスという「儀式」を当てはめる必要がないと自然に思うようになって来た。

あまりにたくさんの女たちと交わってしまったために、何も感じなくなってしまった。それに、もう昔のように性衝動もなくなって来たということもある。

それならば、夜の世界にいるのは馬鹿げている。

それは人に言われるまでもなく自分でも認識していることだ。しかし、その「意味のないこと」を続け、これからも依然としてやめる気持ちになれない。

目的はすでに失われ、ただ永遠に女から女へと渡り歩く反復をしているに過ぎないのに、やめられなくなっている。

知らない女を抱擁して目を閉じていると、彼女の静かな息づかいと黒い肌の下でどくどくと脈打つ心臓の鼓動を感じた。

たくさんの夜、いつも知らない女とベッドに寝そべって、こうやって女がそばにいてくれるのを感じていたように思う。

そのときどきで、未練のある女やこだわっている女は違った。国籍も、肌の色も、人種も、性格も何もかもが多彩だ。

けれども、ゆっくりと呼吸をして心臓を鼓動させている女という「生き物」がそばにいてくれたという事実は変わりがない。彼女たちは確かにそばにいてくれた。

女の息づかいが好きだ。静かで規則正しい息づかい。ポンもまた、隣で静かに呼吸を続けていた。いつまでもその落ち着いた息づかいを聞いていたい。

こんなライフスタイルがやめられないのは、案外そういった些細なことが理由なのかもしれない。

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