他国を巡ってバンコクに戻る。すでに夜になっていた。体調はあまりよくない。旅の途上であまりにいろいろなことがありすぎて疲労が蓄積していた。
スクンビット通りやパッポンは人が多いので寄りたいとは思わなかった。
しかし、ヤワラー(チャイナタウン)はまだかつての怠惰《たいだ》で無気力なタイの雰囲気が残っている。
あそこは観光客もいなければ、ファランも日本人もあまり見ない。今の疲れた身体には、ヤワラーくらいしか受け入れてくれる場所はないような気がした。
ファランポーン駅から運河をひとつ渡ってヤワラー通りに入るまでの、あの見捨てられたエリアは、愛憎が入り交じった特別な地域である。ある時はたまらなく懐《なつ》かしい。
しかし、ある時は打ち捨てられたような寂しさに耐えられない。無性に訪れたくなる時と、絶対に足を運びたくない時のふたつの気持ちが、振り子のように、右に揺れ、左に揺れて定まらない。
自分が真夜中の女たちをハイエナのように追いかける人間であることを自覚した頃から、ヤワラーに向かわなくなった。
当時の王道はパッポンだった。
だからパッポン一本に絞って、宿もパッポンの近くに取り、他の地域には見向きもしなかった。その過程でヤワラーは不要のエリアとなった。冷気茶室はあまり……
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