はじめての性体験は、誰でも強烈な印象として脳裏に刻まれているはずだ。それは人によって素晴らしかったり、あるいは惨めなものだったりする。
真夜中の退廃した世界で生きる女性は、初体験とは別に、もうひとつの体験をしなければならない。それは、売春ビジネスでの初体験だ。
愛ではなく、金で自分の身体を売る。結婚のあとの性体験は祝福されるが、売春での性体験は社会から批判される。
売春ビジネスに堕ちた女性は、それを隠して生きない限り、永遠に社会から白い目で見られることになる。
隠し通しても、暴露された瞬間に、もう表社会の人間関係は壊れ、軽蔑や嘲笑の視線を浴びることになる。だから、「堕ちる」という。真夜中の女性たちも、当然「はじめて堕ちた夜」がある。
ある夕立の上がった夜、インドネシア・カリムン島の売春村に行ってふらふらしていると、ひとりの顔なじみの女性チカが、ゆっくりと手招きしてきた。(チカがずっといてくれるのなら、この島で暮らせると思った)
この日、ずいぶんたくさんの女性がテラスに出ていて大賑わいになっており、いつもと雰囲気が違った。彼女の誘いに乗ってのんびりイスに座る。すると、チカはテラスに座っているひとりの長身の女性に顎をしゃくって見せた。
“She is baru. She came to here today.”
(彼女は新人よ。今日来たばかり)
そう言いながらチカは売春宿の奥を指さして、彼女を連れて行けというしぐさをした。長身のその新人女性は、髪で顔を隠すようにしてうつむいていた。その女性を肴にして、古株の女性たちがお喋りと食事に高じている。
いつも賑やかな女性たちだが、今日はその新人がいるせいか、いつもよりもさらに場が盛り上がっている。しかし、新人女性は……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア インドネシア編』にて、全文をお読み下さい)
とてもいいお客さんですね。昔の花柳界でも、水揚げのお客は選んだようです。原則ロストバージンでもあったので(洗濯の水揚げもあったそうですが)、女の子があまり子供っぽいと、屋形の手前は旦那になったことにして、実際はせめて初潮を迎えるまでと、男性は待っていたりしたそうです。もちろんそれだけの余裕があるところでは、ということでしょうけれど。
映画の『プリティベビー』では、昔のニューオーリンズの幼い娼婦バイオレット(演じたのがブルック・シールズ)の水揚げがでてきました。2階から叫び声が響き、ぎくっとさせられるのですが、仕事をやり遂げて一人前になり、得意そうなバイオレットが下りてくると、皆大騒ぎでお祝いしてました。映画だからあんなふうに描けたのでしょうか。圧倒的な貧困は、そんなもの押し流してしまうのでしょうね。
鈴木さんはいつも女性を、ある人生を生きてきた一人の人間として見て、関心を抱いているようで、わたしたちは鈴木さんを通してその人を知るという感じです。とても人間的です。誰もがそうだったらいいのに。
チカの後半部分のものです。こちらは、チカではなく、シティという名前の女性に焦点を当てています。夜の女性と言っても、誰でも最初があるわけです。
あと、インドネシア語ですが、この頃は片言のインドネシア語も話せるようになっていたのですが、今はもうすべて忘れてしまっています。寂しいですね。
【鈴木傾城】
私も、19bi323tu様と同じことを考えていました。
どのように考えても悪い状況の中、鈴木様のシティさんへの対応で、少しだけホッとしました。最悪の中の最善とでも表現すれば良いのでしょうか?
鈴木様の描く女性には、いつも鈴木様の人間への愛情を感じています。
鈴木さんの自身の心の描写
とても色々な思いが事の最中に感じて思考していると
御見受けします。
私が不思議なのは
そういう様々な思いの中で女性を抱ける事に
なんていうか…私には理解できない部分なのか
大抵の女性を買う男性はこれほどに思考を巡らす事はしないのではないかと、勝手に推測していますが
私が男性だとして、そういう思いを私も感じてしまうし考えると思うので女性を買えない男になるでしょう 笑
私はその男性心理に非常に興味を持ちます。
また私は女性で、もし体を売らなければならない環境に
なるのであれば命を絶つでしょう。
これは個人的性質的な部分で売春する女性を軽蔑はしていません。
売春という行為、私には耐えられません。
飼われるともいえる立場に我慢なりません。
弱い女です。
私は鈴木さんの心に…興味が尽きません 笑
いつもながら美しい日本語です。
この絶妙なニュアンスを他の国の言語で過不足無く、余すところ無く
表現できるのでしょうか?英訳、中国訳
また、この繊細な心の動きは日本人特有の感受性からもたらされる
ものなのでしょうか?外国人が理解できる感情なのか…
美しい日本語、適切な言葉使いと言い回し、感情と表現が見事なまでに
合一している。 これ以上は止めておきます。
ただただ… うっとりします。
臨場感溢れる、素晴らしい作品です。
実際に体験した者にしか書けないですね。
お互いの感情、息づかいまで伝わってくるようです。
やむを得ない事情で売春地帯で体を売ることになった少女。
現実を受け入れきずも既に理解している少女。
そんな少女が客として最初に選んだ男が傾城さんだったわけですね。
売春としての処女を失った彼女は、このあとどのような人生を歩むことになったのか…。
ネシア女性は、情に厚いところがありますが、現実とうまく折り合いをつけて、うまく生き続けて欲しいです。