タイ編
20歳の頃、何気なくタイへ旅行に行った。はじめての海外旅行でひとり旅だった。見るもの聞くものが何もかも珍しく、旅に有頂天になった。
南国の太陽や文化や食事は慣れれば慣れるほど心地良いものとなってきた。
最初は健全な旅行をしていたが、ある日バンコクのパッポンに足を踏み入れた。パッポンはアジアでもっとも有名な歓楽街である。
人生が狂った瞬間
タイに行ったのなら、ここを訪れないと片手落ちだと思ったのだ。ただ半裸で踊り狂う女たちを見て、話のネタにでもしたかった。
社会見学のつもりで、恐る恐るゴーゴーバーに行く。入った店は「リップ・スティック」である。
女たちが踊っているのを見ても何も思わなかった。まだ若く所持金も乏しかったので、ぼったくられる心配だけが頭の中を空回りしていた。
楽しもうなどとは、まったく思わなかった。パッポンがどういうところか分かったら、一刻も早くここを出てゲストハウスに戻りたかった。
パッポンはぼったくりの横行する怖いところだと聞いていたのだ。早く帰って安全になりたいと、それしか頭になかった。
当時は女から女へと渡り歩く浮気な男には、良い感情などまったく持っていなかった。むしろ、セックス・アニマルと陰口を叩かれている一部の日本人旅行者を軽蔑していた。
今では信じられないのだが、若い頃は絶対にこんなところへ出入りしたくなかったのだ。
そんなとき、隣に座ってほほえんでくれた娘がいた。すべすべした肌を持ったきれいな女性だった。
「どこから来たの?」と質問されて「日本から」と答えた。次に歳を訊かれたので「20歳」だとつぶやくと、彼女は顔をぱっと輝かせた。
“Same Same!”(同じね!)
自分と同じ歳の女性がここにいる。しかもヨーロッパ人や日本人やアメリカ人、つまり世界を相手に身体を張って生きている。同い年なのに、彼女は精神的にずっと大人に見えた。そのことに複雑な感銘を覚えた。
そして、柔らかな笑みを浮かべる彼女に興味を持った。もし、彼女が24歳だとか25歳だとかだったら、興味さえ持たなかったはずだ。
たどたどしい英語で言葉を交わし、名前を交換しあった。彼女の名前は「マイ」と言った。
今となっては何を話したのか覚えていないが、ずっと他愛のない話をしていたように思う。こちらはほとんど英語ができなかったので、ただ単語を並べただけの会話だった。
言われていることが聞き取れず、戸惑ってばかりいると、彼女はそっと手を握って”I love you.”(アイ・ラヴ・ユー)と言ってくれた。
それは「愛している」という意味ではなくて、大丈夫、心配しなくてもいいからね、という優しさが込められているように思えた。
今でもそのときの彼女の表情や言葉や手の感触を覚えている。彼女にはただの営業トークだったかもしれないが、魔法にかけられたかのようにのぼせ上がってしまった。
思えば、この瞬間に人生が狂ってしまったのだ。
本当に、いいのだろうか
そばにいた別の女性が「一緒にホテルへ行けば?」と笑いながら言ったが、それを聞いて驚いて首を振った。 出会ったばかりの女性とホテルに行くなど恥ずかしかったし、とてもそんな勇気がない。
本当に、怖かった。
そのあと、逃げるようにして店を出てパッポンを後にした。ゴーゴーバーに行くという「社会見学」は終わり、もうパッポンには用がないはずだった。
しかし、翌日の夜もパッポンに行った。店に入るなりマイを指名した。同年代の女の子は、はにかみながらやって来た。
募る想いを彼女に伝えたかったが、いかんせん英語能力がなく、タイ語もまったく分からない。彼女の手を握りしめ、何かを伝えようとしたが何も言えなかった。
満たされない気持ちでその日も引き上げた。その夜ひとりで手持ちの現金を数えながら、明日もう一度行って彼女を連れ出すことを決心した。
そして翌日、ついにマイをペイバー(連れ出し)した。マイは喜んでくれていた。マイと一緒にいられて嬉しかったのを覚えている。
パッポンの屋台でバーミーナムを食べてから、マイが教えてくれた安いホテルに向かう。
部屋でふたりきりになると、どぎまぎし、うろたえ、どうしていいのか分からなくなった。異国の知らない娘とふたりで、静かな部屋にいる。
彼女はセックスをするためにここにいる。
彼女のことを何も知らないのに、彼女を裸にしたり、その身体に触ったりすることが許される。本当にそんなことをしていいのだろうか。こんな状況は初めての経験だった。
それは正しいことじゃない。間違っている。そんな思いもずっと頭から離れなかった。そんな緊張が移ったのだろうか。マイまで、すっかり固くなっていた。
部屋から出してくれなかった
罪の意識は感じていたが、目の前の女性のほほえみには抗うことができなかった。そして、はにかみながら裸の肉体を抱きしめた。
まだウブだったので、彼女との経験はあまりにも鮮烈過ぎた。これで、マイの虜(とりこ)になってしまった。
何度か彼女をペイバーしたが、そのうち金が続かなくなってきた。事情を知ったマイはある日ゴーゴーバーに行かなくなり、朝から晩までそばから離れなくなった。
最初の一週間ほどは有頂天だった。
毎日のようにゲストハウスの狭い部屋で一緒にいて、ベッドの上でまどろんでいたように思う。
マイは天使のような存在だと思った。
バンコクはクルンテープと呼ばれ、それは「天使の都」という意味だというのは知っていた。マイは天使以外の何者でもなかった。
しかし、この幸せはすぐに終わり、徐々に悪い方へと転がり始めた。
マイが部屋から出してくれなかったのだ。
バンコク中をほっつき歩きたかったが、一緒に街を出歩くことさえ嫌がった。また、カオサン・ストリートで他の日本人たちと会うのも許そうとしなかった。
そういうわけで、彼女と口論をすることが多くなってしまった。
無理に出かけようとすると、マイは泣き叫びながらすがりついてくる。マイは朝から晩まで部屋でじっとしていることを強いたのだった。
彼女は文字通り、ふたりだけの世界を欲していた。確かにそれは素晴らしいことだったが、熱い部屋の中に一日いるのは、つらいものだ。
彼女を振り切ってカオサンに行き、他の日本人と長話をして戻ると、ゲストハウスの外で所在なげに待っていたマイは「女と会ったのか?」と激しく問いつめてきた。
「日本人の友達と会っただけだよ」
「それは、日本人の女なの?」
執拗だった。その執拗さに、だんだんマイが重荷になって来た。彼女が気が狂ったように愛してくれたのは分かる。しかし、束縛されればされるほど気持ちが冷めた。
実を言うと、マイがだんだん恐ろしくなっていた。その愛はあまりにも一方的だったし、束縛的だったし、おまけにその嫉妬深さは異様だった。
今思うと、彼女の愛を真剣に受けとめられなかった自分に非があるのは明らかだ。しかしその時は、とにかく彼女と離れたかった。
ある日、またもや「出かける」「だめ!」のケンカが始まり、とうとう言ってしまった。
「マイ。さようなら。もう君が好きじゃない」
泣き叫ぶマイの声は今でも思い出す。
その声を背に荷物をまとめ、殴りかかってくるマイを放り出してバンコクの街に出た。それで終わりだった。
マイとはそれから会っていない。もう古い話になってしまった。彼女と会うことは二度とない。
彼女は向こう側の人間
なぜマイは部屋から出たがらなかったのだろうか。あとになってそれを振り返ったことがある。
その頃は深く考えなかったが、今ではそれがよく分かる。外国人と腕を組みながら街を歩く女は、自分が「売春する女」だと宣伝しながら歩いているようなものだからだ。
昔のタイは、今よりもずっと保守的だった。
そんなところで若い女性が外国人と一緒に街を歩き、まわりの人々からうしろ指をさされて平気なはずがない。
まして彼女は本当に売春で生計を立てている女性であり、うしろ指をさされても反論のしようがない。だからこそ、それは辛いことだったのだ。
そんな多感な女性の「心の動き」など分かるはずもなく、彼女の置かれている状況など考えもしなかった。
おまけに彼女は仕事を辞めて、男に賭けていた。多少の打算があったとしても、彼女は愛してくれたのだ。
しかし、そんなマイを自分の心の中で、それをどう受け止めていたのか。
彼女を愛していると思いながらも、実は深層心理の奥の奥で、本当は彼女を「性欲を満たすためだけの女」として扱っていたのかもしれない。
そんな風に自分の心を解釈したくないが、客観的に見ればそうなってしまう。
彼女と結婚することなど露ほどにも考えていなかったし、そもそも彼女が結婚の対象になるとも最初から思っていなかったからだ。
日本に連れて帰ろうとも思わなかったし、両親に紹介しようなどともまったく考えなかった。
なぜ、そう考えなかったのか。
それは最初からまじめなつき合いや結婚が成立するとは考えていなかったからだ。はじめて「売春する女性」に触れ、自分と彼女の間に線を引き、彼女を線の向こう側の人間であると決めつけていたのだ。
これはこちら側がノーマルな世界で、彼女の居る側がアブノーマルな世界という意味になる。
はっきり自覚していたわけではないが、自分はノーマルで彼女はアブノーマルだと潜在意識の中で思い込んでいた。売春をするような女は「アブノーマル」であると心の中にあったのだ。
獣(けだもの)になった……
マイと別れたあと、教えられたセックスの深みにはまった。そして、急速に女から女へと渡り歩く堕落した男になり下がってしまった。
信じられなかった。何に駆り立てられているのか分からず、自分を見失った。自制できなかった。するつもりもなかった。
つまり、自分はまともな人間ではなかったということなのか……。
もしノーマルとアブノーマルを分ける一線があったとすると、実は自分こそアブノーマルの側にいる人間だというのがはっきりしている。
いくら言葉を飾っても、女性を金で抱いているのが現実だ。
買う側の男は、買われる側の女よりも数十倍もタチが悪い。何しろ、買われる側は受動的だが、買う側は能動的なのだから。
若かったとは言え、自分がノーマルでマイがアブノーマルな世界にいたなど、よくぞ恥ずかし気もなく思ったものだ。どうかしていた。厚かましいにもほどがある。
売春する女性がアブノーマルというのなら、その女性を買う人間はアブノーマル以下ではないか。
ある日、ひとりになったとき、自分のやっていることを振り返って、どうしてここまで堕ちたのかと涙がとまらなかった。
獣(けだもの)になってしまった……。
再会できるものなら再会したい
その後、売春に関わる多くの女たちとつき合って話をするうちに、彼女たちが一様に不幸を背負って生きていることに気がついた。
人間、誰しも不幸や不運を持っているが、彼女たちの不幸はあまりにも直接的で剥き出しだ。
親に売られたり、貧困で生死をさまよったり、男に騙されたり、レイプされたりして身も心も傷ついたりしている。
教育も受けられず、計算もできない女が最終的に行き着いたところが、夜の世界なのだ。
そういう不幸の中を淡々と生きている女性たちを「アブノーマルな側にいる人間」などと言えた義理ではない。
しょせん、タイの売春地帯では、日本人など金を持っている異国のケダモノ以外の何者でもなかったのだ。
いつしか「売春婦」と呼び捨てられる女性を前に、傲慢であったことに気がついた。
マイとの別れは今でもほろ苦い想い出として甦る。
今、マイと再会できるものなら再会したい。あの頃はまだ若かったし、思慮が足りなかった。本当にすまないことをした。別れるとしても、もっとスマートな別れ方があった。
実を言うと、今はマイがとても懐かしい。
いつも彼女の気持ちを踏みにじった後悔と共に、彼女のしぐさや一緒に過ごした短い日々のことを思い出す。
夢にも見る。一度や二度ではない。夢の中では彼女と何気なく自然に雑談をしており、はっと目を覚ましてリアルな夢にしばし呆然とする。
しかし夢はあくまでも夢だ。
今、彼女はどうしているのだろうか。どこで何をしているのだろうか。きっと結婚して子供も数人いるに違いない。幸せになっているのだろうか。
子供たちに囲まれて、もはや「あの時の日本人」など何も覚えていないかもしれない。
そう言えば、彼女の出身地を聞いていなかった。チェンマイ出身なのか、イサーン出身なのかも知らない。
両親は健在なのか、兄弟姉妹がいるのかも知らない。考えてみれば彼女のことなど何ひとつ知らないままだった。
そのくせ、彼女はいまだに脳裏から消えることのない想い出としてしっかりと影響力を保ち、自分のその後の人生をじっと見つめているようだ。
マイとの一件以来、どんなに多くの女と出会っても、そしてその女性とどんなに波長が合ったとしても、深入りはしなくなってしまった。
彼女たちと刹那的に出会い、未練を断ち切って「さよなら」するのがライフ・スタイルになってしまったのだ。
仕事を辞め、出かけようとする男を必死で押しとどめようとするマイの姿や声が、どうしても脳裏から離れない。それは身勝手な男に賭けた女の哀しい姿だった。
彼女を傷つけたのは、他の誰でもなく自分だ。
マイと一緒に過ごした日々は実に濃密な時間だったが、その濃密さが心の傷になった。
過ぎ去りし日の切ない想い出だった。
貴方は、初めて出会ったマイとの思い出、その贖罪の為に殉ずるおつもりなのでしょう。強迫反復のように、買春でしか生きていく手段がない女と、出会いと別れを繰り返す様は、マイとのストーリーをなぞっておられるのではないでしょうか。
売春は悪であると繰り返し述べ、何度もやようとしてやめられず、自ら望んで破滅へと赴く様は、罪滅ぼしの為に自らを傷つける行為に映ります。
私はなぜそのように考えるのか。少々精神分析や行動分析系の心理学を囓りました。心理学の扱っている問題は、要するに家族と恋愛の問題です。心理学では、結婚は売春の長期契約に過ぎず、家庭そのものが問題性を内包していると考えます。
私には、その考えは自らの体験に照らし合わせて折り合いがよいのです。貴方は、売春する女たちを取り囲む家族に対して、概して肯定的に見ておられます。おそらく御自身も、家庭には特に問題なく成長なさったのでしょう。通り一般の正義感も、HIVへの恐怖もお持ちの、「普通の人」に見えます。
だからこそ、マイとの経験と罪悪感にとらわれることになってしまったのでしょう。
鈴木さん・・よく、ここまで自分を顧みることができましたね。そんなに責めないでください、自分を。
20歳頃は、性欲が非常に盛んな時期です。快楽を知ってしまって、その結果情が移り、深みにはまっていくこともままあります。
その後こうしたらこうなるだろう、とちょっと冷静に考えればわかることもあり、そこで現実に返ることもあります。もちろん、例えば大学の同級生どうしとかなら、その後も関係をはぐくみ、結婚に至ることもありますが。
しかしそれは、別に結婚とはすぐに結びつかなくても不思議はありません。まだ若すぎます。ましてや旅先の外国の人とです。将来の設計なんて、同年代の大半の人はまだまだ漠然としていても不思議はない時期でしょう。
私が20歳の頃は、大学に行って勉強をしながらバンド活動もバイト(家庭教師や喫茶店のウェイトレス)もやり、適当に男性とも付き合い、恋い焦がれたり恋に破れたりいろいろ忙しい時期でした。
マイさんは、外国人と結婚して自分の状況(売春で生活していくという)を変えたかったのでしょうね。それしか彼女の人生を変える術はなかったのでしょう。
でも、彼女も若かったんだろうな、と思います。そんなに簡単に、お金を媒介する男と結婚できるとすぐに思うのは、経験不足です。タイに行き、女を買う男に過度の期待を寄せてはいけない、と彼女はまだ学んでいなかったのでしょう。
実際にタイの女性と結婚してしまう日本人の男の人も、稀にいます。が、それは例外中の例外です。彼女はあと5年もこの商売を続けていたら、いろいろなことがわかるようになったかもしれませんね。
彼女のその後の人生の幸せを祈って・・。
そして、私が戦後の日本に生まれた女である幸運に感謝して。
マイを読んで二十数年まえの台湾の事が、かぶさりました。
私の動向を調べる為に毎週土曜日の8時に寮へ電話を掛けて来る女性のことです。コレクトコールでは無いので私の失費は有りませんが。監視されているようで嫌な気も少しありました。
最後に母親(育ての)が死んだ事を告げました。その時初めて彼女の心に占める私の大きさを知りました。その頃の国際電話は今よりかなり高額だったと思います。
ある時、1時間以上も理由も言わないで泣いてばかりいる時がありました。
いろいろあり、2−3年で終わりましたが、今でも思い出しますし夢にも出てきます。私の甘く切ない一生の思い出です。
自分はパッポンのマイを読んで、なんかいろいろ考えさせられました。
自分も20歳で初めて海外旅行・それも一人旅、なんとなくタイへと、昨日まで行ってきた身です。奇遇なまでに筆者と似ています。
7/21〜31で行ってきたのですが、初めは筆者と同じく健全な旅をしていました。プーケットに4日間普通に滞在した後、バンコクに足を踏み入れました。
カオサンに初め出向いたのですが、そこはもう外国人に占領された道で、自分はあまり好かず、スクンビットへ出かけることにしました。そこはナナ・プラザというご存知だとは思いますが、有名な歓楽街があります。
一人旅だから足を踏み入れることはないだろうと思っていたGO−GO BARにいつしかはまり、ビール一本でハシゴしていました。
そこでは、必然的に女の子と仲良くなり、ホテルに持ち帰ってといつものように言われました。
自分はこの旅では絶対に女に手は出さないでおこう決めていたので、買うことはしなかったのですけど、話をしていくうちに俺もお金があれば絶対買ってるなと自負してました。
ここからが自分の一番言いたかったことなんですけど、自分は女の子と話をしているうちに、この女の人たちはお金のために体を売り、男に騙され、その他普通の生活では体験し得ない苦痛を味わいつつ、日々変化のない生活を送る可哀相な人たちなんだと思っていました。
しかし、先ほどパッポンのマイを読んで、自分の過ちに気付きました。“かわいそうなのは自分なんだ。汚い心を持っているのは相手ではなく自分であった”と。
彼女たちの笑顔の裏に金という文字が見えていた自分は、彼女たちを普通の人とは見ず、一線を引いていた。一切は営業スマイルだと勘違いしていた自分は愚か者だと思いました。
売る側より買う側のほうが何十倍も愚かなんだと自分も思います。
需要があるから供給がある。自分は欲望という需要に翻弄された旅人であったと思いました。
初めまして、普段どんなに気に入ったサイトでもメールを出すことなどしないのですが、今自分がもっとも興味深くまた、言葉は適当ではないかもしれませんが、楽しみにしているサイトでしたのでメールを出してみようと思ってしまいました。
まず感想ですが、非常にアジアの裏側に触れていて思わず引き込まれてしまいます。
私はまだタイに一度しか行ったことがなく、せいぜい本を読むぐらいでしかアジアを知らない人間ですが、アジアに急速に興味をわかせるようになっていきました。
タイから帰ってきてこのサイトを読んでから少しというか、かなり考えさせられるように思います。
鈴木さんの、あのように肌を触れ合い感じていく愛らしい感情をよく振り切っていけるものだと、自分の子供さ加減にまだまだ未熟?とも思います。
私は40代後半でバンコクに初めて行き、ここに20代で初めて来ていたら人生が狂っていたかもしれないと思いました。それほど強烈な場所だと思います。
あらゆる形態で安く夜の娯楽を楽しめると、日本でSEXさせてもらう為に手間暇と金のかる気まぐれな若い娘のご機嫌をとるのが馬鹿馬鹿しくなります、日本の女性には失礼かもしれませんがこれが男の本音です。
既に家庭を持っていた責任感の強い私は帰国後もペースを変えず仕事をしていました、日本の風俗にはほとんど行かなくなりその分年に数回タイに行くようになりました。
鈴木さんと異なる点は、特定の女性と永く付き合う事が好きな事です。今私をボーイフレンドとよんでくれる女性がいますが、青春時代に戻ったようで楽しいです。
とても初々しい鈴木さんが想像できて、なぜ深入りしないのか
女性たちとの関係の原点に感じられますね。
初めての外国女性との触れ合いの様子や、ちょっと潔癖そうな
ごく普通の青年であった鈴木さんが、今や
「インド編で読者が減って・・・」などと書いていらして
すごく大きな変化だなと、興味深かったです。
何度も読んでいる記事ですが、改めて「なぜ自分は歓楽街に居場所を見出してしまったのだろう」と考えてみました。(お話とは別方向ですが、ハイエナになった発端という共通点でお許しください)
分かったのは、私はまだ十代の頃から「夜の街」を見て回るのが好きだったということでした。綺麗事を言うつもりはないので、そこに女性がいること、売春を通してそうした女性と刹那の時を過ごすことも大切で欠くことのできないものです。が、それだけなら日本流のスナックやキャバクラに行ったりエスコートサービス(デリヘル)を使ったりすればいいのに、それは大して好きでないというか興味がわかない。タイでもマッサージパーラー(日本で言うソープランド)に行きたいと思わない。
東南アジアの歓楽街がいいのは店の出入りも気軽で好きなように夜の街を歩ける、そこに女性がいることでその楽しさが倍化する、そういうことなのだと思います。知らなかった女性と出会い、なにがしかの関係を築いたり消失したりするのも夜の街だからこそ拘っているように思えます。
もちろんそこにはたくさんの光と陰があります。いい体験も悪い体験もします。虚飾の中でもほんの少し心が通ったりすることが宝物のように思える一方、性欲を満たすという即物的な充足感も欲しがっています。賑やかな一方で、いろいろなところからくる重苦しさもそこにはあります。でも、それらをすべて込みで自分にとっての夜の街があるのであり、自分にとってはそれこそがいつまでも身を置いて眺めて飽きないものだったようです。それがタイやカンボジアにあった。そこにいる彼女らはもちろん大半が来たくて来ているわけではないから少しでも優しくしようと思うだけで手荒に扱うなど考えられない。それも自分がいたい夜の街の主役である彼女らへの申し訳なさから来ているのかもしれない。
自分がこうなったルーツのようなものがはっきりした一方、どうにも叙情的ではないですね。でも、もし自分の発端に甘い出会いと辛い別れがあったなら早々に歓楽街から足を洗っていたように思います。逆に夜の街に生涯惹かれ続けている限り、死ぬまで変わらない気がしてきました。 (ky)
マイさん自身は、よく白人が幼子を連れて歩いている 契約期間結婚というつもりだったのかなあ とも思いましたが
果たして
強烈な体験だったのですね、男と女は難しい
どこでどう好きになったり惚れ込んでしまったり
所詮生理現象のひとつなのか
本記事、読みました。
古い記事ですが、ブラックアジアの原点と傾城さんの原点を垣間見た気が致します。