極端(エクストリーム)な主義主張で「完全なる平等」を実現した指導者がいた

極端(エクストリーム)な主義主張で「完全なる平等」を実現した指導者がいた

「平等の実現」は、とても美しい主張のように聞こえる。こんなものが実現するとは今の私たちには想像もできない。そして、そんなことを成し遂げた政権はないと思いがちだ。それは正しくない。実は、強烈なイデオロギーを持って「平等の実現」を実現した政権が1970年代にあった。それは1974年にカンボジアで生まれた。100%の平等がそこでは実現した。(鈴木傾城)

社会を完全に激変させる超弩級の変化を引き起こす

すべての国の経済は、中国発コロナウイルスによってボロボロになっているのだが、これによって最も大きな影響を受けているのは、当然のことながら貧困層である。

仕事が消えた。家にいろと言われて働けない。政府の支給金では2ヶ月も3ヶ月も生きられない。そして、コロナの問題が長期化すればするほど多くの企業が潰れるので、仕事そのものがなくなって失業したままになる。

しかし、各国の中央銀行は無尽蔵の金融緩和とゼロ金利政策によって金融市場を支えているので、富裕層はしっかりと救済されている。

ふと気づけば、富裕層は大した打撃になっていないにも関わらず、貧困層は極限の貧困にまで追い詰められるかもしれない。そうなっても不思議ではない。

そうなると、今度は「資本主義を破壊しろ」「国民全員を平等にしろ」という主張も現れ、暴力的に資本主義を破壊して「平等」を目指す勢力などが彗星の如く登場し、人々を先導し、「平等社会」の実現に向けて走り出すかもしれない。

そういう国が、世界のどこかで生まれるかもしれない。

「平等の実現」は、とても美しい主張のように聞こえる。こんなものが実現するとは今の私たちには想像もできない。そして、そんなことを成し遂げた政権はないと思いがちだ。

それは正しくない。実は、強烈なイデオロギーを持って「平等の実現」を実現した政権が1970年代にあった。それは1974年にカンボジアで生まれた。100%の平等がそこでは実現した。

それを実現した男は、ポル・ポトと言った。

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国民は平等になったとポル・ポト政権は自画自賛した

私は東南アジアの各国の歴史を見つめるのが好きだが、いつも忘れられないのは、ベトナム戦争後に激変したカンボジアのことだ。

ベトナム戦争で最も激しい社会転換が起きたのは、ベトナムだと思う人は多い。しかし、ベトナムは戦争中からホー・チ・ミン率いる共産主義勢力(ベトコン)の力は強く、ベトナム戦争後の共産化はそれほど大きな社会転換だったわけではない。

むしろ、世界がショックを受けるほどの社会転換を遂げたのは、隣国のカンボジアだった。ベトナム戦争に巻き込まれて国土が泥沼の戦場になった後、1975年4月17日にカンボジアはポル・ポト政権となった。

このポル・ポト政権は、オートジェノサイド(国民大虐殺)を引き起こした狂気の政権として知られている。

この政権が異質なのは、政権を取ったその瞬間、カンボジア国内から一切の資本主義を強制停止してしまったことだ。つまり、「貨幣経済を廃止」した。信じられないが、国民の財産はすべて「無」になった。

ポル・ポトが貨幣経済を廃止したのは、別に悪気があったわけではない。ポル・ポトは「国民を平等にしたい」という目標があったのだ。資本主義は格差を生み出す。だから、ポル・ポトは資本主義を停止することで国民を平等にした。

そして、都市住民はほぼ全員が農村に強制配置されて、国民全員が農民になった。カンボジアには一切の職業がなくなり、ただ農民だけが残ったのだ。これによって職業上の階層もなくなった。資本主義もなくなり、階層も消えた。

これによって「国民は平等になった」とポル・ポト政権は自画自賛した。

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都市住民は農村の人々を搾取して肥え太った害虫

しかし、実際には「平等社会」ではなかった。平等社会を実行・監視するためにオンカーと呼ばれるポル・ポト政権に忠誠を誓った兵士が君臨していたし、農民の間でも「酷使する側」と「酷使される側」が分かれたからだ。平等社会を維持するために、結局は階層が必要になった。

砂埃が舞い上がるカンボジアも、高台から見ると熱帯の緑に囲まれていることに気がつく。ジャングル、村、沼、そして見渡す限りの畑が目の前に広がり、この国の雄大さや自然の美しさを際だたせてくれる。

緑色の地平線は濃い空気に霞み、時間はゆったりと流れる。アジアでは時間がとまったように感じる時が多いが、壮大な緑のパノラマを眺めていると、まさに時間がとまったような錯覚に陥ってしまう。

こういった光景を見つめると、アジアの豊穣を感じ、カンボジアとは何と素晴らしい国だろうかと再認識する。

しかし、眼下の田畑やジャングルは、いったい誰が開拓したのかを考えるとき、この壮大な光景が急に影のようなもので覆われてしまう。ジャングルの開墾は「新人民」と呼ばれる人々が、多大な犠牲を払いながら行った。

では「新人民」とは誰のことを指しているのだろうか。それは1975年4月17日のプノンペン陥落によって、都市から追い出された人々である。

彼らは、元々農村にいた「旧人民」と区別(差別)されることになった。原始共産主義を標榜するポル・ポト政権にとって、都市住民は農村の人々を搾取して肥え太った害虫と見なされていた。

都市住民は今まで農村の人々を搾取したのだから、今後は農村の人々以上に働かなければならないとポル・ポト政権は革命的に考えたのだ。結果としてポル・ポト政権は数百万の人々を死に追いやったが、死者の大半が「新人民」であった。

ポル・ポト。生粋の共産主義者であったポル・ポトは、貨幣経済を完全に停止し、国民を全員農民にした。これによって「平等が実現した」と自画自賛した。

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極端(エクストリーム)な主義主張を信じるな

ジャングルを切り開くのは並大抵のことではない。マラリア・寄生虫・毒虫・微生物・病原体が渦巻いており、それに強制労働による過労が重なって人々は次から次へと死んでいった。

それに加えてポル・ポト政権に逆らうものを片っ端から殺害していたので、カンボジアはたちまちにして大虐殺の地(キリング・フィールド)となった。

カンボジアの大地は、強制労働に追いやられた人々の汗と血と涙によって開墾され、疲労困憊して死んでいった人々の肉を肥やしにして育った大地なのである。

カンボジアは貧しい国だと言われている。しかし、土の恵みに関しては世界で一番豊かであるに違いない。なぜなら、カンボジアの大地には死んでいった人間の肉が土に還って養分となっているからだ。これ以上贅沢な肥料を存分に与えられた大地は他にはない。

殺されていった人々は、まさか自分たちを取り巻く世界がこのような極端な体制転換になるとは夢にも思わなかったはずだ。

ベトナム戦争も終結に向けて動いており、むしろこれで暮らしやすい時代が来ると安堵していた可能性もある。それは、クメール・ルージュ(ポル・ポト派ゲリラ)がプノンペンに入ってきた時、彼らはカンボジアの旗を振ってそれを歓迎していたことでも分かる。

しかし、その後に行われたのは世界でも類を見ない民族大虐殺(オートジェノサイド)の動きだったのだ。

資本主義を破壊し、国民全員を農民にして、ポル・ポト政権は世界で類を見ない「平等な社会」を作り上げた。しかし、それは当時のカンボジア人だけでなく、全世界の人の想像を絶する地獄(ディストピア)だったのだ。

資本主義を破壊しても国民全員を平等にしても、必ずしもそれで幸せな社会がやってくるとは限らない。そのことを、私はポル・ポト政権を見て知っている。

資本主義に関するものであれ、共産主義に関するものであれ、他の何かに関するものであれ、極端(エクストリーム)な主義主張を私は信じたことは一度もない。それは往々にして、危険思想に過ぎないのだから。

『キリング・フィールド HDニューマスター版』

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