フン・セン首相は軍事や武力に対してまったく抵抗がなく、自分の政敵を葬るのにしばしば過激な手段を使う。自分が追い詰められれば追い詰められるほど、手段が過激になるのだ。今もそうした姿勢はまったく変わっていない。これからも独裁を続けていくだろう。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
フン・セン首相はずっと首相の座にしがみついてきた
2018年に総選挙を迎えるカンボジアでは、フン・セン首相の独裁政治がだんだん不穏なものになりつつある。
カンボジアに君臨するフン・セン首相は、野党の躍進で自分の独裁が崩壊するのではないかと考えて、野党の破壊とメディアの弾圧に走っているのだ。
シアヌーク殿下が2012年10月15日に89歳で崩御した後、カンボジアの権力はフン・セン首相に集中し、今のカンボジアはすでに「フン・セン帝国」と化している。
フン・セン首相の弱点は王族ではないので、首相を降りたら「ただの人」になってしまうことである。だから、フン・セン首相は絶対に首相の座を他人に譲ろうとしない。
1985年に首相になってから現在まで、紆余曲折を経てフン・セン首相はずっと首相の座にしがみついてきた。
フン・セン首相の最大の危機だったのは1993年で、国連管理下の総選挙の結果、ノロドム・ラナリットと共に「ふたり首相」となった時だった。
ラナリットは第一首相、フン・センは第二首相だった。しかし、当初からフン・センはラナリットを嫌悪して激しい政治闘争を仕掛け、1997年にはついに軍事クーデターを起こしてラナリットとその一派を放逐してしまった。
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政敵は力づくで排除するフン・セン首相の剛腕
フン・セン首相は軍人上がりであり、当初はポル・ポト派であるクメール・ルージュに所属していた。
フン・セン首相は左目を失明しているが、これはポル・ポト派としてアメリカの傀儡ロン・ノル政権の兵士と戦っていた時に受けた傷である。
しかし、フン・センは途中からクメール・ルージュに嫌気を指してベトナムに亡命し、ポル・ポトが政権を取ってからは、反ポル・ポトの指揮者として第一線で活躍した。
こうしたバックグラウンドを持つので、フン・セン首相は軍事や武力に対してまったく抵抗がなく、自分の政敵を葬るのにしばしば過激な手段を使う。
自分が追い詰められれば追い詰められるほど、手段が過激になるのだ。
1997年の軍事クーデターもまたその一例であり、他にも野党の党首をしばしば不当逮捕し、殺害を仄めかしてカンボジアから放逐するようなことを行っている。
フン・センの独裁は、そうした軍事を背景にした力で維持されており、だから野党が躍進した時は野党の党首の生命が危ういものとなる。
それは今でもまったく変わっていない。
現在、カンボジアで最大野党となって「いた」のが救国党だったのだが、フン・センはどうしたのか。
カンボジアの国民がフン・セン首相の独裁に嫌気を指して救国党を支持すればするほどフン・セン首相は敵意を剥き出しにするようになった。
そして2017年9月3日、フン・セン首相はとうとう救国党の党首であるケム・ソカをいきなり逮捕するという挙に出た。罪名は「国家反逆罪」である。完全に不当逮捕だ。
もしケム・ソカが有罪になれば、禁固30年の刑に処せられる。
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国を中国に売り飛ばす勢いで中国になびいている
さらにケム・ソカ氏を逮捕した1ヶ月後、今度は副党首であるム・ソクア氏にも逮捕勧告を出している。やはり「国家反逆罪」である。
このム・ソクア氏は女性の議員なのだが、カンボジアの貧困女性に尽くして人権向上のために真摯に動いていた政治家だった。国民にも人気があった。
フン・セン首相はこのム・ソクア氏の影響力にも大きな懸念を抱いて早めの排除を目論んだ。逮捕勧告が出たため、ム・ソクア氏は急いでカンボジアを離れるしかなかった。
そして、こうした動きを見てカンボジアの野党議員は不当逮捕を恐れて次々と国外に脱出する動きになった。
それだけではない。フン・セン首相は自分の独裁を批判するメディアにも弾圧を試みており、由緒ある報道紙『カンボジア・デイリー』も強制的に廃刊が決まっている。
野党もメディアも為す術もなくフン・セン首相に叩き潰されたというのが現在の状況だ。
はっきり言って、フン・セン首相の独裁はあまりにも強すぎて、カンボジアの野党もマスコミもフン・セン首相に対抗する術がない。
正攻法で戦えないのであれば軍事クーデターしかないのだが、フン・セン首相は警察と軍をがっちりと押さえており、野党が付け入る隙もない。
もっと悪いことに、今のフン・セン首相には大きな後ろ盾がいる。それが「中国」である。
フン・セン一族はカンボジアで莫大な財産を手にしており、あたかも王族のように振る舞っているのだが、その金の出所は政府の公金である。政府の金を自分たちの金のように使っているのである。
そこに、中国から多額の賄賂が流れ込んでおり、フン・セン首相はもはや国を中国に売り飛ばす勢いで中国になびいている。
これからもフン・セン首相の独裁が続く理由とは?
中国は「独裁者」が好きだ。なぜなら、独裁者に多額の賄賂を流し込むことによって、現地の利権を独り占めにすることができるからだ。
ジンバブエのロバート・ムガベ大統領もそうして中国に懐柔された独裁者のひとりだが、その系列にフン・セン首相がいる。中国の主要なインフラ工事、大型プロジェクトはことごとく中国が独占し、他国の影響力を徹底排除していく。
日本は早くからカンボジアに多額の援助を行って、カンボジアの紙幣には日本が作った橋も印刷されているのだが、現在のカンボジアにはもう日本の影響力などほとんど残っていない。
札束でフン・セン首相を押さえた中国は、今やカンボジアを裏庭であるかのように難なく進出して、ASEAN会議でもフン・セン首相に中国の味方をさせている。
つまり、中国はフン・セン首相ひとりを莫大な金で懐柔することによって、カンボジアそのものを「属国」のようにしてしまったのである。
これが中国のやり方だ。独裁者は国際社会から孤立する。そして窮地に落ちる。それを見計らって、独裁者に近づき、公然と支持し、莫大な金を独裁者に与える。
そうやって、じわじわとその国の不動産・経済・政治を乗っ取って中国色に染め上げてしまうのである。
東南アジアは中国にとって手慣れた土地だ。中国は国際的に孤立したポル・ポト政権を裏側から支援してきた国であり、その頃からカンボジアの利権をがっちりと押さえていたのだ。
私は2017年5月にカンボジアの首都プノンペンを訪れているが、カンボジア人は「あのビルも、このビルも中国が建てた」と指さしていた。
大統領官邸もスタジアムも、みんな中国が建てたものだ。大型プロジェクトは、やはり中国が押さえていたのだ。
主要なメインストリートの両側には華僑が経営する店が林立しており、中国銀行も中国工商銀行も当たり前に存在していた。「なるほど、カンボジアは中国の属国になったのか」と悟った瞬間だった。
フン・セン首相に莫大な「投資」を行ってきた中国は政権交代など望んでいない。だから、カンボジアはこれからもフン・セン首相の独裁が続くということである。
これが「属国」カンボジアの現状だ。
日本のメディアや左派は、こういった本物の独裁者に対しては全く非難しませんよね。
メディアにしろ(自称)知識人にしろ、口汚く首相を罵ろうが逮捕されることも無い。
そのくせして、堂々と選挙に臨み、正当に国民から選ばれて第一党となった政党から選ばれた安倍総理に対して、やれ独裁だのやれナチスだの……
彼らは自分達が恐怖独裁・弾圧を平然と行う連中だから、「相手もやってるはず」と本気で思い込んでいるのでしょうね。
葵
国際的に孤立していた国と言えばミャンマーも最近まで同様で、中国が進出していました。
しかしスーチー氏が政界に復帰し選挙で勝利すると流れが変わり、中国色が薄くなってきています。
中国の野望は最終的に世界を支配する事で、その前段としてアメリカと対等になる事ですから、アメリカに何度も太平洋を二分しようと提案しています。
それに対し河野外相は、中国は太平洋に面していないときちんと反論していますから前の外相と違い気骨のある方で評価できます。
中国にとってアジアの覇者は中国だけでいので、世界で人気のある日本が邪魔で仕方が無く、日本ディスカウント運動を韓国と仕掛けている訳です。
その運動が最近サンフランシスコ市にも設置された20万人の性奴隷と書かれた少女像であり、南京30万人虐殺であり、旭日旗を戦犯旗とののしる行為ですから今後も悪意のある行動は止むことが有りません。
韓国では国家ぐるみで義務教育から日本が韓国の財産を奪ったと真逆の反日教育をしていますから、反日運動はますます強くなります。
この現実が読めない外務省や政治家は報復外交をしませんから、悪意ある行動が止むことが無い訳です。まずは韓国を完膚なきまでに叩きのめし竹島を奪還する事が必要なのですが、困った事にアメリカも日本が戦犯国としていてもらった方が都合がいいのです。
韓国が通貨危機でスワップを求めてきた時が反撃のチャンスですが、きちんと条件を付けられるか心配です。
余談ですが、先日タイの国家警察の幹部と夕食をしていました。彼にNHKから取材が来て12月8日の「おはよう日本」と言う番組で午前6時ごろ放送されるそうです。
内容は2007年にスコータイでレイプされて殺された27歳の大阪の劇団員川上智子さんについてです。ご両親が捜査の要請に毎年来られているとの事で痛ましい事件ですが未だ未解決です。
関心のある方は「スコータイ殺人事件」で検索すれば出てきます。
女性の一人旅は「裸でジャングルを歩いているようなものだ」と何度も書いていますが、治安が良いとされるタイでもリスクは日本と比較にならず、レイプされても表に出ないケースが多いと思います。
ACE
さすが、傾城さんがカンボジアのことを書くと説得力が違いますね。
プノンペンでカンボっ子に「ベトナムなんて大嫌い。」と言われてからカンボジアとベトナムの関係に興味を持ちましたが、傾城さんの歴史的背景に触れた政治解説にはしびれました。
一般的に日本人にとっては馴染みが薄いうえに非常に複雑な政治関係なのですが、傾城さんのお陰で理解できました(たぶん)。
ガウ
1989年か1990年のことだったと思いますが、人に連れられて何回か東京目黒のカンボジア料理店に行きました。小さい店でしたが、日本語が大体話せるお母さんとそのご家族の経営という感じでした。
テーブルのそばに水槽があって、アロワナ(グリーンアロワナ)が一尾泳いでおりましてね、お母さん「料理すると美味しいんだけどこれは食べる用じゃないからー」と笑っておられました。
後、傾城さんのブラックアジアに出会い、傾城さんのご記事でカンボジアの歴史や現状をようよう知った私です。そうして、あのお母さんやお店の人たちはどんな思い、どんな経緯で日本に来たのだったっだろうかと今になって思われてなりません。目黒でお店を開くにあたっては何かしらのツテがあったのでしょう。そうだレストラン開こう!でいきなり異国に展開できないですよね。
それでも、願わくば、その理由の一つに「日本が好きだから」があったなら…と思います。aurore
フンセンと言えばドラ息子ならぬドラ甥っ子のホリデー日本人傷害事件を思い出しますね。
奴は当時18歳だったから今頃35歳で今でも虎の威を借りてノウノウと暮らしていることでしょう。
国民の多くは中国べったりの政府の姿勢を冷ややかにみているようですが、傾城さんの「属国」という表現はぴったりだと思います。
そのうち人民がどどーっと押し寄せてきてマレーシアのようにプミプドラ5:3華人のような人口割合の国となる日も遠くはないのかもしれません。下手すりゃ人口構成比の逆転現象も起こりクメール人のほうが少数派となってしまうようなことも起こりうるやもしれませんね。
カンボジアに関しては中韓の企業は賄賂や癒着何でもありだそうでしてコンプライアンス重視の日本企業は敢えて一線を引いているため日本企業のプレゼンスが必然的に低下していってしまっているとのことです。