「身を持ち崩す」という言葉がある。私は東南アジアの歓楽街(Red Light District)にずっと転落していたので、私のまわりには売春屋アルコールやドラッグで身を持ち崩した女性たちばかりだった。
しかし、彼女たちはまだ持ち前のバイタリティーがあって、何か突き抜けた明るさもあって、貧困で転落したように見えない女性も多かった。
「自分の境遇を深く考えてしまう性格の女性は、転落と堕落の世界では生きていけないのだろうか。それともまわりがみんな同じだから、転落した世界で生きるのが当たり前の気持ちなのだろうか」と、いろんなことを思ったものだった。
どんよりとしていたのは、むしろ長らくタイに沈没していた日本人たちだった。
長期放浪でバンコクの中華街に沈没する人間は、そのほとんどが日本社会をドロップアウトした人間たちだった。彼らは大学を辞め、仕事を辞め、何をするわけでもなくバンコクの片隅で、ぶらぶらしていたのだ。
2005年頃、33歳のあるバックパッカーは「外こもり」という言葉を使ってそれを表現したことがあった。しかし、彼がその言葉を使う20年以上も前から、物価の安い東南アジアで、まったく何もしないで引きこもる日本人が溢れかえっていた。
2023年10月現在、彼らのことをよく思い出すようになったのは、昨今の円安で日本人が急速に貧しくなっており、国外にいる日本人もまた悲鳴を上げるようになってきているからだ。円はドルだけではなく、バーツに関しても弱くなっている。
そのバーツはドルに対して弱くなっているのだが、そのバーツですらも円よりも高い。「日本円」がいかに価値がなくなっているのかは、海外にいる日本人が一番、身に染みて感じている。
とくに、国外に長期滞在しているバックパッカーや貧困日本人が一番、堪えているはずだ。タイに暮らす日本人からもメールをもらったりして、そういうのを感じたりしている。