カンボジア

会員制

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(4)

カンボジア現代史 1953年〜1975年までの動乱の時代(1) 1953年〜1975年までの動乱の時代(2) 1953年〜1975年までの動乱の時代(3) 1953年〜1975年までの動乱の時代(4)カンボジアの「顔」であったシアヌークがク...
会員制

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(3)

ジュネーブ協定でシアヌークは独立を勝ち取ったが、シアヌークはここでひとつの約束を交わしていた。それは1955年に選挙を行うということである。民意を得た政権をカンボジア内に誕生させて、独立後の政権運営を任せることが独立の条件だった。カンボジア...
会員制

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(2)

シアヌークの粘り強い対フランス交渉によって、カンボジアは外交主権承認を得た。その後1954年7月21日のジュネーブ協定成立にて、カンボジアはフランスから完全独立を果たした。このとき、シアヌークが利用したのはカンボジアにも共産主義者が台頭して...
会員制

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(1)

マルグリット・デュラスというフランスを代表する作家がいる。この作家の小説の中で繰り返し繰り返し出てくるのは彼女が幼年時代を送ったコーチシナの憧憬である。彼女の代表作であり問題作である『ラ・マン(愛人)』でも、舞台はコーチシナだった。マルグリ...
会員制

◆カンボジア女性と結婚するには、月収25万円以上が必要だ

カンボジアは共産主義国家であり、かつてはポル・ポト政権という超独裁政権の支配下にあったこともあり、同じ共産主義の独裁主義国家だった北朝鮮に理解があった。その関係で、フン・セン時代になっても朝鮮人がカンボジアを東南アジアの拠点とするなどして、...
会員制

◆カンボジアで、心優しいシンガポールの女性が殺されたこと

2013年4月30日、カンボジアのプノンペン近郊(コンポンスプー州)で、シンガポール人の女性が殺された。ウェンディ・ネンという名前の55歳の女性教師だった。彼女はカンボジアの貧しい孤児の子供たちに教育を施す草の根のボランティア活動をしていた...
会員制

◆ミス・ランドマイン。地雷で手足を吹き飛ばされた女性たち

1990年代後半、カンボジアのバッタンバン州に行っていた頃に言われたのは、「絶対に道ではないところを歩くな」ということだった。「地雷がある」バッタンバン州では2000年を過ぎても、戦争で破壊された戦車の残骸が道ばたに転がっているような国だっ...
東南アジア

◆カンボジアの虐殺の洞窟(キリングケイブ)を訪ねたときの話

カンボジアは1975年から1979年まで、民族大虐殺が引き起こされた国だ。この間、カンボジアの経済は崩壊するに任せられて、国土は死体の山になっていた。その後も、ポルポト派は西部パイリン省のジャングルに拠点を構えて1985年あたりまでずっと武...
ドラッグ

◆シンナーに覚醒剤。麻薬が蔓延するカンボジアに未来はあるか

タイは東南アジアでは非常に発展した地域なので、大量のドラッグが押し寄せてきており、政府はこれを必死になって防止している。麻薬はミャンマーからもラオスからもカンボジアからも流入してくる。日本は海に囲まれていてそれが自然の防波堤となって隣国から...
会員制

◆ハイエナの天敵(2)。アメリカの情報機関も、そこにいる

タイ編人身売買の糾弾は、いまやNGO団体や政府の両方にとって定期的に行われる恒例行事でもある。日本も例外ではない。2003年6月11日、アメリカの国務省が売春や強制労働をめぐる人身売買の政府対応について、世界の各政府をランク付けした報告書を...
会員制

◆ハイエナの天敵(1)。政府と世論を動かす危険な監視組織

タイ編かつてヨーロッパは、アフリカ、北米・南米、インド、アジアとほぼ世界全域に植民地を持ち、多くのヨーロッパ人は世界中に散らばって植民地をさまようようになった。犯罪者も、食い詰めた男も、軍隊崩れも、一攫千金を目指す人間も、みんな海外に出るよ...
貧困・格差

◆カンボジアにも、いよいよ埋めがたい格差問題が生まれてきた

バンコクのカオサン・ロードで、知り合った日本人の友人たちと、けだるい会話を楽しんでいたことがあった。まだ、20代だった頃だ。そのとき、ひとりの女性の物乞いが目の前に立った。今でも彼女の出で立ちを鮮明に思い出す。何日も着替えていないようなボロ...
会員制

◆川で沐浴をしているのを初めて見たのはカンボジアだった

熱帯の国では突如としてスコールがやってきて、雨に打たれて濡れる女性がたくさんいる。インドでもそうだ。急いで屋内や屋根や庇の下に逃げ込む女性がいると同時に、まったく雨に無頓着で、ぐしょぐしょに濡れたまま、傘も差さずに歩いている若い女性もいる。...
会員制

◆治安が悪く、真っ暗で、しかし魅力的だった昔のプノンペン

カンボジア編まだ20代だった頃……。私は取り憑かれたように「歩きたい」「さまよいたい」と思って、本当に漂流するような生活をしていた。子供の頃からそのような傾向があって、ふと思い立っては家出して騒ぎを引き起こしていた。家出して何をするわけでも...
会員制

◆深い郷愁を感じさせるカンボジアは、私にとって常に特別な国

私が「アジア」と言ったとき、私の中にあるのは「東南アジア」のことだ。生まれて初めて海外に出て、生まれて初めて放浪した大地は、まさに東南アジアだった。私はバンコクを抜けてタイを南に下っていき、現在は独立闘争で揺れているタイのヤラー県をさまよい...
会員制

◆人生がそのままカンボジアの歴史。シアヌーク前国王が死去

ノロドム・シアヌーク前国王が89歳で死去した。2012年10月15日午後2時44分のことだった。1941年、18歳で国王になってからカンボジア独立のために奮進、それ以降はノロドム・シアヌークその人がカンボジアの歴史になっていた。カンボジアの...
会員制

◆カンボジア・スワイパーに在籍していたベトナム女性の写真

カンボジアのスワイパーはかつてアジアでもっとも堕落した売春地帯だと言われていた地域だった。ここは2001年頃から監視が厳しくなり、2003年1月23日にカンボジア当局の一斉捜索を受け、翌日24日に完全閉鎖された。実はそのあとも残党が地下に潜...
会員制

◆「相手を愛してはいけない」という恐ろしい裏社会のルール

マザー・テレサが、捨てられてミルクを飲もうとしない赤ん坊を保護したことがあった。どのようにミルクを飲ませようとしても、赤ん坊は嫌がり、飲もうとしない。ミルクを口に含ませてもそれを飲み込まず、少し飲んでもすぐに吐き出してしまう。衰弱して、やつ...
会員制

◆カンボジアを忘れてしまったのですか? 忘れていませんよ

カンボジアにはもう長らく行っていない。旅人でいるのは2012年4月でやめたので、今後はカンボジアに行くかどうかも分からない。最近は、記事でもカンボジアを取り上げることはほとんどなくなったし、カンボジアの記事をウォッチしていないので、あの国が...
ロリコン

◆ロリコン犯罪(2)逮捕者が続出していたカンボジアの暗部

カンボジア編タイではかつて中華街(ヤワラー)に「冷気茶室」という奇妙な店があった。そこでは多くの未成年が売春のために働いていたので世間の批判が集中した。1990年代の話だ。今では相次ぐ警察の摘発によってほとんど壊滅状態になった。わずかに残っ...
会員制

◆虐待かしつけか? カンボジアは、子供の教育には甘くない

以前、カンボジア・プノンペンのプサー・トメイの入口で食事をしているとき、ひとりの少女が母親らしき女性に激しく叱られているのを見たことがあった。クメール語で母親が何を罵っていたのか分からないが、モトバイの騒音をかき消すような大声で10歳前後の...
会員制

◆街でキスして、公序良俗を乱したと逮捕される国カンボジア

カンボジアは隣国のタイと違って非常に道徳・倫理にうるさい国だ。2000年頃から女性はミニスカートを履くな、だとか西洋のダンスは反対だとか、そのような統制がなされるようになっていた。1990年代のカンボジアしか知らないと2000年代以降のカン...
東南アジア

バイオレンス。カンボジアに渦巻く暴力の裏に何があるのか

閲覧注意夜の売春地帯に行けば、カンボジアには暴力が剥き出しのまま転がっていることがよく分かる。たとえば、70ストリートで、銃を持った兵士複数が酔っ払って若いベトナム女性を取り囲み、小突いているのを見たことがある。誰が彼女を助けられるというの...
会員制

◆カンボジア売春地帯の変遷と、違法の秘密刑務所「プレイスプー」

1990年代前半、カンボジアは内乱で傷ついた国内の復興のためにPKO(国際連合平和維持軍)を受け入れた。国際連合カンボジア暫定統治機構、すなわちUNTAC(アンタック)と呼ばれたこの多国籍軍は、不安定で脆弱なカンボジアに駐屯して、停戦の監視...
会員制

◆モニウォン通りの光景。カンボジア・プノンペンの目抜き通りのこと

カンボジアの目抜き通りと言えばモニウォン通りである。現ノロドム・シアヌーク国王の前がモニウォン国王(1941年没)だった。モニウォン通りは、このモニウォン国王から名を取っている。そして、モニウォン通りと言えば、向こう側にプサー・トメイ(中央...
会員制

◆カンボジア・バッタンバンの一本道。砂塵が舞い上がる道

かつてポル・ポト派の拠点があり、過酷なジャングルの中の強制労働でおびただしい人々が死んでいったのがバッタンバン州だった。バッタンバンはカンボジア有数の穀倉地帯であり、平坦な土地に延々と緑が広がる様を見渡すと、その美しさに感激する。