カンボジア

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◆川で沐浴をしているのを初めて見たのはカンボジアだった

熱帯の国では突如としてスコールがやってきて、雨に打たれて濡れる女性がたくさんいる。インドでもそうだ。 急いで屋内や屋根や庇の下に逃げ込む女性がいると同時に、まったく雨に無頓着で、ぐしょぐしょに濡れたまま、傘も差さずに歩いている若い女性もいる。 服が水を吸って肌に吸い付き、身体の線が服の上から浮き上がり、中には下着さえ見える女性もいる。それでも彼女たちは動じないで歩いている。 サリーやパンジャビード […]

◆治安が悪く、真っ暗で、しかし魅力的だった昔のプノンペン

カンボジア編 まだ20代だった頃……。私は取り憑かれたように「歩きたい」「さまよいたい」と思って、本当に漂流するような生活をしていた。 子供の頃からそのような傾向があって、ふと思い立っては家出して騒ぎを引き起こしていた。 家出して何をするわけでもない。ただ、街をさまよい、人を眺め、知らないところを知り、人々が生活するのを見つめるのが好きだったのだ。 今はもう、すっかり変わった。最近は、もう1年近く […]

◆深い郷愁を感じさせるカンボジアは、私にとって常に特別な国

私が「アジア」と言ったとき、私の中にあるのは「東南アジア」のことだ。生まれて初めて海外に出て、生まれて初めて放浪した大地は、まさに東南アジアだった。 私はバンコクを抜けてタイを南に下っていき、現在は独立闘争で揺れているタイのヤラー県をさまよい歩いて、東南アジアの豊穣に感銘を受けていた。 あれから私の行動範囲はとても広がって、一時はメキシコにまで惹かれたこともあったが、ふと気がつくと東南アジアが懐か […]

◆人生がそのままカンボジアの歴史。シアヌーク前国王が死去

ノロドム・シアヌーク前国王が89歳で死去した。2012年10月15日午後2時44分のことだった。 1941年、18歳で国王になってからカンボジア独立のために奮進、それ以降はノロドム・シアヌークその人がカンボジアの歴史になっていた。 カンボジアの独立はこの国王が成し遂げた。迫り来るベトナム戦争はこの国王が回避していた。 しかし、1970年にはアメリカのロン・ノル政権によって政権の座を追放され、国その […]

◆カンボジア・スワイパーに在籍していたベトナム女性の写真

カンボジアのスワイパーはかつてアジアでもっとも堕落した売春地帯だと言われていた地域だった。 ここは2001年頃から監視が厳しくなり、2003年1月23日にカンボジア当局の一斉捜索を受け、翌日24日に完全閉鎖された。 実はそのあとも残党が地下に潜って生き残っているのは2004年に行って確認したが、すでに99%が閉鎖されて売春地帯ではなくなっていた。売春地帯としてのスワイパーは終わったのだ。 このスワ […]

◆「相手を愛してはいけない」という恐ろしい裏社会のルール

マザー・テレサが、捨てられてミルクを飲もうとしない赤ん坊を保護したことがあった。どのようにミルクを飲ませようとしても、赤ん坊は嫌がり、飲もうとしない。 ミルクを口に含ませてもそれを飲み込まず、少し飲んでもすぐに吐き出してしまう。衰弱して、やつれ、自ら死んでしまおうとしているような赤ん坊だったという。 そこで、マザー・テレサはどうしたのか。 この聖女は、ひとりの修道尼に命じて、何日もずっと赤ん坊を抱 […]

◆カンボジアを忘れてしまったのですか? 忘れていませんよ

カンボジアにはもう長らく行っていない。旅人でいるのは2012年4月でやめたので、今後はカンボジアに行くかどうかも分からない。 最近は、記事でもカンボジアを取り上げることはほとんどなくなったし、カンボジアの記事をウォッチしていないので、あの国がどうなっているのか詳しく分からなくなった。 だからだと思うが、「カンボジアを忘れてしまったのですか?」と、メールで問いかけられるほどになってしまった。もちろん […]

◆ロリコン犯罪(2)逮捕者が続出していたカンボジアの暗部

カンボジア編 タイではかつて中華街(ヤワラー)に「冷気茶室」という奇妙な店があった。そこでは多くの未成年が売春のために働いていたので世間の批判が集中した。1990年代の話だ。 今では相次ぐ警察の摘発によってほとんど壊滅状態になった。わずかに残っている冷気茶室は、逆に年老いた売春女性が疲れた顔でやって来る男を見つめているだけになった。 それでタイはクリーンになったのだろうか。いや、いまだこの国ではロ […]

◆虐待かしつけか? カンボジアは、子供の教育には甘くない

以前、カンボジア・プノンペンのプサー・トメイの入口で食事をしているとき、ひとりの少女が母親らしき女性に激しく叱られているのを見たことがあった。 クメール語で母親が何を罵っていたのか分からないが、モトバイの騒音をかき消すような大声で10歳前後の女の子を激しく叱っていた。 最初は、「よほど怒られるようないたずらをしたんだな」と苦笑して食事しながら見ていた。 しかし、突然、予想もしない展開を見ることにな […]

◆街でキスして、公序良俗を乱したと逮捕される国カンボジア

カンボジアは隣国のタイと違って非常に道徳・倫理にうるさい国だ。2000年頃から女性はミニスカートを履くな、だとか西洋のダンスは反対だとか、そのような統制がなされるようになっていた。 1990年代のカンボジアしか知らないと2000年代以降のカンボジアには面食らう。 しかし、内戦終結後の混乱と無法地帯の雰囲気が充満していた1990年代が異常だったので、今のカンボジアが正しい姿なのだろう。 コンテンツの […]

バイオレンス。カンボジアに渦巻く暴力の裏に何があるのか

閲覧注意夜の売春地帯に行けば、カンボジアには暴力が剥き出しのまま転がっていることがよく分かる。 たとえば、70ストリートで、銃を持った兵士複数が酔っ払って若いベトナム女性を取り囲み、小突いているのを見たことがある。 誰が彼女を助けられるというのだろう。仲裁に入ろうと思っても、酔っ払った兵士たちは銃を持っている。その銃はこけおどしではなく、本物だ。兵士は気が向くままそれを連射することができる。 コン […]

◆カンボジア売春地帯の変遷と、違法の秘密刑務所「プレイスプー」

1990年代前半、カンボジアは内乱で傷ついた国内の復興のためにPKO(国際連合平和維持軍)を受け入れた。 国際連合カンボジア暫定統治機構、すなわちUNTAC(アンタック)と呼ばれたこの多国籍軍は、不安定で脆弱なカンボジアに駐屯して、停戦の監視や治安維持に務めるのが仕事だった。 自衛隊も派遣されたのでUNTACは日本でもよく知られていたかもしれない。 しかし、しばらくするとカンボジアの昼と夜がまった […]

◆モニウォン通りの光景。カンボジア・プノンペンの目抜き通りのこと

カンボジアの目抜き通りと言えばモニウォン通りである。現ノロドム・シアヌーク国王の前がモニウォン国王(1941年没)だった。モニウォン通りは、このモニウォン国王から名を取っている。 そして、モニウォン通りと言えば、向こう側にプサー・トメイ(中央市場)が見えるこのあたりがやはり一番有名だろう。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員につ […]

◆カンボジア・バッタンバンの一本道。砂塵が舞い上がる道

かつてポル・ポト派の拠点があり、過酷なジャングルの中の強制労働でおびただしい人々が死んでいったのがバッタンバン州だった。 バッタンバンはカンボジア有数の穀倉地帯であり、平坦な土地に延々と緑が広がる様を見渡すと、その美しさに感激する。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について

◆セックス・スレイヴスと、カンボジアの70ストリート

いつだったか、東南アジアから日本に戻る飛行機の中の長い長い時間を利用して、一冊の本を時間をかけてゆっくりと読んでいたことがあった。 シンガポールの書店で買ったもので、本の題名は、SEX SLAVES the trafficking of woman in Asia 。著者はイギリス人の Louise Brown とある。 https://www.amazon.co.jp/dp/1860499031 […]

◆2003年1月24日、カンボジア・スワイパーの命運が絶たれた

悪名高いカンボジアの売春村「スワイパー(Svay pak)」が2003年1月23日に一斉捜索を受け、翌24日には完全に閉鎖された(公式には)。 アセアン観光フォーラムがそのきっかけになったが、今回は政府がNGOの長年の批判を受け入れて、スワイパーを完全閉鎖する方向で動き出したと言われている。 また、外国人の児童性愛者の取り締まりも今後は強化して行くというコメントもある。 フランス系の新聞にも、その […]

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