◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(2)

NO IMAGE

シアヌークの粘り強い対フランス交渉によって、カンボジアは外交主権承認を得た。その後1954年7月21日のジュネーブ協定成立にて、カンボジアはフランスから完全独立を果たした。

このとき、シアヌークが利用したのはカンボジアにも共産主義者が台頭しているという状況だった。シアヌークが執拗に左派の台頭をフランスに訴えたのには理由があった。

フランスが隣国ベトナムのゲリラ戦で根も精も尽き果てていくのを見ていたからである。

このとき、フランスはベトナムのホー・チ・ミンが率いるベトナムの共産主義者に振り回され続けて疲弊していた。

だからカンボジアまでもが赤化した暁には、フランスの東南アジア支配は収拾がつかなくなってしまう。フランスがそれを恐れているのをシアヌークは知っていた。

だから、シアヌークはそのフランスの置かれた苦境と弱みを徹底的に利用して立ち回っていた。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

会員制カテゴリの最新記事