◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(3)

ジュネーブ協定でシアヌークは独立を勝ち取ったが、シアヌークはここでひとつの約束を交わしていた。

それは1955年に選挙を行うということである。民意を得た政権をカンボジア内に誕生させて、独立後の政権運営を任せることが独立の条件だった。

カンボジアでは少数勢力だった共産主義者も、この1955年の総選挙をチャンスと捕らえたのは当然のことである。

カンボジアはともかく、隣国ベトナムの独立は曲がりなりにも共産主義が力の源泉になっていることをカンボジアの国民も知っていた。

共産党はその面をアピールすれば選挙に勝てるかもしれないと踏んでいた。

この選挙を見据えて、たとえばホー・チ・ミンのインドシナ共産党から分離したクメール人民革命党は、合法組織として1954年末に「人民党」を設立している。

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