先日、横浜に行ったときに寿町のドヤ街をさまよい歩いて久しぶりに貧困街の空気を吸ってきた。すでにドヤでは高齢者まみれになって活気が失われており、なんとなく時代に見捨てられた寂しい感じがあった。
まっすぐ歩けない高齢者が道に立ち尽くしていたり、ドヤの入口に座っていたりする姿もあった。
あるいは、ドヤの前に捨てられているのか置かれているのかわからないソファに座ってインスタントラーメンを食べている男の姿もあったりした。街はどんどん廃れているのだが、そこに居ついた人たちは変わっていないなと感じた。
しはらく歩くと、取り残されてくすんだ街なのに、朝から開いてやる気満々の施設が見えた。
パチンコ屋だった。
以前見たときと比較して雰囲気が変わった。改装されたのかもしれない。ジャージを着た若者や歩くのもやっとの高齢者が入口でたむろしており、ここだけは商売が繁盛しているようだった。
パチンコは凋落したと先日ニュースであったばかりなのだが、書籍『どん底に堕ちた養分たち』でも取り上げた「養分」たちは相変わらずパチンコにのめり込んでいるのだった。
ところで、この寿町にはボートレースの場外舟券発売場もあったりする。ここもドヤに似つかわしくない巨大な建物で、儲かっているのが一目でわかる。ここにもギャンブルに取り込まれた養分たちがうじゃうじゃといるようだった。
ギャンブルにのめり込む人は、もう最初から人生の落伍者になることが決定づけられていると考える人が多い。たしかに、そうかもしれない。彼らはギャンブルに深くのめり込む「危険な因子」を持った人でもある。
ドヤ街をさまよい歩きながら、私はこの「危険な因子」を持った人が人生を良い方向に逆転させることは可能なのかどうか、ぼんやりと考えていた。不可能ではないはずだ。場合によっては、その「危険な因子」をうまく使えば逆に大逆転できるのではないかとも思ったりした。
どういうことか……。