私たちは常識から逸脱しないで暮らしているのだが、そうするとうまく生きられる代わりに刺激が得られなくなって退屈を感じるようになる。平凡は幸せなのだが、幸せは退屈なので、幸せが不幸に感じることになる。
そこで、常識から逸脱することによって刺激を感じ、生きていることを実感しようと考える人たちも出てくる。
とくに「性的な逸脱」は強い刺激が得られるので、それを求める人が必ず出てくる。そして、タブーは挑戦される。タブーは破られる。
わかりやすくいうと「やってはいけない」といわれていることやるのがタブーの逸脱である。不倫もそうだし、露出もそうだし、乱交もそうだし、SMもそうだし、フェチ(変態的)な行為もそうだ。のぞきや痴漢やレイプなどの犯罪的行為もそうだ。
また、暴力で相手を屈服させたり、相手や自分を傷つけながら行う性行為、アンダーグラウンドの世界でいわれている「アドレナリン・セックス」もまた強烈な逸脱行為である。
これらはやっていはいけないことであり、犯罪ではなくても自らの評判や信用を落とすので「知られてはいけないもの」でもある。
よく地位のある人が地位も名声も失う要因となっているのが不倫行為だ。今までおびただしいまでの成功者がこれで人生を棒にふった。しかし、「これがバレたら終わりだ」と頭では理解していても、そこにハマったらやめられない。
なぜなら、性的な逸脱はスリルがあり、いったんスリルを味わうと、それはとめられないからである。「禁じられた果実は甘い」のだ。相手が人妻であったりして問題が起きそうな相手であればあるほど、果実はより甘くなる。
もっと悪いことがある。この性的な逸脱で味わうスリルは……
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