タイ編
ノイという女性がバンコクのオープンバーがいた。スクンビットのナナ駅からアソークに歩いていく途中のオープンバーにいた小柄な女性だった。
彼女は今まで知り合ったタイ女性の中で、もっとも英語が流暢だと言っても過言ではないほど素晴らしい英語を話した。
フィリピン女性ならこれくらいの英語を話してもおかしくないが、彼女は正真正銘のタイ女性だ。しかも、その英語は独学で勉強した英語だと言った。
少々鼻につく饒舌さ
タイ訛りは感じさせるが、それよりもアメリカ人の話す砕けた発音に近い。彼女と数分話しただけで、白人(ファラン)のボーイフレンドがいるか、いたはずだと確信した。
しかし、ストレートにそう尋ねると、ノイは「ボーイフレンドなんかいなかった。あなたの誤解よ」と、それを否定した。
そして、なぜ白人(ファラン)のボーイフレンドがいないのか、そして過去にも付き合ったことがないのか、10分も20分もかけて「情熱的に」聞かせてくれた。
「だって、わたしはタイ人だし、背も低いから白人と身長が合わない。それにボーイフレンドは欲しくない」
そんな内容だった。なるほど、と思いながら「だけど、君の英語はうまいね」と言うと、「ありがとう」と抱きついてきた。
こちらが少々知っているタイ語を混じらせて話すと、彼女はそれをすべて首を振って否定して英語に言い換える。そして、彼女は猛烈な勢いで数分もひとりで英語を話し続けた。
その饒舌さは少々鼻につくほどだった。ふと、インドの女たちを思い出さずにはいられなかった。インドの女たちもまた、その饒舌さについては彼女と良い勝負だった。
ただ、インドの女性とノイが決定的に違ったのは、ノイの前のめりのエネルギーだ。
インド女性の饒舌さはあたかも天の啓示をそのまま伝えるような雰囲気がある。相手が信じても信じていなくても、真実はひとつで不変だという態度だ。実に堂々としている。
ノイの饒舌さは違った。自分の言っていることを主張して必死に信じてもらおうとする説得型というのだろうか。言葉の上に言葉を足して過剰に説明するようなものがあった。
わたしの弟が交通事故
ノイと話をしながら、いやノイの饒舌な話を聞きながら、このような女性と一緒にいたら、最初は楽しいかもしれないが数日で疲れはててしまうだろうと感じる。
饒舌な女性と付き合うには、同じくらいのエネルギーが男にもなければならない。そうでないと圧倒されるからだ。
現に、たった30分ほどいただけで、もうすっかりこの小柄な女性に圧倒されてしまっていた。彼女の話が終わる頃に「君と会えて楽しかったよ」と立ち去ろうと考えた。
すると、彼女はそんな感情をなぜか目ざとく察知して、急に哀願調になってこのようなことを言い始めた。
「ごめんなさい、わたしはおしゃべりし過ぎたわ。本当にごめんなさい。聞いて欲しいことがあるの。わたしの弟が交通事故でおカネがいるの。だから、どうしてもあなたと一緒にホテルに行っておカネを作りたい。だから、必死になってしまったみたい」
それを聞いて彼女に対して同情心が芽生えた。タイでは交通ルールを守らない人間も多く、車も暴走しているし、バイク事故もやたらと多い。
「家族が交通事故に遭ったからお金を送って」と男に嘘の話をして金をせしめる詐欺も横行しているが、ノイの真剣さを見ていると、とても嘘には見えなかった。
「弟は、わたしの目の前で車に轢かれたの」
突如、彼女は話を唐突に途切れさせたかと思うと、大粒の涙が彼女の頬を伝わって泣き始めた。
「どうか、お願い……」
彼女は腕をぐっと握ってきた。もし、これが嘘なら、まさにアカデミー賞なみの演技だ。
女優でも演技中に都合よく泣けないから目薬でも使ってごまかすこともあると聞くが、ノイは目を真っ赤に充血させて泣いている。
もらい泣きしてしまいそうだった。バドワイザーでも飲んでいれば、間違いなくもらい泣きしてしまっていただろう。結局、ノイの涙を乾かすために、彼女をペイバーする決意をした。
ドラマチックな話
ホテルに戻るまでの道すがらはさすがに彼女も黙っていたが、ホテルに入ると彼女は急に目をキラキラさせて、この部屋は前にも一度入ったことがあると言い出した。
そう言えばインドネシアでも一度そのようなことがあったので偶然が重なるものだなと笑った。
ノイは、ある白人(ファラン)に連れ込まれたけれども、彼は急にアニマルのようになって襲いかかってきて、必死に抵抗してここから逃げたと言い出した。
「確かに、このベッドだわ。ここで押し倒されて、わたしは必死に暴れて……」
彼女はベッドを指さして、恐怖に駆られたかのように腕を組んで不快な顔をする。
そんな話にすっかり驚いてケガはなかったのかと尋ねると「問題なかった。大丈夫だったわ。彼は酔っていたのよ。だからすぐに、わたしは逃げたわ」というような内容を微に細を入れて説明するのだった。
そして彼女は、その男が翌日に自分のバーにやって来たとも言った。
「でも、たぶん彼が来ると思ったの。知り合いの警察官にバーにいてもらったわ。その白人(ファラン)は、暴れようとしたけど、呼んでいた警察官が銃を彼の顔に突きつけたら、おとなしく帰って行った」
そんなドラマチックな話を彼女はした。
彼女がシャワーを浴びている間、違和感のようなものが頭の中を駆け巡る。どうやら虚言癖のある女につかまったのだと思わざるを得なかった。
彼女の話のいろんなものが、あまりにも大げさで、あまりにも都合が良く、あまりにも納得できないものが多かった。
ひとつひとつの話はしっかりと整合性が取れているのだが、そのすべての話を総合すると、何もかもがドラマチックすぎる。そして、その話の切り出し方が、いかにも唐突だった。
虚言を言う女性は、過去に何人か知っている。もっとも証拠はないので、それが虚言なのかどうかはよく分からないのだが、どこか話に信用ができない女性がいる。
これまでも何回かそんな女性と一緒になったことがあるが、これほど虚言癖を疑わせるような女性は初めてだった。
ということは、やはり「弟が目の前で交通事故」というのは嘘なのだろうか。なんとなく、そうらしいと考えざるを得なかった。
もちろん、彼女が嘘を言っているという証拠はない。それはすべて「真実」だったのかもしれない。あの「涙」は嘘なきではなく、渾身の力で泣いていたはずだ。
しかし、疑念があった。
もし、彼女が弟の交通事故だけの話で止めておけば疑念は抱かなかった。いろんなドラマチックな出来事を重ねるから、おかしいと感じるようになった。
なぜ彼女はそうまでして嘘を言い続ける必要があるのか。それに対して何のメリットがあるのか。
よく分からなかった。
「虚言」と「嘘」の境
ノイの売春ビジネスには付き合った。そのあとも、彼女は何かいろんなことを言っていたが、もうすでに彼女の話を本気で受け取っていなかった。
なるべく話に巻き込まれないようにして、「今日はすごく疲れた」と言って彼女に早めに帰ってもらうことにした。
恐らくカネを吹っかけてくると思ったが、意に反してそうでもなく、相場通りの値段を受け取って去っていく。
彼女がいなくなったあと、とりあえず彼女と会ったことを細かく記して、あとはもう彼女と会ったことすらも忘れようと努力した。
ただでさえ他人を信じない性格になっている。虚言に巻き込まれていくと、それがさらに増長していきそうな気がした。
虚言には単なる行き当たりばったりの嘘があるだけだから、その真意を探ろうとすれば、よけいに嘘に巻き込まれる。
だから、ノイとの出会いは、大急ぎで忘れなければならないものだった。聞いたことはすべて受け流し、本当か嘘かすらも探らない。ただ、忘れればいいだけなのだ。
そうやってノイの印象をわざと薄めさせた。
今、そういえばこのような女性がいたと記録してあった当時のノートを見ながら振り返るのだが、改めて「虚言」と「嘘」の境が何であるのか考えたりする。
嘘と言えば、売春地帯にいる人間は全員が嘘の常習犯だ。みんな嘘をつく。
まず、年齢で嘘をつく。結婚しているか、していないかで嘘をつく。恋人がいる、いないで嘘をつく。子供がいる、いないで嘘をつく。仕事をしている、していないで嘘をつく。
最大の嘘は「あなたを愛している」という嘘だ。
そのように言えば、たいていの男が言うことを聞くと女たちは思っている。だから、数打てば当たる方式で、通りすがる男全員に「愛している」と言いまくる。
もちろん、男も嘘を言う。「俺は金持ちだ」「有名な会社の経営者だ」「俺は国では有名人だ」と見栄を張るような嘘が多い。自分を大きく見せたいという何か虚栄心のようなものもあるのだろう。
「俺は独身だ」という嘘もあるが、これは結婚をちらつかせて女を操ろうとする男の作戦でもあったりする。
ごまかしと、誇大妄想
売春地帯では男も女も、みんな自分の都合のいいように嘘を言って回るので、相手の言うことを信じようが信じまいが自己責任の世界でもある。
夜の世界の言葉とはその程度しかない。セックスを売り買いするだけのビジネスで、終われば二度と会わないのだから、その瞬間だけ辻褄が合えばいいだけの話だ。
そもそも、化粧そのものが女性にとっては「嘘」みたいなものだ。化粧をした顔がどんなに美しくても、素顔がそうだと限らないのは誰でも知っている。
つまり、化粧で男を騙しているということになる。セクシーな服も、上げ底のブラジャーも、ハイヒールも、すべて実際よりも良く見せるための嘘である。
そう考えると、「すべての女は嘘つきである」と言えなくもない。
これは全世界で口にしてはならない暗黙の了解でもある。男は女の素顔を「想像することすら」も自ら放棄する。そして、自ら騙されようと自己暗示すらかける。特に売春地帯ではその傾向が強い。
夜の世界の化粧の濃さは、女性が素顔を絶対に悟られたくないという潜在意識が生み出している。化粧は素顔を隠すための仮面なのだ。
そんなに嘘がまかり通った世界なのに、なぜその嘘は許容できて、ノイの虚言のほうは許容できなかったのだろうか。
どちらも嘘に違いない。それなのに、明らかにノイの虚言には関わりたくないという自分がいる。なぜなのだろうか。
虚言癖に向く職業
普通の嘘は消極的で自己防衛のためのものだ。虚言は積極的で自己表現のためのものだ。そんなふうに考えた。
もっと分かりやすく言うと、普通の嘘は「ごまかし」で、虚言は「誇大妄想」だ。
年齢を聞かれて、年齢をごまかすのは普通の嘘だ。聞かれてもいないのに「有名人と会った」「自分が有名人だ」と誇張するのは虚言だ。
虚言はそれ自体を分析しても意味がない。だから、関わりたくない。意味のない言葉はどんなに分析しても、やはり意味がないのである。
虚言を吐く女性の存在はどうなのだろうか。
ノイのことを改めて考えてみる。口から出る言葉が信用できるか信用できないのかまったく分からない女性というのは、一緒にいて何か意味があるのだろうか。
いろいろ考えているうちに、案外、彼女は売春ビジネスの世界にいるのは正解なのかもしれないとも思うようになった。
売春の世界はその瞬間だけ関わり、あとは責任も持たないし二度と会わないかもしれないという「刹那の世界」だ。刹那が楽しければ、それで許される。
ありとあらゆる嘘がまかり通るのが夜の世界の特徴なら、息を吐くように嘘を吐くことができる虚言癖の女性は、言葉に責任を持たなくてもいいのだから、まさに天職ではないだろうか。
ノイが驚くほど流暢に英語を話すのも、もしかしたら虚言を補完するためなのかもしれないという気もした。
虚言癖の人間は、意外に難解な専門用語を自由自在に使って、饒舌だけれども何を言っているのかよく分からないのもひとつの特徴らしいが、きっと専門用語が虚言に箔をつけるからだろう。
ノイにとって、英語はまさに虚言に箔をつけるものだ。
彼女が男でなくて良かったものだと思ったが、ふと政治家たちの顔が脳裏に浮かんだ。そうか、男でも構わない職業があった。それは政治家だ、と苦笑いする。
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