古い道徳の中では「一夫一婦制」が重要視されていた。人類は基本的に乱婚主義なのに、長い歴史の中で揺れることなく一夫一婦制を堅持してきた。それは「なぜ」だったのか。それは、もしかしたら人類が道徳的だったからではなく、「疫病」を避けるための生活の知恵だったからではないのか。
今でこそ、様々な感染症や性病は治る。しかし、ほんの90年ほど前まではそうではなかった。健康でいるためには「一夫一婦制」は合理的な選択だったはずだ。
ところで、古い道徳の中では「処女・童貞」も重要視されていた。それは社会の総意であり、誰もが納得するものだった。しかし、「なぜ」そんな窮屈なものが重要視されたのか。それは、もしかしたら「疫病」を避けるための知恵だったからではないのか。
今でこそ、様々な感染症や性病は治癒するが、かつてはそうではなかった。健康でいるためには「処女・童貞の重視」は合理的な選択だったはずだ。
古い道徳の中では「穢れ」の概念も重要視されていた。社会には「穢れた人がいる」とされて、人々はそれを何の疑いもなく受け入れていた。それにしても、「なぜ」そんな概念を受け入れていたのか。
それは、もしかしたら人類は「疫病」にかかった人と濃厚接触したら自分も疫病にかかると知っていたからではないか。
今でこそ疫病はワクチンや抗生物質で何とか治癒できることが増え、医療の発達で様々な病気の正体が分かるようになった。しかし、かつては病気にかかれば死につながった。「穢れ」の概念は生きる知恵だったのではないか。