シンクタンクの報告書に拠らなくても、自然が破壊され続けると、いずれかの地点で、人間は自然に復讐されると私たちは誰でも常識的に考えて思うはずだ。世界のどこかで起きている自然破壊と異常現象は、単にそのエリアだけで収まるものではなく、周辺国を通して全世界に広がっていき、やがては地球全体が環境破壊の影響で苦しむことになる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
3443カ所で約32万8000ヘクタールの森が消失
私の小説『カリマンタン島のデズリー:売春と愛と疑心暗鬼』は、煙害(ヘイズ)の場面から始まる。シンガポールでインドネシア女性とふたりでいた時、シンガポールは呼吸が苦しくなるような煙で覆われていた。それはインドネシアから流れてきたものだった。
この場面は小説であるが、現実に私が体験した話でもある。空想ではない。
この小説の裏側の主軸になっているのは煙害(ヘイズ)である。インドネシアのカリマンタン島(ボルネオ)は、今もヘイズで問題を起こしている。
インドネシアの自然はとても美しく、山の中腹で車を停めてもらって身体を休めながら自然を見つめると、世界から隔絶されたような気持ちになっていく。
私はインドネシアの山の中腹にある村に行って、テラスで怠惰な時間を潰しているときは、たいていは山の向こうの遠くを見つめ、木々の葉が風に揺らめくのをじっと見つめて時間を過ごしている。
こういった自然は、世界中で開発されて猛烈なスピードで消えているのだが、インドネシアにいるとあまりにも自然が豊富でそれを忘れそうになる。
しかし、インドネシアでもジャングルが猛烈な勢いで消えているのは、もう誰もが知っている。アジア最大の熱帯雨林であるボルネオ(カリマンタン島)では乱開発が禁止されているが、法律無視の人間たちが乱開発し、森林を破壊し、野焼きですべてを燃やし尽くしている。
2019年9月20日。野焼きと森林火災によって、インドネシアのスマトラ島とカリマンタン島の計3443カ所で約32万8000ヘクタールの森が消失し、呼吸困難で数十万人が病院に運ばれたことが国際ニュースになっていた。
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煙害で真っ赤に染まったインドネシア
森林消失のスピードは、ますます加速
16歳の活動家グレタ・トゥンベリが怒り涙ぐみながら演説したことや、小泉進次郎が「地球温暖化の問題の解決にはセクシーに取り組む」と言って具体策を問われて沈黙してしまったことが話題になっている。
こうした胡散臭い登場人物が売名と滑稽なパフォーマンスに明け暮れている間にも、その裏側でリアルな自然破壊が起きている。
自然破壊は地球レベルで進んでいる。南米アマゾンも凄まじい森林火災が鎮火せずに国際問題になっているのだが、インドネシアや南米だけでなく、アフリカでも自然破壊が止まらない。
破壊されていないところは、もはや「皆無」である。
アマゾンやボルネオのジャングルは広大だが、今のまま伐採や野焼きや開発を続けるのであれば、あと数十年もすれば「消失」してしまうというのは科学者が常に主張している通りである。この森林消失のスピードは、ますます加速している。
アマゾンでは毎年、8,147平方キロ近くのジャングルが消失している。これは東京都の3.8倍の面積だ。ボルネオでは保護されているはずの国立公園の森林でさえ半分以上が違法に伐採されて、野生動物の多くが絶滅危惧種となった。
オランウータンはマレー語で「森の人(オラン=人・ウータン=森)」という意味だ。森がなくなっていくのだから、森の人オランウータンもやはり生息場所が減少し、絶滅の危機に瀕している。このままでいくと10年後には絶滅する可能性が高い。
現在の世界文明は、自然破壊の上で成り立った文明である。資源を取るために、ジャングルは容赦なく破壊されていく。しかし、ジャングルをすべて消失させてしまった時点で、人間自身も消失しなければならなくなる。
植物は二酸化炭素を酸素に変換させ、多くの野生動物を保護し、人間に多くの恵みを与えてきた。
その恵みが消えてしまうからだ。
もっとも、「人間の活動が自然環境を破壊して人間が住めないような世界を作っている」という主張に対しては賛否両論がある。ドナルド・トランプ大統領のような人物だけでなく、多くの人々が否定している。
「地球温暖化の原因は人間ではないから自然破壊に対しては心配しなくてもいい」と述べる人もいて、その意見も支持されているのだ。必ずしも人類も一枚岩ではない。しかし、こと森林破壊については、致命的な事態が進んでいるというのは間違いない。
1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから
現代文明は2050年に終わってしまう可能性
世界各国のジャングルが数十年で消失するのであれば、人間を取り巻く自然環境は激変するということでもある。森林が消えて「良い方向に向かっている」と思う人はいないはずだ。土地は砂漠化し、異常気象が今よりもずっと深刻になり、人間の生存環境は悪化する。
数十年と言えば、「すぐそこ」の話である。
それでも人間は現在の文明を維持するために、激しい環境破壊をやめず、そのペースは年々拡大していく一方だ。日本は少子化に苦しんでいるが、地球全体で見ると途上国の人口は爆発的に増えていき、比例して環境破壊も増加していく。
環境破壊の99%は人間が行っているとも言われているが、人口が増えれば環境破壊もまた進行していく。
現在は、世界全体で推定74億人の人口を抱えているが、この数字は今のところ増えることはあっても止まることはない。自然破壊は加速し、人口も増加していき、資源も急激に失っていく。その結果がどうなるかは、それほど難しく考えなくても分かる。
2019年6月7日。ニューズウィークは、豪メルボルンの独立系シンクタンク「ブレイクスルー」の報告として『2050年人類滅亡!? 豪シンクタンクの衝撃的な未来予測』という記事を書いている。そこにはこのように書かれている。
『2050年までに気温が3度上昇する。1.5度の気温上昇で西南極氷床が融解し、2度の気温上昇でグリーンランド氷床が融解する』
『気温が2.5度上昇すると、永久凍土が広範囲にわたって消失し、アマゾン熱帯雨林は干ばつに見舞われて立ち枯れる。ジェット気流が不安定となることで、アジアや西アフリカの季節風にも影響が及び、北米は熱波や干ばつ、森林火災など、異常気象の被害を受ける。陸地面積の30%以上で乾燥化がすすみ、南アフリカ、地中海南岸、西アジア、中東、米国南西部、豪州内陸部で砂漠化が深刻となる』
最悪の場合、現代文明は2050年に終わってしまう可能性すらも、この報告は示唆しているのである。
地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから
自然と共存できる文明になって欲しい
シンクタンクの報告書に拠らなくても、自然が破壊され続けると、いずれかの地点で、人間は自然に復讐されると私たちは誰でも常識的に考えて思うはずだ。
世界のどこかで起きている自然破壊と異常現象は、単にそのエリアだけで収まるものではなく、周辺国を通して全世界に広がっていき、やがては地球全体が環境破壊の影響で苦しむことになる。
「人間こそが地球の癌だ」とはよく言われるが、それはもしかしたら本当のことだったのかもしれない。
シンクタンク「ブレイクスルー」は、今から正しい手を打たないと『最悪の場合、人類文明が終焉に向かうかもしれない』と述べているのだが、私たちは「大袈裟だ」と一笑に付すことができるのだろうか。
シャーレの中のバクテリアは栄養素がある間は爆発的に増えていくのだが、あるとき栄養素をすべて食べ尽くすと、一気に死滅する。増えるだけ増えるのだが、絶滅するときは一瞬なのである。
だとしたら、ある時点で増えすぎた人間が突如として絶滅する時代が来たとしてもおかしくない。
膨らみきったバブルが崩壊するのは経済現象のひとつだが、人間の人口爆発も一種のバブルなのだから、ある時点でバブルは崩壊すると考えるのは自然だ。
人口バブルが崩壊するというのは、急激な人口減少のことである。それはすなわち人間の絶滅を指す。最期の局面で、人間同士が殺しあうのか、それとも災厄で死んでいくのか分からない。
しかし、このまま自然破壊・環境破壊を続けていると、未来に大きな災厄が待ち受けているというのは、だいたい想像がつく。人間は大自然に寄生して、バクテリアのように増殖していったのだから、寄生する自然が死んだら、バクテリアのように絶滅してしまう。
自然を愛し、敬い、大切にする心を持っている人は世界中にたくさんいる。日本人は、自然の中に八百万神(やおよろずのかみ)がいると語って自然を大切にするが、言葉や姿勢は違っても、同じように自然を愛する民族はたくさんいるはずだ。
そういった民族の誰かが強い影響力を持てば、あるいは自然破壊が止まるのかもしれない。
自然と共存できる文明になって欲しいと心から願っている。
グレタ何とかやら、小泉何とかとか、全然信用できんわ。
森を破壊するブルドーザーと戦うチンパンジーが泣けてきます。
2050かどうかは分からないが、人類は滅亡してしまうでしょうよ。
欲深い人間が74億人もいたら滅亡しますって。笑
自然保護も大切だが、人間が生きて行く為には切らないといけないのだから
難しいですね。
私の記憶違いでなければ、1980年代、森林を守らなければということで「紙」の節約や再生利用(リサイクル)の気運が高まり、紙→プラスチック、ビニールに変化したように思います。裏にあったかもしれないうすら黒い金勘定や利権の話はこの際おいておく。
ところが、石油カスからじゃんじゃんできるプラスチックのゴミが大問題になり、うかつに燃やしてダイオキシン発生だのもありましたが(んでゴミ出しの際激しく分別)、そして今度は「ナチュラル素材」だのという。先日、たまたま目にしたTV報道にて、ある店ではプラスチックストローをやめて麦の茎を使い…と紹介されてましたが、それこそストローの元祖、語源じゃないかーいとコーヒー吹きそうになりましたよ。量的質的な安定供給と流通が難しいのが難点て当たりまえだのクラッカーですわ。あと、アイスクリームにプラスチックのスプーンつけるのやめて硬質紙製を開発とか、もう何やってんだかと思いました(いやもう便所紙にするしかない極力再生紙原料を美麗なスプーンに再生でもないでしょ、バージンパルプ使用でしょ)そこまでしてスプーンをつけたいのか?何その執念。
現在のライフスタイルの維持継続のために代替、代替でを繰り返しても、そもそも原材料、量的に現在のライフスタイルとやらがもう無理なんです。かつての一部貴族様のような暮らしぶりを、その大幅劣化版であっても庶民もできるようになった、便利で快適で清潔な暮らし。それは喜ばしく、だから、そうでない人たちが無いようにと皆願う。同時に自分の今の暮らしを失いたくはない。
だけど、増え続ける人類とともに、この地球も膨れる(大きくなる)のでなければ…もう、足らないのです。
•人類の頭数を減らす
•世界の皆が在るものを分かち合いながら細々と暮らす
•一部のものが隔離された地にて便利で快適で清潔な暮らしを継続し、それ以外は見捨てる
私が今ぱっと思いついただけのこの3つの打開案で、一番できそうもない、無理無理なのは2番目でしょうね。
そうかといって他の2つも、でもどうやって⁈と思います。とくに3番目などできたところですぐ破綻しそうだし。その時私などは壁の外組であるのは言うまでもありませんので破綻する側の心配などする必要もなしですが。
古い言い回しですが、近年、いよいよ、煮詰まった感がハンパないですね。
グレタの存在はまさに「敵に塩」ですね・・・
あんな演説見せられたらみんな引いちゃいます。
もっと地道に活動して地球環境に貢献している方々にスポットライトが当たってほしいものです
先日テレビで「NHKから市民を守る放送協会(仮名)」の「暴走するマスゴミ”脱NHK ”を目指して(仮題)」という番組を見ました。
「今すぐ脱炭素社会への取り組みを強化しないと世界が滅びるぞ!鬼が出るぞ!オオカミが来るぞ!」と、とりわけ若い世代に向かって危機感を持つようアピールする構成でした。もし少年時代の私がこれを見たとしたら、従来の社会とそれを構築してきた大人たちに対して怒りと不信感を募らせたことでしょう。
特定思想の教宣としては良くできたプロパガンダだったと言えます。
半世紀ほど前、中学生の姉が購読していた学習雑誌の環境問題特集ページに、干上がった大地と枯れた木々が窓越しに見える部屋で、ガスマスクを着けた男がピストルを自分の頭に向けているオドロオドロしいイラストがありました。それを見た少年の私はその日から、蛇口から水滴が垂れるたび、便所でケツ拭き紙を使うたび、「ああ、僕のせいで地球が死んでしまう…」と罪悪感に苛まれるようになりました(いやマジで)
当時は「石油はあと20年で枯渇し大気汚染が進んで文明は破滅する」という風説が流布されていました。そういえば2010年頃には「10年後平均気温は3度、海水面は60㎝上昇し南の島々は水没する」と言われてましたっけ。山を望む平原に「ここから見える氷河は2020年に消失します」という看板が設置されましたが、現在消失したのは看板の方らしいですね。
環境保全なんかどうでもいい、なんてことは全くない。森は守らなきゃならんし、水は汚しちゃならんし、資源を浪費するのは自然に対する冒涜、これはアジア的な思想では当たり前のことで、「我々は「エコ」の先進国である!」とか粗雑な神経の欧米人が何言ってやがんでぇ、っことですよ。
私が最も心配しているのは、「エコ」を絶対正義とする教宣部隊が若い世代を脅迫し続けるとどうなるか?です。
環境問題の他にも、我々の世代の子供雑誌には、やたらオカルトや超常現象が極端に扇情的な絵や写真とともに掲載されていました。この世代は、のちにΩ珍理教(仮名)の幹部世代となるのですが、そう言った経験が大きな要因の一つだったと思っています。
大事なのは、防災・防疫には取り組みつつも、平静に日常生活を取り戻し淡々と前に進むことだと思います。
「エコ」で脅迫され続けた大衆は、現在「コロナ対策全体主義」へ陥りつつありますが、心が死んでしまい文明の維持や文化の発展が止まった世の中で生きることは、たとえ命を長らえたとしてもそれは尊いことなのでしょうか?
oyrさんのコメントを拝読しつつ、ああ、これは…と私のアタマの中で突如見事に想起されたのが
山本七平氏の「ある異常体験者の偏見」にある(この本は、帝国陸軍の話ですが)
1.人々(大衆)に、恐れや不安を煽ることにより集団ヒステリーを醸造し盲目にさせ
2.ヒステリーから生じるエネルギーを、任意の対象に向かうように誘導し
3.目指す世界の構築のために支配•使役する
この手法はあまりにも原則的かつ古典的なものですが、それはつまり昔も今もこれからも常に有効であるのだと、あまりにも容易く人々はこれにハマるということです。
今ここにある問題(環境問題であれ人種間問題であれ果てはコロナ問題までも)それは現にあるゆゆしき問題で、善処解決の努力を惜しむべきではないけれど、それを「いかようにも利用しうる」のもまた事実です。だから、
いつも目を醒ましていなさい とは聖書にもありますが、たいへん重い言葉と思います。
めっきり寒くなりましたが、皆さま健やかにお過ごしでしょうか。
燃料の石炭というと見た目が真っ黒で、いかにも「たんそっ!」って感じでCO2絶対悪玉論者が攻撃対象にし易く、エコエコピーポーの危機感を煽るにもってこいの材料ですよね。
ただし現実問題として、石炭利用を即時止めると発展途上国の多くの人々が寒さや飢えで大量に死亡するのは事実。問題はクオリティが低く熱効率の悪い燃焼装置で発生する有毒物質によって環境汚染や健康被害が発生することです。
日本が開発した石炭燃焼装置は熱効率が良く有害物質を極力減らした優秀なものなのでこれを普及させることが総合的に見て環境保全にも役立つのですが、欧州のウマシカどもが「石炭?ダメ!ゼッタイ!」で潰してしまいました。
で、現在すったもんだで欧州は天然ガスはこないは原発は止めてるはでエネルギー危機に陥っているところですが、そんな奴らが今やってることって「化石燃料」の確保なんですよね。
なんなんだこいつら、今まで散々環境保護だのエコだのSDGsだの騒いでおいて、いざ自国が危なくなればそんな行動かよ、と思いますね。こいつらが無闇に確保することで、この冬途上国の人々が凍死するかも…には考えが及んでないのでしょう。
エコだけではなく、人権だのLGBTだので自分達は意識の高い先進国でその取り組みに全面的に協調しない国を後進国と決めつけ、道徳的に優位に立とうとしていた奴らの正体がこれです。特にドドイツ(仮名)の最近のあほ行動は、国全体が日本のあほサヨクとそっくり(ってゆーか、あほサヨクがドドイツの真似をしてるだけか…)あれじゃあ転覆しようとする者が現れても無理はな(以下自粛)
環境悪化の前に世界大戦で人類が壊滅的な状況に陥る可能性も見え隠れする昨今ですが、いちいち右往左往してても益はないわけですから、様々な状況を想定して準備を整えた上で、前向きに淡々と日常生活を送るしかないな、と思う今日この頃。