シンガポールの住宅高騰は解決できない?成功しているがゆえに抱えるジレンマ

シンガポールの国土の狭さはいかんともしがたいものがある。国なのに東京23区とか淡路島と同じくらいの大きさでしかない。土地供給に物理的な天井がある。周辺に郊外を広げる余地がない。この小さな国が経済成長すると、土地価格が恒常的に上がっていくのは当然のことで抑えるのはなかなか難しい。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

どこまでも価格が上がり続ける状況に

シンガポールでは国民の8割がHDBと呼ばれる公営住宅に住んでいる。このHDBはシンガポール政府が供給する公営住宅であり、住宅不足解消を国家目標に提供されているものである。主に中間層向けのものでもある。

日本のような低所得者限定賃貸ではなく、シンガポールの社会基盤として成り立っている重要なインフラでもある。今、このHDBも日本円で言うところの億超えで高騰している。プライベートな住宅の場合は3億円以上でもっと高い。

これは単なる不動産バブルではない。国家の成功がもたらしている「副作用」と言えるかもしれない。

シンガポールの経済成長、金融拠点化、治安の良さ、税制の優位性……。そうした要素が、国のブランド価値を押し上げ、世界中の企業と富裕層を呼び寄せた。人が集まれば住宅需要が増える。資金が集まれば住宅は投資対象になる。

結果として、住まいはどこまでも価格が上がり続ける状況と化した。

この問題がやっかいなのは、シンガポールの住宅高騰が一時的な現象でも投機での結果でもないことだ。景気が良く、国の魅力が高まり、資金流入が増えたから起きた。つまり、住居が高いことは国の人気の証明でもある。

ところが、それは国民の生活コストを直撃するものでもある。豊かさの象徴が、生活の重荷になる。このねじれが、シンガポールの住宅問題の核心だ。

そもそも、シンガポールは土地が極端に限られている。国土面積は小さく、人口密度も高い。土地が狭い国では、住宅供給の増加には物理的な上限がある。いくら政府が計画的に住宅を増やそうとしても、供給が需要に追いつくには時間がかかる。

そこに人口増、外国人居住者の増加、投資需要が重なると、価格が上がらないほうが不思議だ。

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政府も住宅価格の高騰を抑えられない

住宅価格が高騰すると、単に「家が買えない」だけで終わらない。住宅が高額化すれば、家賃も連動して上がりやすい。家賃が上がると、生活費の固定コストが増える。食費や娯楽費を削っても、家賃は削れない。

すると、人々の可処分所得は圧迫され、暮らしの余裕が奪われる。国のGDPは伸びていても、生活者の実感としては「豊かになったのに苦しい」という感覚が広がっていく。今、シンガポールで起きているのはそういう現象である。

住宅価格の上昇は社会の空気まで変える。

シンガポールでも、住宅を持つ者は資産価値の上昇でますます豊かになり、持たない者は家賃上昇に追いつめられる。この差は努力で埋まらない。つまり、住宅高騰は格差を固定化し、階層社会を強化する方向に働く。

シンガポールは行政能力が高く、都市計画も洗練されている。だから「政府が強い国だから住宅問題も抑え込める」と考えたくなる。だが、現実には住宅問題は政策だけでは片づかない。

シンガポールのような安全で安定した国には資金が入るのは自然なのだが、この国はその受け皿としてあまりにも強すぎた。強すぎるがゆえに、住宅に資金が集中しやすい。成功が成功を呼び、さらに住宅市場を押し上げる。

日本人の中にも税金対策でシンガポールに移住する人間もいるのだが、ASEANや欧米でそういう外国人が増えれば政府が抑えるべき対象は国内の需給だけではなくなっていくのだ。豊かさが人を呼び、人が価格を上げ、価格が生活を苦しくする。

この問題に明確な終わりが見えないことだ。

住宅価格が上がり続ける国は、外から見れば成功に見える。だが内側では、成功のコストが静かに積み上がっている。問題は、このコストがどこまで耐えられるのか、という点にある。

失敗して国民が苦悩する国から見ると贅沢な悩みだが、それでも悩みは悩みだろう。

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シンガポールの住宅価格は下がらない

私の書籍『背徳区、ゲイラン』ではシンガポールのストリート売春を扱っているのだが、数十年前はこの地は低層の売春宿と低層の連れ込み宿がびっしりと軒を並べていた。だが、この低層の建物も次々と取り壊されてしまって、高層の中級ホテルが立ち並ぶエリアに変化しつつある。

まだ残っている低層の売春宿も風前の灯火かもしれない。

そうなってしまうのも無理もない。シンガポールの国土の狭さはいかんともしがたいものがある。国なのに東京23区とか淡路島と同じくらいの大きさでしかない。土地供給に物理的な天井がある。周辺に郊外を広げる余地がない。

国土が狭い国では、人口増加と住宅増設の競争がつねに起きる。住宅価格は需要と供給で決まるが、供給が伸びない市場では、需要の増加がそのまま価格上昇に直結する。これは基本的な経済の話であり、例外はない。

おまけに需要側の圧力が強い。シンガポールは金融センター、物流拠点、多国籍企業のアジア本部が集まる場所として確立されている。シンガポールは政治が安定し、通貨も強く、法制度も整備され、治安も良い。

国際的に見れば、資産を置く場所として条件が揃いすぎている。

こういう場所には、かならず資金が入る。しかもその資金は、生活者の財布とは桁が違う。国外から流入する資金が住宅市場に入り込むと、価格は国内の所得水準から乖離し始める。

こうやって上がり続ける市場は「今買わないともっと高くなる」という焦りを生む。すると需要が前倒しで膨らむ。需要の前倒しは価格をさらに押し上げる。このループが形成されると、価格は現実の居住価値を超えて走り始める。

もちろん株式市場と違い、不動産は流動性が低く取引頻度も低い。しかしその分、価格が下がりにくい。売り急ぐ理由がなければ、売り手は値下げしない。結果として、高値が固定されやすい。

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成功するのをやめるという選択肢

では、シンガポール国民は住宅価格の上昇を抑えろという運動が起きているのだろうか。いや、住宅価格がどんなに高騰してもおそらく暴動は起きないだろう。なぜなら、すでに住宅を持っている人も多いからだ。

すでに住宅を持っている人からすると、資産価値が上がるのはけっこうな話でもある。つまり住宅価格の上昇は、国民の資産増加という形で歓迎される局面がある。住宅価格が上がると苦しい人が増える一方で、上がることで得をする人も増える。

そうすると社会全体として、価格上昇をとめる合意形成が難しくなる。

政策当局も頭を抱えるしかない。住宅価格を抑えすぎれば資産効果が失われ、景気が冷え込む可能性がある。不動産関連産業の雇用も打撃を受ける。逆に放置すれば生活者の負担が増え、社会不満が蓄積する。つまり「上げすぎても危険、下げても危険」という綱渡りになる。

今後、シンガポール政府は、住宅購入の条件、ローンの上限、外国人や投資家に対する規制、転売制限などで住宅価格をコントロールしようとするだろう。

多くの国では、不動産市場は民間が主導し、政府は税制や金利や金融規制で間接的に調整するしかない。だがシンガポールは違う。公営住宅を社会の中心に置き、供給計画も価格の安定も、国家が深くかかわってきた。

だから「政府が本気を出せば住宅問題は抑え込める」という見方が生まれやすい。しかし、シンガポールが成功し続ける限り、住宅問題が解決することはない。シンガポールの問題は「あまりにも国土が狭すぎる」という点にある。

成功すればするほど問題はより深刻化する。

世界中のカネと人材を集めて繁栄し、その代償として国民の生活は圧迫されていく。成長と引き換えに「住めない国」になっていく。マレーシアから領土を買い取るか、もしくは海を埋め立てて土地を広げていくしかないのかもしれない。

あるいは、「成功するのをやめるという選択肢」もあるが、シンガポールがそれを選ぶことは絶対にないはずだ。

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