
インドネシアのリアウ諸島のひとつであるカリムン島をうろついていたとき、夜中に路肩の草むらの向こうに薄暗いあかりの下でひとりの女性が隠れるようにして立っているのが目に入った。
夜中に道脇でひっそりと立っているのであれば、性を売る女性であるのは誰でもわかるシチュエーションだ。私が興味を持って、一緒にいたオジェック(バイクタクシー)の運転手に停めてもらうと、彼は笑いながら「彼女は女ではない。男だ」と言った。
本当にそうなのか近づくと、たしかに彼女はトランスジェンダーであることがすぐにわかった。女装はしていたが、薄暗い明かりの下でも彼の肉体的特徴は男であることは明白だった。
「君はレディーボーイなの?」と英語で聞くと、レディーボーイの意味をすぐに察した “彼女” はうなずいた。
インドネシアはイスラムの宗教的戒律が厳しくて、トランスジェンダーの「女性」たちは生きにくいと思うのだが、それでも彼らは女装したと思う。迫害されて暴力を振るわれることもある。嘲笑されることもある。場合によっては殺されることもある。
それでも、彼らには「自分は本当のところ女性である」という確信があって、むしろ男の格好をして男として生きることに違和感を感じている。女性であることにしっくりくるわけで、女装は彼らにとっては「本来の姿」だったのだ。
そういうトランスジェンダーを目の前にすると、「心と身体が一致していない状態の人」というのは、本当にいるのだとしみじみ思う。単なる趣味だとか、趣向ではなく、もっと深いところで彼らは「女性」なのだ。
そうでなければ、殺されるかもしれないような社会で女装しない。
タイはレディーボーイたちが跋扈する妖しい国なのだが、カンボジアにも、ベトナムにも、マレーシアにも、シンガポールにも、フィリピンにも、インドにも、そしてインドネシアにでも、彼らはどこにでも普遍的に存在する。


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