
一部の人のあいだでは、自分の身体や脳を「投資資本」の対象と考えるのは競争社会における合理的な選択として受け入れられている。これらの高度な管理や最適化は、誰にでも等しく開かれているわけではない。カネと情報を持つ者だけが次の段階へ進む。そのような社会が到来している。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
投資資本としての「身体と脳」
長らく健康とは、病気を防ぎ、日常生活を支障なく送るための条件として語られてきた。運動不足を解消し、食事に気をつけ、定期検診を受ける。それで十分だという認識が社会に共有されていた。
だが、時代は変化しつつある。
現代社会において健康は、維持するものではなく、投資によって性能を引き上げる対象へと変質した。要するに、「健康は維持するもの」から「カネで健康以上のものを手に入れる」時代になったのだ。
背景にあるのは、労働そのものの変化がもたらしているのかもしれない。
すでに現代社会は個人の肉体能力に頼っていない。それよりも、判断力、集中力、記憶力、持続力といった脳と身体の総合的なパフォーマンスが、直接的に成果へ結びつく仕事が増えた。
知識労働やクリエイティブ職、マネジメント職では、1日の判断の質が数年単位の結果を左右する。つまり「脳と身体の総合的なパフォーマンス」は生産性を左右するものとして扱われ始めた。
そのため、これに気づいた人間から身体や脳を、教育や設備投資と同じ「資本」とみなし、継続的に改良していこうとする。
具体的には睡眠の質を数値で管理し、血糖値やホルモンをリアルタイムで把握し、遺伝情報をもとに食事や運動を最適化する。そして超効率的に筋肉を鍛える。自分の身体や脳を「投資資本」にするのだ。
ウェアラブルデバイスで心拍数や睡眠時間を測るだけでなく、ストレス指標や血中酸素濃度を常時取得したり、個人向け遺伝子解析サービスを利用して体質や疾患リスクを前提にした生活設計をするようになっている。
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生産性を直接引き上げるための身体改良
自分の身体や脳を「投資資本」の対象と考える人たちのあいだでは、これらは競争社会における合理的な選択として受け入れられている。企業経営者や専門職のあいだでは、身体と脳の管理は投資に値する対象なのだ。
ただ、これらの高度な管理や最適化が、誰にでも等しく開かれているわけではないという現実だ。表向きは「健康に気をつけよう」という話に見えるが、その裏では、カネと情報を持つ者だけが次の段階へ進むような社会が到来している。
フィジカル(身体)への戦略的投資という概念は、健康を目的から手段へと転換させるものでもある。
目的は幸福でも長寿でもない。成果、生産性、競争力である。
どれだけ長く生きるかではなく、限られた時間でどれだけ高いアウトプットを出せるかが重視される。そのために身体と脳を最適な状態に保ち、さらに強化(ブースト)するという発想となる。
睡眠時間や深度、心拍変動、血糖値、ホルモン分泌、集中時間は、すべて測定対象だ。すべてを数値化し、即時修正する。データを取得し、乱れがあれば即座に生活を調整する。これは自己啓発ではなく、工程管理に近い。
頭脳に関しても同様だ。記憶力や注意力は才能ではなく、維持管理すべき投資対象とされる。欧米では、集中力改善や睡眠調整を目的とした処方薬の利用が拡大している。これは違法行為ではなく、能力管理の一環として受け入れられている。
遺伝子解析も実用段階に入った。特定の運動に向く筋繊維の傾向、カフェイン耐性、脂質代謝能力などはすでに一般向けに提供されている情報だ。これにより、努力の方向性そのものが最初から選別される。向いていない方法を試すことは、非効率として避けられる。
問題は、この高度な管理のためのデバイス、検査料、専門家へのアクセス、薬剤、サプリメントには明確なコストがかかることだ。要するに、投資なのだから投資するためのカネが必要になる。
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高性能になる人と取り残される人
フィジカルに対する投資と運用進むにつれ、決定的な分断が表面化する。それは意識や努力の差ではない。カネと環境の差である。
高度な遺伝子解析、継続的な生体データ測定、専門医やコーチによる個別最適化は、いずれも高額であり、定期的な支出を前提とする。単発では意味がなく、継続してこそ効果が出るため、可処分所得の差がそのまま身体性能の差になっていく。
低所得層ほど睡眠時間は短く、食生活は乱れ、慢性的なストレスにさらされやすい。2023年のOECD統計では、所得下位層は上位層に比べて平均睡眠時間が約40分短く、肥満率は約1.5倍に達している。
これは生活習慣の問題ではなく、労働時間、住環境、教育水準の結果である。健康管理以前に、管理する余力が存在しない。
一方、富裕層では逆の現象が起きる。時間を買い、負荷を外注し、身体と脳の回復を最優先する。
仕事の合間に運動し、最適化された食事を取り、集中力が落ちる前に休む。こうした行動は贅沢ではなく、合理的な「フィジカル投資」として正当化される。結果として、同じ年齢でも認知力や判断速度に明確な差が生まれる。
実のところ、この分断は見えにくい。誰もが同じ社会に属しているように見える。だが、フィジカル投資ができる環境にいる人間は加速度的に高性能な人間になっていくので、彼らが経済的上位に立って「違う世界」にいってしまう。
フィジカル投資によって高性能な人間は静かに普通の人々を引き離していく。一方で、基本的な健康管理すら難しい層は、努力不足として切り捨てられる。身体と脳が投資資本として扱われる時代においては、明確に資本投下の差が結果の差になる。
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身体と脳の性能差が社会を作り替える
フィジカル投資によって身体と脳の性能差が拡大したとき、その社会的な影響は個人の人生にとどまらない。労働市場、教育、意思決定の質そのものが変わる。
高い集中力と回復力を持つ人間は、より複雑で高付加価値な仕事を担い続ける。一方、疲労が抜けず判断が遅れる人間は、単純作業や不安定な仕事に押し込まれる。この分離は能力主義として正当化される。
企業側の行動も変わる。採用や配置においては持続的に高いパフォーマンスを出せるかどうかが重視される。欠勤が少なく、集中力が安定し、意思決定が速い人材は評価される。
政治や民主主義への影響も無視できない。認知能力と情報処理速度に差がある社会では、複雑な政策を理解し、長期的な判断を下せる層と、目先の刺激に反応する層が分かれる。情報環境が高度化するほど、この差は拡大する。
ここで起きているのは、「人間の性能」を引き上げることの優位性に気づいた人間が、自分のフィジカルを投資対象と見なして勝ち上がっていく意識を明確に持ち始めていることなのだ。
繰り返すが「現代社会において健康は、維持するものではなく、投資によって性能を引き上げる対象へと変質した」のだ。健康を維持するのは当たり前以前の話で、現代社会は「その上でいかに自分の身体に投資してパフォーマンスを向上させることができるか」という段階に入った。
まだ、ほとんどの人はこのようなフィジカルを中心とした競争の時代に入ったことをまったく認識していない。
しかし、ある時点で振り返れば、そこに明確な断層が生まれている。健康が資本化された社会では、フィジカルの状態が、その人の社会的地位を決定づけることになっていく。これが現在進行形の現実なのだ。
ちなみに、私はジャンクフードしか食べない人間であり、そのせいで突然死しかねないほど健康を害している。次の時代には完全に落ちこぼれだろう。






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