人類は「破滅がわかっていても、何かが壊れるまで止められない」性質がある?

人類は「破滅がわかっていても、何かが壊れるまで止められない」性質がある?

自然を破壊し続けたら最後には自分にツケが返ってくる。債務が増え続ければ、いずれ債務に押しつぶされる。間違った政治信条で突き進んだら、やがて行き詰まって破滅する。そうした危機を想像できても、うまく対処できるとは限らないのが人間の本性でもある。何かが壊れるまで止められないのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

危機を想像できても止められない

人間の想像力には限界がない。だが、危機を想像できても、それが遠い将来の危機だと、対処ができないことが多い。自分が生きているのか死んでいるのかわからないほど遠い未来になるほど、人間はその結末に関心を失い、責任を持たなくなる。

人類は今、資源のために自然破壊を繰り返している。1990年から2020年の30年間で、世界全体で約1億7,750万ヘクタールの森林が消失し、年間平均で約592万ヘクタールが失われている。

特に熱帯地域(アマゾン、東南アジア、アフリカなど)での森林破壊が顕著で、今後もこの地域での破壊が全体の約80%を占めると予測されている。この調子だといずれは地球上からジャングルが喪失することになる。

おそらく、数十年以内にほとんど消失する可能性が高い。その結果、多くの種が失われ、地球の環境が激変する。ジャングルの喪失によって地球環境の激変が顕在化していくのは2050年あたりからと予測されているが、25年以上も先の話になると多くの人は関心をなくす。

環境破壊が進むので防止が必要だという話になっても、明日も酸素が吸えるし、いつもと変わらない日常生活であるならば、危機感が持てない。自分に被害がこない限り、人々は関心を持たない。

その結果、人口が増えるのに自然が衰弱する。人間も動物だから自然環境に依存して生きているが、あるとき自然に依存できなくなる時代がくる。

森林をはぎ取られた土壌が回復力を喪失すると不毛の大地と化す。その不毛の大地の惨状を「砂漠」と呼ぶ。かつて、サハラ砂漠があったところは恵み豊かな森林地帯であったことが知られているが、いったん砂漠になると、それは癌細胞のようにじわじわと広がっていく。

そうなるとわかっている。しかし、止められない。

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これは危ないと思いながらも最後まで暴走

環境破壊が進むと、温室効果ガスが大気中に増加して灼熱の大地になる。気流や降雨パターンの変化など、気候変動を引き起こし、異常気象や洪水、干ばつなどの災害リスクが高まっていく。すでにそうなっている。

森林には地球上の生物の5~9割が生息しているとされ、森林の消失は多くの動植物の絶滅や個体数減少を引き起こす。生息地の分断や消失により、特に熱帯雨林の生物は絶滅の危機に直面する。

森林は土壌の保水力を高め、洪水や干ばつを防ぐ役割も持っているが、森林がなくなるとこれらの自然災害が発生しやすくなる。土壌流出や水質悪化も進む。そして、水不足も深刻化する。

世界は今後、あらゆる地域で水不足が国家の存続を揺るがすようになり、水の豊かな国は略奪の対象になっていくはずだ。世界中でこれから自然破壊がどんどん進み、自然破壊の猛威が人間に跳ね返ってくる。

では、こうした破滅的な将来のために人類は自然破壊をやめようとするだろうか。

いや、人類はむしろ今の生活を維持し、さらにエネルギーを使うために、より積極的に自然破壊を加速させていくはずだ。文明を享受したくない人間はどこにもいない。だから、結果的に人間は全力で自然を破壊して回る。

人類は意外に愚かで、「何かが壊れるまで止められない」というのは、自然破壊だけでなく、金融の分野でも見られる現象でもある。

たとえば、いったんどこかで無意味な金融バブルが生まれると、大勢の人間がそこに我先へと押しかけて実態のないバブルを膨れ上がらせる。途中でみんなが正気に返るということはない。

誰もが「これは危ない」と思いながらも、結局は最後まで暴走して、ある日、一気にカタストロフィに見舞われることになる。

経済史には繰り返し繰り返しバブルの歴史が出てくる。経済史とはバブルが生まれ、崩壊する歴史の繰り返しである。そのすべては馬鹿げた値段まで買い上げられては自壊していく。人間は破滅が見えていても止まれないのだ。

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崩壊がわかっていても、最後まで止められなかった

債務を膨らませていくと、それはいずれ破綻する。現在、アメリカや中国の債務が懸念されている。国家がどんどん債務を膨らませていくと、いずれはその債務に限界がきて、国家破綻の爆弾と化す。だが、それは予測されていても止められない。

本当に破綻するまでは、誰もが最後の日の前日まで「誰かが何とかする」と信じているものだ。世の中は、そんな人たちの集合体で国家が成り立っている。何とかならなくても、実際に壊れないと実感できないのだ。

イギリスは、かつて「7つの海を支配する帝国」だった。だが、国民が行政に依存することになったせいで、国家の累積債務が膨らむだけ膨らんでいった。国民が働かなくなった上に、多くの人が既得権益にしがみついたまま離さなかった。

その結果、1976年にはとうとう国際通貨基金(IMF)からの融資を受ける事態に追い込まれてしまった。イギリスがそこまで追い込まれたのは1976年だが、「この国はもう終わりだ」とは1960年代からずっと言われていた。

いずれ立ちゆかなくなると誰もがわかってはいたものの、誰もが国家に頼って何もしなかったし、自分の権利も手放さなかったので、国の衰退は避けられなかった。

ロシア(旧ソ連)もまたそうだった。資本主義を駆逐して共産主義を生み出したソ連は最初はアメリカをもしのぐ技術大国だった。アメリカと競うように核を製造し、宇宙開発に資金を注ぎ込んだ。

ところが、すべてを国営にしたことにより競争力が失われて共産主義が欠陥商品であることが明るみになった。それでもソ連は共産主義を捨てずに最後まで暴走し、結局行き詰まって崩壊していった。

誰もが結論がわかっていたが、最後にクラッシュするまで止まらなかった。

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人類が絶滅危惧種になっても、私は驚かない

それにしても、なぜ「破滅がわかっていても止められない」のか。どこにその原因があるのか? この現象の背景には、「集団的合理性」と「個人的合理性」のギャップがある。

ジャングルを伐採して将来に禍根を残すなら伐採をやめたらいい。それが人類全体のためであり集団的合理性だ。しかし、個人は今の文明的な生活を享受し、維持したいのでジャングルの伐採には目をつぶる。それが個人的合理性だ。

社会全体としては危機回避が合理的であっても、個人にとっては現状維持や自己利益の追求が合理的に見えるため、全体として非合理な選択がなされる。これが「合成の誤謬」と呼ばれる現象である。

今が良くて、自分が良ければ、将来や他人の不都合には目をつぶる。だから、「合成の誤謬」が発生して、人類は「破滅がわかっていても止められない」状態になってしまうのだ。

さらに問題なのは、そこに「惰性」も加わることだ。

たとえ破滅が見えていても、誰もが「今はまだ大丈夫だ」「今まで大丈夫だったのでこれからも大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、都合の悪いことは見ないようにする。バブルに乗ってしまう心理、だめな政治的信条にしがみつく心理、変革を拒絶する心理は、惰性の為せるわざだろう。

こうした「惰性」の心理が社会全体に広がることで、危機が顕在化するまで抜本的な変革は起こらない。

人間の愚かさは、単なる知識や情報の不足ではなく、行動と意思決定の構造的な限界に根ざしている。理性や倫理観があっても、それを実際の選択に反映させることは容易ではない。

そして、歴史は同じ過ちを繰り返し、人類はどこかで致命的に間違えて自滅に向かうのだろう。人類が絶滅危惧種になっても、私は驚かない。

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