世界には「地獄」がたくさんあるが、大半の人はそこから逃れられない運命

世界には「地獄」がたくさんあるが、大半の人はそこから逃れられない運命

戦乱と暴力にまみれた国。政治の混乱で機能不全と化した国。因習と差別でがんじがらめになった村。極度に汚染された地区。あまりに自然環境が厳しすぎる場所。インフラが整備されないほど見捨てられてしまったスラム……。

世界にはこのような「地獄」がたくさんある。

そこには地獄をさまようようにして人々が生きている。絶望が覆い尽くす大地で人々は苦しみ、悶え、そして抗うこともできずに死んでいく。

ヨーロッパが移民問題で国がズタズタになっているのは、裏を返せば移民せざるを得ない人々が国を捨てて逃げていることを意味している。それだけを見ると、「地獄から逃れる人は大勢いるではないか」と思ってしまう。

あるいは、政治の混乱の極みにある南米ベネズエラでは「400万人が国外脱出した」と報道されているのだが、400万人と言えば凄まじい数でもある。大勢が地獄から脱出できているように思える。

しかし人口から見ると、地獄から逃れられる人はほんの一部に過ぎない。ベネズエラから国外脱出できた400万人は人口から見ると1割に過ぎず、残りの9割は依然として国に留まっているのである。

多くの人々はそこから去ることができない。彼らはそこに自分たちの土地があり、仕事があり、絆があり、言葉があり、家族があるからだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

社会的制裁を見て恐怖で金縛り

危険な地区になったからと言ってよそに行っても、そこで食べていくことができなければ、文字通りのたれ死にしてしまうのである。だから、逃れられない。

新疆ウイグル地区は、ウイグル人にとって地獄になってしまったが、それでもウイグル人の大部分はその地から逃れることができない。地獄であっても、ほとんどの人は他に行く場所がないのである。

インドの売春地帯でも、女性たちは鎖につながれているわけではない。しかし、彼女たちはそこから逃れることができない。そこから逃れても、どうやって生きていけばいいのか分からないからである。

どんなに環境が悪化し、どんなに破滅的な状況になり、その場所がどんなに自分を虐待する世界であっても、人々は逃れるよりも堪え忍ぶことを選択する。

イスラムの女性たちは自分たちが虐げられていて、欧米先進国の女性が自由でいることを知っている。それくらいの情報は彼女たちにも入っている。では、女性たちは自分を縛りつけるイスラムの社会から逃れて欧米に亡命するだろうか。しない。

彼女たちはそこで子供の頃から暮らしており、そこに家族や友人がいて、言葉も文化もよく馴染み、今まで堪え忍んだのだから、これからも堪え忍ぶことができると考える。

アフガニスタンは、女性たちが虐待され、鼻や耳を削がれ、焼かれ、硫酸をかけられるような世界だが、彼女たちはずっとそこに暮らす。

アフリカ・コンゴは、寝ている時に突然武装勢力がやってきて女性をあらん限りに暴行・レイプする地獄のような世界だが、それでも彼女たちはずっとそこで暮らす。

インドの売春地帯では、そこから逃れようとした少女は、捕まえられると身体が壊れるほどの虐待を受ける。殴られ、蹴られ、レイプされ、拷問をされる。アフガニスタンでは、強制結婚から逃れようとした女性は硫酸をかけられたり、鼻を削がれたりする。

自分の人生の中でそういった事件を目の前で見てくると、人は逃れようと思ってもできなくなる。失敗したら暴力で制裁される。だから、恐怖で金縛りになってしまう。逃れるという発想はとても浮かばなくなってしまう。

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生きていくことができたのだろうか?

貧困国のスラムや、非情な売春地帯をさまよいながら歩いている時、ふと思うことがあった。

「もし自分が金も教育もなく、ここで生まれ育っていたら、果たしてきちんと生きていくことができたのだろうか……」

私はたまたま先進国入りした日本で生まれ、日本で育って今の自分がある。あちこちの国をさまようことができて、日本に戻れば清潔で安全な社会に囲まれて安心して生きられる。

社会的なインフラは、私が用意したのではない。ひとつ上の世代の人たちが作り上げてくれて、私は「たまたま」その共同体の一員だから豊かなインフラを享受できた。

清潔な水、制御された室内温度、守られた権利、受けられた教育。こういったものはどこの国でも当たり前に存在するわけではない。むしろ、享受できていない人たちの方が世界には多い。

もし、私に最初からこのような恵まれたものが用意されず、貧困国のスラムで生まれていたら、きちんと生きて行けたのだろうか……。

たぶん、難しかったはずだ。環境に押しつぶされて、やっと生きるので精一杯だったはずだ。スラムに住む多くの人たちがそうだったように、私もまたそうだったはずだ。私も逃れられなかったはずだ。

世の中は自分の努力や向上心では「いかんともしがたい側面」があることに嫌でも気がつく。生まれた場所、生まれた人種、生まれた時代によって、私たちは運が良かったり、悪かったりする。

重要なのは、多くの人はその環境を克服することができないということだ。アフガニスタンで女性として生まれたら、そこから逃れて先進国に亡命できる人は、ゼロに近い確率でしか「存在しない」のである。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

地獄をさまよいながら生きる

私たちがアフガニスタンに生まれていたら、まったく今とは別の人生を歩んでいたはずだ。

アフガニスタンは今もなおタリバンが跋扈していて、厳しい自然と閉塞的な社会システムが続いている。数十年、いや数百年も変わっていない。

私たちが今のアフガニスタンで生まれていたら、男は戦士や農民、女は無教育であることが一般的な人生である。もしソマリアで生まれていたら、男は海賊か失業者、女は男の財産として人生を全うする確率が高い。

どんなに向上心があって頭が良くても、多くの人は自分の生まれた国と社会と時代に翻弄されて生きることになる。

個人の能力では克服できない「運」というものがある。

幸運な人もいるが、幸運ではない人も多い。運が悪ければ、「必死になってその場所から逃れるべきだ」という答えは誰でも知っている。

貧困でどうしようもない場所からは逃れるべきである。自分が差別されるような地域からお逃れるべきである。また、戦乱の中にあっていつ爆弾が飛んできたり殺されるか分からないような地域からも逃れるべきである。

世界の至る所に「地獄」があるが、逆に言えば地獄ではないところもあるのだから、そこに逃れるべきなのだ。

しかし、残念ながら、多くの人たちはそれができない。だから、国に翻弄され、社会に翻弄され、時代に翻弄されながら、地獄をさまよいながら生きていくことになる。

あなたは、どうだろうか?(鈴木傾城)

世界の至る所に「地獄」があるが、逆に言えば地獄ではないところもあるのだから、そこに逃れるべきなのだ。しかし、残念ながら、多くの人たちはそれができない。だから、国に翻弄され、社会に翻弄され、時代に翻弄されながら、地獄をさまよいながら生きていくことになる。

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