真夜中の女たちは禁断の実だが、それを食べると様々な知識が手に入る

真夜中の女たちは禁断の実だが、それを食べると様々な知識が手に入る

二十歳の頃、私は売春地帯パッポンで同じ二十歳のタイ女性に出会い、恋した。彼女は身体を売って生きているバー・ガールだった。(ブラックアジア:パッポンのマイ。なぜ自分はここまで堕ちたのかと、涙した

普通の世界に生きて普通に暮らして、世間のことは何も知らなかった私にとって、世界中の男を相手にして生きている彼女はとても輝いているように見えたし、自分よりもずっと大人に感じて感銘を受けた。

彼女を前にして、強い尊敬の念を感じた。

違う世界に生きている彼女がまぶしかった。好きになった。彼女に夢中になった。

彼女とはすぐにうまくいかなくなってひどい別れ方をしてしまったが、彼女が私に与えたインパクトは人生を変えてしまうほど大きなものだった。

以来、私は彼女と同じ生き方をしている女たちしか目に入らなくなってしまった。

今でも、私が関心を持つのは「夜の女」であり「裏を持った女」だ。もう、夜に生きる女たちに首ったけだ。考えるだけで心がときめいてしまう。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

はぐれ者であるという点で、みんな似通っている

私はまっすぐに「身体を売って生きる女」の生き様に痺れて、離れられなかった。もう、夢中になって真夜中を駆ける女たちを必死に追いかけ、自分の人生なんかどうなってもいいと思うほどのめり込んだ。

ただ、一時的に正気に返って「彼女たちを追っていたら破滅してしまう」という危機感を持ったりする。そして、真っ当な人生を送ろうと努力はしてみる。

しかし、表側の世界は私にはとても空虚で、何度も何度も普通に戻ることに失敗して、心を病んだりして、結局は真夜中の世界に戻ってしまうのだった。

私は身体を売って生きる女たちに強く惹かれるという点で、すでに世間から顰蹙を買ったり、軽蔑されたり、拒絶されたりすることになるのだが、好きなものは好きなので悪評は甘んじて受け入れるしかない。

それにしても、アンダーグラウンドで生きる彼女たちは、いったい何者だったのだろうか。その魅力はいったいどこから生まれているのだろうか。私はなぜ彼女たちに惹かれてしまうのだろうか。

真夜中に棲息して、身体を売って生きている女たちにも当然だがいろんな種類の女がいる。

貧しくて仕方がなく身体を売って生きている女もいるし、悪い男に騙されて流されるように身体を売って貢いでいる女もいるし、治らない浪費癖に追い込まれて堕ちた女もいる。

そうかと思ったら、セックスが好きで好きで天職だと言わんばかりに飛び込んできた女たちもいるし、気性が荒すぎたり逆に弱すぎたりして表社会から弾かれて流れ着いた女もいる。

金の亡者のようになってしまった女もいれば、深い包容力を持ってどんな男でも受け入れる優しい女もいる。

そこにはいろんな種類の女たちがいて誰一人として同じではないのだが、表社会から見るとみんな「はぐれ者」であるという点では似通っている。

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表社会の束縛をいとも簡単に断ち切ることができる

昼と夜。陽と陰。光と影。表社会と裏社会。

この世は、まったく相反する世界が同居して存在している。世界の中心となっているのは常に表社会だ。だから、「はぐれ者」になるというのは、表社会からはぐれるという意味になる。

世の中、表社会ではうまく生きられない女性はいくらでもいる。表社会で生きるには常識や良識が必要だし、守らなければならない規則もたくさんある。

良き社会人となるためのルールを難なく守れる人もいるのだが、逆にそうでない人もいる。表社会のルールに最初から合わせられない性格の女もいる。こうした女たちが、はぐれ者になって裏側の世界に堕ちていく。

たとえば、表社会の女たちは「タトゥーを入れたら普通に生きられない」と思うと、たとえ入れてみたいという小さな気持ちが芽生えてもそれを自制する合理的精神がある。

しかし、はぐれ者の気質がある女は躊躇もない。

自分がそうしたいと思ったら、世間がどう思おうが、誰が何を言おうが勝手にそうする。派手な方が面白いと言わんばかりに、大きなタトゥーを入れたりすることもある。

世間体も常識も良識もすべて超越したところに自分の感情があって一直線にそこに向かう。はぐれ者の女たちの多くは、身体にタトゥーが入っているのは、「自分のやりたいようにやる」という意思表示でもある。

世間よりも自分を優先する。他人よりも自分を優先する。自分のその時々の感情のほとばしりを優先する。利益・不利益を考えないで突き進む。

だから、彼女たちは表側の世界からはぐれてしまうことになるのだが、はぐれても最初から何とも思わないところに彼女たちの特徴がある。

そうなのだ。彼女たちは表社会の束縛をいとも簡単に断ち切ることができる「無敵の人」でもあったのだ。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

「真っ赤に燃え上がるような輝き」を強烈に感じる

私が彼女たちに惹かれるのは、そうした無敵の世界に彼女たちが到達しているからでもある。

私自身も表社会から外れて生きているのは間違いない。私は誰かに雇われて生きているわけではないし、どこの組織にも所属するつもりもないし、友人も作らず常に一匹狼で生きることに意義を見出している。

そう言った意味で、私も「はぐれ者」の一種かもしれない。しかし、私は決して「無敵の人」ではない。

私は自分が破滅しない方向を常に選び、どちらが自分に有利か確率を考え、感情よりも合理性を優先し、要領良く生きるためにこざかしくもがく。

一時の感情で突っ走ることはなく、冷静に状況を判断するだけの自制心がある。

それは欠点ではない。我が身を救ってくれている重要な要素のひとつである。しかし、逆にこの要素があるからこそ、私はずっと彼女たちの棲む「無敵の世界」には到達できない。恐らく、永遠に辿り着けない。

だから、私にはいつまで経っても真夜中の世界に棲む女たちがまぶしいのかもしれない。

彼女たちは、ほんの瞬間にせよ真っ赤に燃え上がる世界に生きている。「真っ赤に燃え上がるような輝き」を私は彼女たちから強烈に感じる。

思えば、私が愛してきた女たちの多くはタトゥーが入っていた。私はタトゥーを入れた女たちは嫌いではない。嫌いどころか、むしろ好きだ。

ドラッグに生きている女も、酒とたばこに明け暮れている女も、人と違う強烈な異質感を漂わせた女も、自分独自の世界観を持っていて「はぐれ者」になってしまった女も、私はもうたまらなく好きだ。

彼女たちは私の手の届かない世界に生きていて、すぐに遠いところに去っていく。そんな女たちが、たとえ刹那的であっても私と時間を共有してくれるのだから、これほど幸せなことが他にあるだろうか。

決して交わらないはずの女が、振り向いてくれるのが真夜中の世界だった。普通とはまったく違う生き様を垣間見せてくれるのが闇の女たちだった。

自分とは違う世界に生きている彼女たちのことを考えていると、心臓が爆発しそうなほどのスリルと至福感にとらわれる。

世間から見ると彼女たちは「禁断の果実」かもしれないが、私にとって「知恵の木の実」だった。彼女たちの「実」を食べるたびに、私はいろんなことを知り、目が開かれるような経験をした。

違う世界に触れることによって、私は本当に多くの知識をも得た。当然だ。まったく違う世界に生きている人と関わるのだから、自分にはない多くのものを知り、目が開き、様々なことを吸収できる。

私は彼女たちと知り合うことによって、人生が変わった。今でも彼女たちには深い感謝しかない。「はぐれ者」になった女たちに感謝している。(written by 鈴木傾城)

真夜中の女たちは禁断の実だが、それを食べると様々な知識が手に入る。当然だ。まったく違う世界に生きている人と関わるのだから、自分にはない多くのものを知り、吸収できる。

ブラックアジア:売春地帯をさまよい歩いた日々

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