
犯罪は、うまくいけば高いリターンをもたらすように見えるが、常に大きなリスクが存在する。潜伏中は絶えず警察の追跡を恐れ、精神的にも社会的にも孤立する。それは、得られる金銭的利益と釣り合わない。短期的な利益を得ても、結局は自由を喪失し、社会的に孤立、逮捕されたら懲役か死刑である。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
変装した容疑者を耳の形で判別する
最近、日本で整形手術前と整形手術後の写真をアップして、まったくの別人級の顔面になっているのを自慢する女性がいた。ところが、それがあまりにも別人級だったので、本当に同一人物かどうか疑念を持つ人が増えて炎上騒ぎになった。
そこで整形外科の医師が「耳の形を見せて」と問いかけていたのだが、そのポストを見て私は「なるほど、プロは同一人物なのかどうかを耳の形で判断するのか」と妙に納得した。顔は変えても耳の形まで変える人はほとんどいないはずだ。
実際、容疑者を追う警察官も、変装した容疑者を耳の形で判別するのだという。耳は整形による改変が難しく、顔の印象を大きく変えても特徴が残る部位とされる。警察関係者もみんなそれを知っていた。
話は変わるが、2021年にベトナム南部ドンタップ省で莫大な量のドラッグが押収された事件があった。ヘロインや覚醒剤を中心とするハードドラッグで、その総量は77キロに達していたという。
この密輸事件の中心人物として摘発の対象となったのが、当時35歳のレ・タイン・クアンという男だった。クアンは摘発直後に逃亡し、数年間にわたり潜伏を続けた。逃亡生活の中で彼は整形手術を受け、顔の輪郭や外見を大きく変化させた。
さらに偽名を用いて新しい生活を築き、仕事や交友関係を徹底的に切り替え、元の人生とのつながりを断ち切ろうとした。この男は逮捕されたら死刑になるのを理解しているので、その逃亡は命がかかっている。周到だった。
ところが、こうした努力にもかかわらず、彼は最終的に警察の捜査網から逃れることはできず、最近になって逮捕された。決定的な手掛かりとなったのは、最新の監視カメラ網や高度な顔認識技術ではなかった。
ベテラン捜査官が注目したのは、やはり「耳の形」だったのだ。警察官は容疑者を絞り込んでいき、逃亡者がいるのを確認し、その逃亡者らしき人物を特定し、顔は変わっていたが、耳の形で本人であることを確認した。

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実際には完全な身元偽装にはならない?
整形手術はすでに一般化している。そのため、重大な事件を起こして逃亡している犯罪者が整形手術で顔を変えて逃亡を図る事例もかなり増えている。東南アジアだけでなく、南米を含む各地でもそうだ。
逮捕された逃亡犯の顔が指名手配写真とまったく違っている。逃亡する中で、犯人は整形をして顔の印象を変えていく。
外見を大きく変えることで監視の目を逃れようとする発想は一見合理的に見える。だが、実際には完全な身元偽装にはならないのかもしれない。今回ベトナムで逮捕されたクアンの事例も、そうだった。
彼は顔の輪郭を変え、偽名を使い、新しい生活環境に身を置いたが、最終的には警察の観察力によって特定され、逃亡は失敗に終わった。
よくよく考えてみれば、整形で変えられるのは顔の一部にすぎない。目や鼻、輪郭の形状を変えることは可能であるが、骨格や耳の形、姿勢、体格、歩き方といった特徴は容易に隠すことができない。
特に耳は整形が難しいようで、左右の非対称性や細部のしわなどが個人識別に有効であるとされる。実際にイギリスやアメリカの警察では、耳の形状を生体認証の一部として利用する研究が進められており、写真や映像から特定できる場合も多い。
では、耳も整形すればいいのか? いや、現代社会では監視カメラの普及やデジタルデータの追跡が進んでおり、整形だけでは存在を消し去るのは難しいだろう。銀行口座の利用、携帯電話の通信履歴、交通機関の移動記録といった情報はすべて個人を特定する材料となる。
いくら外見を変えても、生活の中で生じる痕跡までは完全に隠せない。特に国際的な犯罪にかかわる場合、各国の警察機関が情報共有をおこなうため、逃亡先での身分偽装は長期的に維持できない可能性が高い。
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隠れて第二の人生は成り立たない時代に
デジタル社会と化した現代社会では、ますます「逃亡」は難しくなっているように思う。フィリピンでは完全にフィリピンに馴染んだと確信した「背乗り」の中国人が市長に立候補して身分が割れて逮捕されるという事件もあった。(ブラックアジア:国籍ロンダリング。フィリピン人に成りすまして市長にまで成り上がった中国人女)
たぶん、20年、30年前だったら身元は割れなかったかもしれない。だが、今ではすべて痕跡が残るのだ。10年、20年の長い期間をかけて潜伏しても、バレてしまう。事前準備もなく、ただ犯罪を犯して逃亡しただけの人間であれば、なおさら厳しい。
今でも日本で犯罪を犯した人間が東南アジアに逃亡したりしているのだが、どんなに長く逃げ回っても、だいたいは捕まっている。
「逃げ回るのに疲れた」と自首する犯人もいる。逃亡生活は、人間関係を断ち切って孤立状態を自分に強いることになる。家族や友人と接触すれば足がつく可能性があるため、犯罪者は新しい環境で隠れて孤独に暮らさざるを得ない。
この状況は精神的にも大きな負担となり、潜伏の長期化を難しくするようだ。結局のところ、整形は一時的に捜査を混乱させることはあっても、自分自身の痕跡そのものを消すことはできず完璧ではないのだ。
すでに10年以上前からますます鮮明になってきていることなのだが、もう「犯罪を犯して逃亡して、隠れて第二の人生」は成り立たない時代になっているように思う。
捜査は、科学技術の進歩によって飛躍的に精度を高めている。指紋やDNA分析はすでに基本手法として定着し、わずかな皮膚片や毛髪からでも個人を特定できる。
さらに監視カメラの高画質化と顔認識技術の発展により、逃亡者が人混みにまぎれても検出される可能性は高い。歩き方のクセや姿勢の研究も進み、外見を変えても体の動きで識別され得る。
そこにきて、携帯電話やSNSの通信履歴、銀行取引や交通系ICカードの利用記録など、日常生活のデジタル痕跡も追跡に利用される。これらのすべてに関して自分の痕跡を消せる犯罪者は、かなり希有な存在であるとも言える。

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インド最底辺の売春地帯に沈没していた私は、ある日ひとりの女と出会った。彼女は「人を殺した」という噂があった。
まったく「ワリに合わない」行為
金儲けを考えるのに何らかの犯罪を思いついて、それを実行に移す人間もいる。しかし、今の時代はもう完全に「犯罪はワリに合わない」行動のひとつであり、金儲けの手段としては合理的ではない。
犯罪は、うまくいけば一時的には高いリターンをもたらすように見えるが、常に大きなリスクが存在する。いくら整形によって新しい外見を得ようが、そんなもので未来永劫に逃げ切れるものではない。
潜伏中は絶えず警察の追跡を恐れ、精神的にも社会的にも孤立する。こうした代償は、得られる金銭的利益と釣り合わない。短期的な利益を得ても、その代償は自由の喪失、社会的孤立、長い懲役か死刑である。
そう言えば、東南アジアの歓楽街なんかにどっぷりと沈没していると、パスポートの売買を持ちかけられたり、一緒に詐欺をしないかと持ちかけられたり、犯罪に誘われることはよくある。私もそういう話を持ちかけられたこともある。
あるいは、歓楽街ではドラッグなんかも身近にいくらでもあるわけで、「それを売ったらカネになる」と考える人間もいる。そうかと思ったらポルノ動画を制作して、それを売るようなビジネスを考えたりする人間もいた。
歓楽街はカネがなくなれば、すぐに蹴り出されてしまう世界なので、十分なカネを持っていない男は、とにかく必死でカネを作る必要がある。まともに働く気がなければ、ずるずると犯罪的行為に引き寄せられていく。
東南アジアでドラッグの密輸なんかに手を出した日には人生終了だろう。どこの国でも、ドラッグに対する刑罰が極めて重いことは共通している。終身刑や、場合によっては死刑に直面する可能性がある。
インドネシアの刑務所で自殺した男もいたが覚えているだろうか?(ブラックアジア:森田裕貴。ドラッグで禁固19年の刑、獄中で首を吊って自殺)
犯罪は一時的な金銭的成功を約束するかもしれない。成功したら、一瞬だけあぶく銭で遊べるかもしれない。しかし、そのあとに続く追及、孤立、破滅というコストは圧倒的であり、経済的にはまったく「ワリに合わない」行為である。もともとワリに合わないのだが、ますますワリに合わなくなったと感じる。







コメント
いつもお世話になっております。
顔面を手術したり、手術前後を同一人物かを耳の形で判断したりする医師は、整形外科医ではなくて、美容整形外科医か、美容形成外科医だと思いますので、訂正お願いします。
いずれ、画像解像度に進歩があれば、虹彩で識別できるようになるので、眼科医が見たら、同一人物かどうか判定できるかもです。