
フィリピンの首都マニラにある地方裁判所は、バンバン市の元町長アリス・グオについて、「明らかに中国人であり、フィリピン市民としての資格はなかった」とする判断を下した。この女は「単なる不正な市長」ではなく、「国家を侵食するスパイまたは工作員」である。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
明らかに中国人が身分詐称で市長になった
フィリピンで「国籍ロンダリング」した中国人の女が市長にもなったが、この女はフィリピンでもない上に、あらゆる犯罪にかかわっていた女であることも暴露された。2025年6月28日、フィリピンの裁判所は正式に、この女が「市長職を奪った」と断定した。
フィリピンの首都マニラにある地方裁判所は、バンバン市の元町長アリス・グオについて、「明らかに中国人であり、フィリピン市民としての資格はなかった」とする判断を下した。
判決では、「グオはフィリピン市民として生まれたことが一度もない」「市長選への立候補と当選は無効であり、彼女の就任は完全に違法である」と明言された。つまり、選挙で勝利したという事実そのものが無意味とされ、法の支配が明確に貫かれたかたちだ。
このニュースは、国内外で大きな衝撃をもって受け止められた。彼女は2022年から2024年まで、市長として行政権限を行使していた。つまり、2年間にわたり違法な人物が市の行政を主導していたという話である。
この事実が示しているのは、地方政治の脆弱性だけではない。国家制度そのものの信頼性にも深く影響を与える事態である。
グオはこれまで、出自に関する情報をいっさい公開していなかった。彼女の素性に初めて注目が集まったのは、中国系犯罪組織との関係をめぐる疑惑が表面化した時点だった。
それ以前は、農村部出身で謎に包まれた若き女性政治家として、メディアからも注目される存在であった。だが、後述するように、彼女の存在そのものが「虚構」であったことが徐々に明らかになる。

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「若き女性政治家」は国家を揺るがす異物だった
今回の裁判で特に重要だったのは、国籍の真正性に関する争点だった。フィリピン憲法は、公職に就く者について「生まれながらのフィリピン国民であること」を求めている。
それもそうだ。外国人がその国で身分を隠して公職に就いたら、自国よりも外国の利益を追求してしまう。それこそ、自国の利益が毀損される事態となる。まさに、国を揺るがす重大な犯罪である。
民主主義国家において、選挙は制度の柱だ。その信頼性は、候補者が法的資格を有しているという前提の上に成立している。仮に、その資格が虚偽であった場合、有権者の選択そのものが無効となる。
出生証明書やその他の公文書を調査した結果、アリス・グオにはそれらの証拠がいっさい確認されず、逆に中国国籍者としての記録だけが浮上した。裁判所は、「選挙に勝った事実は、違法行為を正当化しない」と明言し、「公職簒奪者(usurper)」という極めて強い表現を用いてグオを断罪した。
これまで「若き女性政治家」として持ち上げられていた存在が、国家の制度を揺るがす異物だったのだ。フィリピン社会全体が強烈な衝撃を受けたのも当然だ。
アリス・グオが単なる「国籍偽装」の問題にとどまらず、国家の安全保障にかかわる重大なリスクとして認識されはじめたのは、彼女が違法オンラインカジノに関係していた事実が判明してからである。
2023年以降、カジノにかかわる施設が相次いで摘発され、その多くが中国系の資金で運営されていたことが明らかになっていた。その中で、タルラック州バンバン市にある施設が摘発され、そこから人身売買・マネーロンダリング・不法滞在といった複数の重大犯罪の証拠が発見された。
とんでもない話だが、この施設の運営主体が、グオの親族やビジネスパートナーと直接的につながっていた。彼女自身が、この施設に対して土地を貸し、便宜を図って利益を得ていたのだ。
ここまで来ると、この女は「単なる不正な市長」ではなく、「国家を侵食するスパイまたは工作員」である。カジノ施設の運営においては、国外から労働者を呼び寄せ、監禁・強制労働を強いる手口が頻繁に見られ、その実態は人身売買である。
このような施設がバンバン市内に存在していたという事実だけでも異常だが、そこに行政権限を持つ市長がかかわっていたとなれば、地元警察や行政機関の捜査が妨害されていた可能性も排除できない。

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完全に「架空の経歴」で選挙に臨んだ中国人女
実際、摘発がおこなわれるまでに複数の通報があったにもかかわらず、警察の動きは鈍かったと報道されている。行政の内部に協力者がいたとすれば、その中心にいたのがグオだったということになる。
また、彼女の「出自不明」という点も、国家安全保障上の大きな問題を示している。生年月日や出生地、両親の名前などの情報があいまいで、長らく公的な登録が確認されなかった。
具体的には、彼女は「1990年にフィリピンの農村部で出生し、フィリピン人の父と中国人の母のもとで育った」と主張していたが、その出生証明書の発行記録が行政機関のデータベースに存在しなかった。
彼女が「初めて記録された」のは2022年の有権者登録の時期であり、それ以前の学校履歴、納税記録、医療記録、住民登録といった生活の痕跡がいっさいなかった。これは通常、国内に長年在住してきた人間ではありえない状況である。
そうしているあいだに、彼女の指紋が中国国内のビザ申請記録と一致し、「別の身分」で過去に中国を出入国していた履歴も確認された。フィリピン当局が中国側の協力を得て照会した結果、国籍ロンダリングの実態が浮かび上がった。
裁判所の判決文では、「出生の証拠がないだけでなく、彼女がフィリピン国民であったことを証明する書類もいっさい確認されなかった」と記されており、立候補に必要なすべての法的要件を満たしていなかったことが明言された。
もちろん、帰化申請や認定国籍取得といった手続きもおこなわれた形跡がなく、完全に「架空の経歴」で選挙に臨んだという点が強調された。
国政に参加する人間が、こうした基本的なプロフィールさえ偽っていた事実は、国家機構の脆弱性を如実に物語っている。後の調査で、中国国内において別の名前で活動していた記録が複数発見されており、彼女が中国当局またはその代理組織とつながっていたことはもはや否定できない。

日本もまた、安全だとは言い切れない
アリス・グオの事件は、フィリピン一国の問題では終わらない。ここで明らかになったのは、「国籍ロンダリング」とも呼ぶべき手法を通じて、公職に侵入するという極めて高度な侵入工作が、現実に機能していたという事実である。
国籍ロンダリングとは、他国籍者が何らかの手段で偽装書類を用い、あるいは制度の抜け穴を突いて国籍や居住資格を取得し、まるでその国の市民であるかのように振る舞う手法である。
今回のように、それが政治権力の獲得と結びついた場合、その国家の統治システムそのものを内部から破壊する効果を持つ。
フィリピンに限らず、近年では東南アジア、アフリカ、中南米の複数国において、外国籍者が虚偽の手段で国籍を取得し、土地取得や政治的影響力を拡大するケースが報告されている。
中には、帰化要件が緩い国の制度を利用して国籍を取得し、そこから別の国に「合法的移動」するという多段階のロンダリングもある。
グローバル経済の中で展開される金融取引、資産移転、法人設立なども、国籍ロンダリングと不可分の関係にある。特定の国籍を持つことで優遇措置を受け、税制や行政手続の簡便さを悪用する事例は後を絶たない。
グオのように、正体不明の人物が複数の国で活動し、金融や不動産、行政に同時多発的に介入することは、すでに珍しい現象ではない。
アリス・グオは、制度の隙を突き、フィリピン社会に浸透し、国家を動かす力を一時的に手にした。この事実は、誰が国民で、誰が公職に就く資格を持ち、誰が制度を守っているのかという根本的な問いを、私たちに突きつけている。
日本もまた、安全だとは言い切れない。戸籍制度は厳格に見えるが、実際には「背乗り(はいのり)」される事件もあったりして、いったん背乗りが成功すると、なかなか発覚しない恐れもある。
帰化制度も緩く、日本に対して強い敵愾心を持つ中国人が正式に帰化して日本人になっていたりする。しかも、そういうのが堂々と選挙活動をしている。すでに一部の自治体や土地に、中国系企業や人物の影が濃く差し込んでいる。
だが日本社会はそれに無頓着だ。静かに、だが確実に外からの「侵入」は進んでいる。グオ事件は、遠い国の異常事ではない。国家の中に他国の意思が入り込み、社会を内側から変えていく。
その予兆が、すでに足元にあるという現実を、日本人はまだ直視していない。

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