日本が悪夢のような暴力社会になれば、日本人も必ず「銃を持つ権利」を求める

日本が悪夢のような暴力社会になれば、日本人も必ず「銃を持つ権利」を求める

2018年2月14日、フロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で銃乱射事件が起こり、生徒や教職員が多数死亡する事件が起きた。

この事件の後、事件に巻き込まれた生徒たちが中心になって銃規制を求め始めた。「命のための行進」と呼ばれたこの巨大なモーメントには100万人が参加し、多くの著名人が支援し、行進に参加した。

この中にはアリアナ・グランデ、マイリー・サイラス、ポール・マッカートニーが次々と参加した。ポール・マッカートニーは「自分の親友も銃で殺された」と言った。ジョン・レノンのことであるのは言うまでもない。

またオプラ・ウィンフリー、ジョージ・クルーニーが資金提供し、前大統領バラック・オバマ氏も「支援している」と声明を出して銃規制デモに深い賛同を示した。

「流れは変わった」

高校生たちが主催したこの銃規制のためのデモによって、アメリカではこのように言われるようになった。「銃は権利だ」という主張よりも「銃規制を」という主張の方がより支持されるようになったのだ。

しかし、アメリカ社会は未だに銃が蔓延している。そして2018年5月18日の朝。今度はテキサス州サンタフェの高校で銃乱射事件が発生し、死者10名を超える惨事が発生した。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

暴力が身近にあるのかないのかで違いが生まれる

銃規制を求める声は、さらに増える可能性がある。

しかし逆に「もうこれほど銃が蔓延して悪い人間たちが乱射しているのだから、自衛のための銃はやはり必要だ」と考え直す人もまた増える可能性がある。

アメリカ人の心は今、その「銃を持つ権利」と「銃規制」の狭間で揺れ動いている。

アメリカでは、どんなに銃の乱射事件が起きても一直線に銃規制の検討にならないのだ。

「銃を乱射する奴がいるから、自己防衛のために銃で身を守らなければならない!」という声の方が今でも大きい。

確かに2018年2月14日の事件から流れは変わってきている。「銃が野放しになっているから乱射事件が起きる。銃を規制しなければならないのだ」という意見が浸透するようになり、誰も彼もが銃を求めているわけではない。

しかし、高校生が主体となって動いている「命のための行進」に強く反対するアメリカ人がいるのも事実である。

「やはり銃は必要なのだ。自由のためには戦わなければならない」

これを理解するためには、暴力をどのようにとらえるのかという「世界観」が分かっていなければならない。

「暴力に対する世界観」が分かってくると、なぜアメリカ人がこれほどまで銃を切望するのかが分かってくる。そして、銃の所持には大反対の日本人との違いも浮き彫りになっていく。

あなたは「自分が生きている世界」は、どのような世界だと感じているだろうか。

「暴力」を主軸にして考えると、暴力が「ない」のが普通の状態と、暴力が「ある」のが普通の状態の、どちらが自分の環境に合致しているだろうか。

平和主義でも銃が必要だと思う環境とは?

人間社会は平和なときもあれば、戦争状態のときもあるし、平和な場所もあれば紛争の場所もある。

暴力が身近にあるのかないのかは、生まれた国や場所や時代によって違っている。その人の哲学や考え方は、その環境に影響される。

日本人の多くは「暴力がない状態が普通の状態」だと無意識に考えるのではないだろうか。しかし、アメリカ人の多くは、「暴力がある状態が普通の状態」だと無意識に考える。

この世界観は、人間の行動や考え方に大きな影響を及ぼす。

たとえば、日本がどこかの国に侵略され、治安がめちゃくちゃになって暴力が蔓延する社会になったと思って欲しい。

道を歩いていても、いつ撃たれるか分からないし、いつ襲われるかも分からない。

愚連隊、チンピラ、暴力団、マフィア、ギャングがサメのようにうろつき回り、強盗、殺人、レイプが蔓延し、政府は無為無策で暴力は吹き荒れる一方の国になったと想像して欲しい。

そんな状態が普通になってしまったら、いくら私たちが平和主義であっても、「自分には防衛のために銃が必要だ」と思うようになるはずだ。

そのために銃が蔓延したらさらに治安が悪くなるかもしれない。しかし、それよりも、銃が蔓延する社会の中で「自分だけが銃を持っていない」というのは無防備だと考えるようになる。狼の群れの中の羊のように感じるのだ。

アメリカ人は、狼の群れがうろついているのが「普通の社会」だと思っており、それが世界観になっている。「どこかの誰かが気が狂っていきなり銃を乱射してくるかもしれない」というのは日本では単なる妄想だが、アメリカでは現実だ。

アメリカ大陸は、最初から暴力が日常だった

アメリカ人は、「アメリカで暮らすというのは、まさにジャングルの中で暮らすのと同じだ」と思っているフシがある。

メイフラワー号で最初にアメリカ人がやってきたとき、アメリカ大陸はネイティブ・アメリカンの大陸だった。そこにやってきたアメリカ人は、まわりは敵だらけだと思ったに違いない。

西部を開拓する中で白人たちは現地人と共存するのではなく、敵対して侵略する道を選んだから、よけいに「まわりは敵だらけ」になった。

まして政府などあって無きが如しであり、現地人が駆逐されたあとは、ならず者の白人が街を乗っ取ってアウトローの世界になって、開拓者同士が戦い合った。

アメリカ大陸は最初から血にまみれていた。暴力が日常だったのである。

だから、現在のアメリカ人は、他の国よりも非常に高い純度で「暴力の世界を生き抜いてきた人たち」の末裔だったと言い換えることもできる。

彼らの世界観は「暴力ありき」なのである。「自分の身は自分で守れ」が鉄則として染みついており、誰も自分を助けてくれないのであれば、自分が銃を取るしかない。

政府が助けてくれるなど頭から考えていないから、いざとなったら撃ち合う覚悟を持っている。普通のアメリカ人が、そうなのである。

だから、ギャロップ社の調査でも、銃器の販売は「緩和すべき」「あるいは現状維持」が55%もいるという結果になっている。半数以上のアメリカ人は、銃を求めている。

銃社会が治安を極度に悪化させているのは分かっていても、アメリカ人は「それでも銃があるほうがいい」と思っている。

銃が蔓延したアメリカ社会では銃規制は不可能?

自衛のためであるとは言えども、銃保持が拡大すれば、それ自身が治安を悪化させる。いずれ、それは自分自身の危険を増大させるというのは誰でも理解できる。

では、銃保持は間違っている考え方なのだろうか。

銃保持に賛成するNRAの会員の中にはこのような言い方をする人もいる。「銃保持と銃規制については、条件付きで考えなければならない」

「条件付き」というのは、いったいどういうことかというと、つまりこのようなことだ。

・すでに銃が蔓延している。
・普段でも治安が悪いか、悪化する恐れがある。
・戦争・内乱・紛争・騒乱状態である。

「そのような社会であれば、自衛のためにも銃の保持を認めなければならない。逆に、そうでない平和な社会なのであれば、銃は規制されなければならない」

すると、銃乱射事件が起きるようなアメリカ社会では「すでに銃が蔓延している社会」なのだから、「自衛のために銃を保持するのは当然」という理屈になる。

銃が蔓延する社会で銃規制すると、悪人だけが不正手段で銃を手に入れて、普通の人が銃が持てない。そうすると、防衛できずに犬死にするばかりである。

だから、銃規制はとんでもない、ということになる。

逆に日本では、銃は所持を認められていないし、戦争でも内乱状態でもない。治安も他の国に比べて良い。だから、逆に銃は規制しなければならないということになる。

どんな凶悪事件が起きても銃を求めるアメリカ人。
どんな安全な社会になっても凶器を規制する日本人。

暴力がそこに蔓延しているのかしていないのかで、考え方は180度違うものとなってしまうのだ。(written by 鈴木傾城)

どんな凶悪事件が起きても銃を求めるアメリカ人。どんな安全な社会になっても凶器を規制する日本人。暴力がそこに蔓延しているのかしていないのかで、考え方は180度違うものとなってしまうのだ。

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