フィリピンで女性トイレを使おうとしたレディーボーイが逮捕されて大論争に

フィリピンで女性トイレを使おうとしたレディーボーイが逮捕されて大論争に

2019年8月。フィリピンの首都マニラのケソン地区にあるショッピング・モールで奇妙な騒動が起きていた。

28歳のグレッチェン・クストディオ・ディエズという名の「レディーボーイ(女装した男性)」が、女性用トイレに入ろうとすると、彼女が「男」であることを知っているトイレの清掃員の女性がそれを阻止した。

「あなた、男でしょう。ペニスがついているんでしょう。それなのに女性トイレに入るなんておかしい」

タイにもレディーボーイは大勢いるのだが、フィリピンにも多くのレディーボーイがいる。その多くは「身体は男だが心は女」という性同一障害を持った人で、フィリピンの売春地帯にも多くのレディーボーイが立っている。「バクラ」と彼女たちは呼ばれている。

フィリピンのレディーボーイは実はタイのように包容力を持って受け止められているというよりも、結構な偏見を受けている。HIVの問題も付いて回っている。(ブラックアジア:気をつけた方がいい。フィリピンで絶対彼らに手を出すな

ただ、ブラジルのようにレディーボーイだからと言って襲撃の対象になるような事態には至っていない。(ブラックアジア:毎年400人近くのトランスジェンダーや同性愛者が殺される国ブラジル

グレッチェン・クストディオ・ディエズ

グレッチェン・クストディオ・ディエズ。レディーボーイ。彼女は女性トイレを使おうとして拒絶された挙げ句に逮捕された。

この問題が一筋縄ではいかない理由

フィリピンのレディーボーイは、恐らく今もだがタイのレディーボーイのように「女性よりも女性らしい」ほどの域に達している人は少ない。つまり一見して「男が女装している」と分かる状態である。

その点、28歳のレディーボーイ、グレッチェンは写真で見るとかなりレベルが高く、タイのレディーボーイたちと比べても遜色ないように見える。

しかし、その彼女が「女性トイレを使うな」と従業員に罵られ、彼女がそれに抗議すると大騒ぎになって警察を呼ばれ、警察は彼女をまるで「万引きした犯罪者」であるかのように後ろ手に手錠をかけて署に連行して行った。

彼女は自分の受けた仕打ちに泣きながら抗議し「ジェンダーフリーであるはずのマニラでこんな目に遭うなんて思わなかった」とテレビの前で語った。その切実な姿にフィリピンで大きな論争が湧き上がったのだった。

「彼女のようなレディーボーイが公共の場でトイレに入るとすると、どちらが最適なのだろうか?」

世論は複雑だった。彼女のような性同一障害の人は肉体的には男だが女性であろうと努力しており容姿も女性にしか見えない。心も女性だ。だから、彼女が女性トイレを使うというのは誰しも違和感がない。

しかし、「では彼女のような人はみんな女性トイレを使うことを許可すればいいではないか」となると、別の問題が発生するのである。

それは以下の問題だ。

男が「女装していれば女性トイレに入れるというのであれば、危険なレイプ犯が女装して女性トイレに潜むかもしれない」

あまり知られていないが、フィリピンはレイプが多発する国で、こうした問題は女性にとって切実な問題だ。もし「男」が女性トイレに自由にアクセスできるようになるというのは、それがどれほど恐ろしいことか誰しもが体感的に分かるはずだ。(ブラックアジア:2013年から、なぜかレイプ事件が急増しているフィリピン

私たちが考えている以上に難しい

この問題は、トランスジェンダーの受け入れを早くから進めてきた欧米でも、賛否両論の議論がずっと続けられていた。

2017年に大きな議論になっていたのはトランスジェンダーの学生はどちらのトイレを使うべきかという問題だった。この問題は容易に決着がつかなかった。違う「性」をどのように扱うべきかというのは、人によってそれぞれ意見が違うからだ。

LGBTの権利について深く理解を示していたオバマ前大統領自身は「トランスジェンダーの生徒が自らが認識する性別のトイレを使用できるようにしなければならない」と表明したのだが、これに対して連邦政府はストップをかけた。

「男が女性トイレを自由に使える」ということに強硬な反対派も多かった。

中には「トランスジェンダー用のトイレを作ればいいではないか」という解決方法を述べる人もいるのだが、これについては当のトランスジェンダーの人々からも反対意見が出されていた。

そのトイレを使うというのは、自分がトランスジェンダーであることを図らずも周囲にカミングアウトすることであったり、あるいは周囲の好奇の目にさらされることであったりする。

「自分は女性だ」と思っているのに女性トイレに入れずにトランスジェンダー用のトイレに入らなければならないのはストレスであり差別であるという意見もある。

では「身体的には男なのだから男性用トイレに入れ」が正しいのかというと、グレッチェン・クストディオ・ディエズのように「ほぼ女性」になりきった人がいきなり男性用のトイレに入ったら、それはそれで問題が起きる。

トイレ問題で、「トランスジェンダーに配慮する」というのは私たちが考えている以上に難しい問題なのである。

もっとも、トランスジェンダーの人が女性用トイレに入ろうとしたら後ろ手に手錠をかけられて署に連行されるというのは「やり過ぎ」であるのは間違いない。

強制が逆に仇になってしまう

トランスジェンダーと言ってもさまざまな種類の人がいる。

「身体は男性。心は女性」
「身体は女性。心は男性」
「身体は男性。心はどちらでもない」
「身体は女性。心はどちらでもない」

「どちらでもない」というのは私たちには分かりにくいが、トランスジェンダーの人の中には「自分は男でも女でもない」と思っている人がいるのである。

男か女か、ではないく、もはや「ジェンダー(性別)」を持たない感覚とでも言うのだろうか。インドでは「ヒジュラ」と呼ばれるトランスジェンダーの集団がいるのだが、彼らは自分たちを「第三の性」と称している。

「男でも女でもない」というのは、まさに「第三の性」であると言える。

そんなわけで、「トランスジェンダー」と言っても一様ではなく、ひとりひとりが違っている。

難しいのは、この「トイレ問題」についてはトランスジェンダーの人々もそれぞれひとつの確固とした意見を持っているわけではないということだ。あるトランスジェンダーは「心の側の性別のトイレに入りたい」と言い、別のトランスジェンダーは「身体の側の性別のトイレに入りたい」と言う。

トランスジェンダーと一括りにしても、それぞれ容姿や自覚が違っている。そのため世間の「こちらを使え」という強制が逆に仇になってしまうのだ。

そんなわけで、社会はトランスジェンダーの扱いについて、今もなお正しい「答え」を導き出していない。あなたは、トランスジェンダーの人々がどのトイレを使うべきだと考えるだろうか?

ブラックアジア・フィリピン編
『ブラックアジア・フィリピン編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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