現在、アジアで安定した政権運営をしているのがインドネシアだが、この国のアキレス腱はイスラム原理主義者が跋扈しているところである。
ユドヨノ大統領はずっと暗殺対象になっているし、国家警察が実行犯を片っ端から逮捕・殺害していっても、その根が潰える様子はほとんどない。
ジェマ・イスラミアの精神的指導者
これは、インドネシアがイスラム国家なのに完全にイスラム化しておらず、土着のアミニズムが依然として残っていることも原因であるとも言われている。
完全なるイスラム化を果たしていないので、イスラム原理主義者は一気にそれを成し遂げたい。そのためには政府を転覆して原理主義に近い人間を権力の中枢に送り込みたいという強い野望のようなものがあるようだ。
そして、それを支援するのがイスラム共同体(ウンマ)で結びついた中東の原理主義者である。
アフガン・ソ連の戦争時代から911後の一連の反米闘争、そして現在のアフガンにおける戦争まで、インドネシアのイスラム武闘派はずっと志願兵を現地に送り込んでいたし、アルカイダの要員をスラウェシやカリタンマンに匿ってきた。
そして、インドネシアには若者をイスラム原理派に感化させる学校もあって、その指導者にもカリスマがある。その最も危険なカリスマとされるのが、ジェマ・イスラミアの精神的指導者と言われるアブ・バカル・バシール師である。
JI(ジェマ・イスラミア)は現在、東南アジア最大にして最強のテロ組織だと言われているが、インドネシアの国家警察がどんなに捜査を進めていっても一網打尽の逮捕ができない。
それは、JIが、バシール師を頂点にしたピラミッド構造ではなく、数人のグループが独自に活動して必要なときにだけ連携しあう緩い組織構造を作り上げているからだ。
アメリカが目の敵にしているアルカイダ、そしてアフガンの原理主義タリバン、そしてパキスタンのTTP(パキスタンのタリバン運動(Tehreek-e-Taliban Pakistan)も、互いに密接な関係にありながら、完全に連携しているわけではない。
またそれぞれの組織もピラミッド型組織ではなく、小さなグループの連携で行われているから、グループのそれぞれが潜伏(活動停止)してしまうと、もはや彼らを追う術(すべ)がない。
潜伏か活動かは上の指示があるわけではなく、各個人がそれぞれ状況を鑑みて決定する。いつテロが起きるのか、どこでテロが起きるのか、彼らを包括している組織そのものも把握していない。
テロリストの「天の声」、あるいは「扇動」の立場
テロを起こす計画を立てたグループはモスク(イスラム寺院)で組織と情報交換をやりとりする。その計画について支援できるグループが自主的に武器・弾薬・情報を実戦グループに横流しする。
各モスクから上がってくる情報はその都度、上層部に上がっていくが、上がらないケースもある。だから、組織の指導者の関与が不明瞭になって、結果的に「精神的指導者」の安全が守られることになる。
精神的指導者というのは、テロリストの「天の声」、あるいは「扇動」の立場にある。
彼らは精神的指導者の動向や言動に常に注意を払っている。モスクでの演説やメディアの報道などによって精神的指導者の導く方向性を把握し、テロの計画や対象を決定することになる。
インドネシアではその役割を担っているのが、バシール師なのである。
アブ・バカル・バシール師は、1972年にイスラム寄宿学校を設立した。子供たちを寄宿(預かり)、24時間イスラム漬けにして原理主義に仕立て上げていく。
そして、この学校の卒業生が次々と過激テロを計画するようになっていくのだが、バシール師は計画にタッチしない。あくまでもイスラムの指導者として方向性を示すのみだ。
2001年のアメリカ同時多発テロの衝撃からちょうど一年経った2002年10月、バリ島で欧米人200人が爆殺される大規模テロがあったが、この実行犯や関係者もバシール師の卒業生だった。
そのあと、次々と起きるインドネシアのテロのほとんどはバシール師やその卒業生が幹部となって動いていると言われており、インドネシアにおけるイスラム原理主義の本流がバシール師であることは誰もが認めるところである。
インドネシア政府はバリ島の爆弾テロで謀議の罪で有罪判決を下しているが、2006年には早くも釈放させている。
そのままバシール師を拘束したままだったら、インドネシア各地で大規模テロが続出していたし、ユドヨノ現大統領も命がなかっただろう。
バシール師に対しては強硬に出なかったのは、それがインドネシアをさらに混乱に陥れることをユドヨノも分かっていたからだ。
しかし、国民を爆殺されたオーストラリアにとってはバシール師の釈放はインドネシア政府の裏切りにも等しいものだった。オーストラリア政府は、そのときから現在までにかけて相当な圧力をインドネシア政府にかけ続けている。
そして2010年8月9日、バシール師は再逮捕された。
名目上、昨年から執拗に続いているユドヨノ大統領暗殺の動きに絡んでいるものだと言われているが、それを言うならば2009年が最もユドヨノにとっては危険な年だったので今回の逮捕の名目としては「今さら」だと誰もが知っている。
真相はオーストラリア含む欧米各国からの圧力だと思われる。恐らくJIはそう考えるだろう。
バシール師の逮捕によってテロは収まるのだろうか。いや、インドネシアはこれからも執拗なテロに悩まされる国になるはずだ。
貧困と格差が国の中に存在し、イスラム過激派が生まれる土壌が残っているのであれば、テロはいつでも繰り返す。
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