突然の災厄。突然の地獄。突然の死。私たちの日常は薄氷の上に成り立っている

突然の災厄。突然の地獄。突然の死。私たちの日常は薄氷の上に成り立っている

平成以降で最悪の放火事件が京都で起きている。アニメ制作会社「京都アニメーション」で起きた放火事件だ。関東在住の41歳の男が「死ね」と叫びながらガソリン40リットルをまいて建物に放火した。

火は一瞬にして燃え広がり、一階から三階までを焼き尽くした。

事件が起きたこの日、建物内には従業員が約70名いた。何の落ち度もない人たち33名が焼かれて死亡した。30名近くが病院に運ばれているのだが、重傷者も多いことから予断を許さない状況になっている。

死亡した33人は、男性が12人、女性が20人で、性別が判断できないほど損傷している遺体が1名あった。1階で2人、2階部分で11人、3階に上がる階段部分で1人、3階から屋上に上がる階段の部分で19人が折り重なるように倒れていた。

中には火だるまになって走り回っていた人も目撃されている。

事件の詳しい背景はまだ何も分からないが、事件が起きるまでは普通に日常生活を送っていた人たちが、一瞬にして「死」に直面する凄惨な世界に放り込まれたという残酷極まりない事実だけが今分かることだ。

突然の災厄。突然の地獄。突然の死。突然の悲劇。私たちの日常は薄氷の上に成り立っているというのがよく分かる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

人間の命を突如として奪う要因

最近、日本ではひとりの気の狂ったような男が大量殺人をする事件が相次いでいる。先日も川崎市で岩崎隆一という男が子供たちを19人死傷させた事件が起きたばかりである。(ブラックアジア:川崎連続殺傷事件。岩崎隆一の起こした凄惨な殺人は社会に対する復讐か?

多くの人は、自分が突然死ぬということを想定していない。

しかし、こうした悲惨な現場を見ていると、人は突如として何かに巻き込まれて死んでしまうことがあっても不思議ではないと感じるようになる。まったく予期しない出来事で、不意に命を落としていく。

人間の命を突如として奪う要因は数限りなくある。地震や台風や洪水のような自然災害に巻き込まれて死んでいく人たちもいる。大きな火事や交通事故に巻き込まれて死んでいく人たちもいる。

治安の悪い国では強盗・殺人事件・銃撃戦のようなものに巻き込まれて死んでいく人たちも珍しくない。暴動やクーデターや暗殺事件のような騒ぎに巻き込まれることもあるだろう。

さらに中東やアフリカのような地域では突如と始まる戦闘によって、一瞬にして命を奪われるのが日常になっていく。あるいは爆破テロや衝動殺人に巻き込まれて死んでいく人たちもいる。

老衰や病気で徐々に弱って、自分の死を意識しながら最期に向かう人たちも多いが、逆に死をまったく意識していなくて、ほんの数分前まで何ら普段とは変わらない日常生活を送っていたのに、突如として殺されてしまう人も確かにいるのだ。

人の死は、かくも分からないものであり、あっけないものでもある。かく言う私も交通事故で死にかけたことがあり、不意打ちで日常生活が吹き飛んでしまう経験をして、それ以降はかなり「死」を意識して生きるようになっていった。

半年も寝たきりの中で私がずっと考えていたのは、運が悪ければ私はとっくに死んでいたという事実だった。私が交通事故で助かったのはまさに偶然が作用しただけであり、その偶然は自分の意志が反映されたものではない。

コインを投げて受け止めたらそれが「たまたま表だった」というのと同じレベルの偶然が私の身に起きて、私は今も生き続けている。

これは私だけの話ではなく、今この文章を読んでいる人はみんな「たまたま運良く生きている」に過ぎないとも言える。長く生きてきた人たちは、ほとんど全員「あの時、運が悪ければ死んでいたかも」という瞬間がどこかにあったはずだ。

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災害に巻き込まれていた可能性

1994年にロサンゼルスで起きた大地震のとき、私はたまたまニューヨークにいて、メキシコに旅立ったときだった。この地震の映像はメキシコのテレビで見ていた。

季節は1月で、ニューヨークは大寒波が到来しており、あまりの寒さに私は暖かいロスに逃げるか、それともメキシコに行くかの二者択一の中にあって、たまたまメキシコを選んだ。しかし、もしロスに行っていたら、この大地震に巻き込まれて死んでいたかもしれない。

この翌年に日本に戻ったのだが、ある3月の朝になって出かける用事があった。この日、地下鉄が止まっていた。放送を聞けば地下鉄で有毒ガスが発生した可能性があると報道していた。

何が起きているのか分からなかったが、後にオウム真理教なるカルト教団が地下鉄でサリンを撒いて無差別テロを引き起こしたのだと知った。

地下鉄千代田線はたまたまその日に利用するはずの電車だったのだが、私はとびきり朝に弱いのでその時間の電車には乗らなかった。それで私は助かった。

2002年頃は私はインドネシアをウロウロしていた時期なのだが、あまりにもインドネシアが気に入ったので、バリ島にも関心を持っていたときだった。この年の10月12日、バリ島の繁華街クタで爆破テロ事件が起きて200人近い外国人が死亡した。

2001年のアメリカで起きた同時多発テロ事件からインドネシアも不穏な空気に包まれていたが、自分の関心のある国でこれほどの巨大なテロが起きたということに衝撃を受けたものだった。

2004年にはスマトラ島沖地震が起きている。(津波で死んでいった人たちの、凄惨な地獄絵図に思うこと

20万人以上もの犠牲を出したこの津波が各国を襲っていた時、私はカンボジアにいた。東南アジアにはシンガポールから入ったのだが、津波被害のひどかったインドネシアにもタイにも行かずに、たまたまカンボジアに向かっていた。

2006年にはタイでタクシン首相を追い落とす軍事クーデターがあったが、幸いに無血クーデターで終わった。

あのとき、私はバンコクにいてタイのナナ・プラザでクーデターのニュースをテレビで見ていた。もし、あのクーデターが銃撃戦を伴うものであれば、バンコクにいた私も何らかの形で影響を受けたに間違いない。

2011年の東日本大震災の時は、もちろん東京にいた。正確には神奈川県にいたのだが、神奈川もかなり揺れた。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

生死の不条理から逃れられることはない

こうやって並べると、私はいろんな事件や災害の近くにいて、たまたま巻き込まれなかったり死ななかっただけだったというのが分かる。

しかし、私だけがそうだったわけではない。多くの人が私と同じようにある時は巻き込まれたり、ある時は巻き込まれかけたりして、辛くも難を逃れたという経験をしているはずなのだ。

地下鉄サリン事件の日に地下鉄に乗っていた日本人は数十万人いたはずだ。2002年にバリに行っていた日本人は数万人に上るし、2004年や2006年にインドネシアやバンコクにいた日本人も数十万人もいただろう。

そして、1995年の阪神淡路大震災や、2011年の東日本大震災に至っては、日本人の数百万人が地震に巻き込まれた。

今、ごく普通に生きている人は、実は過去に死んでしまってもおかしくない状況の中で「たまたま」生き延びた人でもある。もし運が悪ければ、巻き込まれて犠牲になっていたとしても不思議ではなかったはずだ。

京都の凄まじい放火事件でも、生と死を分けたのは本人の意志とはまったく無関係のところにある。

信心深くても、用心深くても、体力があっても、知力があっても、ただ「そこにいた」というだけで巻き込まれて亡くなってしまう。それはとても不条理で哀しいことである。

私たちは誰もこの不条理から逃れられることはない。誰の身にも不条理は起こり得るのである。

私たちはあと数十年も生きるかもしれないのだが、逆に明日にも死んでしまうかもしれないのだ。そんなことは誰にも分からない。早死にすると思われた人が長生きすることもあるし、長生きすると思われた人が早く死ぬこともある。

そんな生と死の不条理の中で、私たちは生きている。どのような生き方をするのかは個人の考え方に委ねられている。(written by 鈴木傾城)

燃え上がる京都アニメーションの建物と、警察に身柄を拘束された犯人。男の手足も火で負傷しているのが分かる。40リットルのガソリンに火を付けると爆発状態になる。今のところ、動機も背景も何も分かっていない。

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