私はほんの数年前まで、サングラスはいっさいしない主義だったのだが、ある時に深作秀春氏の著書『視力を失わない生き方』を読んでから、自分の「サングラスはしない」という考え方が間違っていることに気付いた。
「太陽のまぶしさは歳を取れば取るほど眼に深いダメージを与える」とそこには書かれていた。具体的には紫外線によって白内障を引き起こしたり、翼状片のような病気を誘発することもあるという。
それから、私は急いでサングラスを買いに走って、太陽の光がまぶしい時は意識してサングラスをかけるようになった。(ブラックアジア:視力喪失時代。今の社会は人々の視力を奪い取っていく社会)
私がそれまでサングラスを遠ざけていたのは、それが「目立ちたい人のファッションで実益は何もない」とか「若者が他人を威嚇したい時の小道具」みたいな思いをずっと持っていたからだ。
私と同じようにサングラスを今も遠ざけている人は、恐らく以前の私と同じ思いにあるのではないか。しかし、目を守るためにサングラスはつけた方が絶対に良い。それはいいのだが、サングラス選びは結構な試行錯誤になるかもしれない。
実は、私もいまだに試行錯誤している。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
たった2年で私のサングラスは5本目に
最近の日本の暑さは熱帯並みであり、紫外線の強さもかつてよりも強烈になっている。
そう思って、私も二年ほど前から意識してサングラスをするようになったのだが、最近は屋外にいる時は、もうサングラスをしない方が珍しいというくらいサングラスをかけるようになった。
サングラスに慣れると、サングラスをしないで太陽の下にいるのがいかに目に負担だったのかが分かる。サングラスをしていると、明らかに目が楽なのである。
私はただでさえ「読む・書く」で目を酷使していて眼精疲労に悩まされてるのだが、その疲れた目で晴れた日に外を歩くと、まぶしすぎて目に苦痛を感じるほどだった。それが、サングラスをかけるとかなり楽になる。
そのため、今ではすっかり「サングラスの人」だ。
紫外線対策のためには別に濃い色のサングラスは実は必要なくて、クリアレンズでも紫外線を100%カットするものもあるようだ。しかし、私はどちらかと言えばかなり濃いサングラスの方が好きになった。
ひとつ告白すると、たった2年で私のサングラスは5本目になってしまった。サングラスのコレクターになったわけではない。それでも、これからもサングラスは増え続ける可能性がある。
別にコレクターになったわけでもないのに、なぜこんなに本数が増えてしまったのかと言うと失敗の連続だからだ。サングラス選びはやたらと難しい。
最初に買ったサングラスは気に入らなかった。「サングラスならどれでも同じだ」と思って、近くのメガネ屋に寄った時に適当に買ったのだが、何度かかけているうちに、どうも自分の顔に合っていないような気がするようになった。
あまり他人を威嚇するような外観になるサングラスはしたくないと思って、丸みのある柔らかい印象のサングラスを私は選んでいた。ジョン・レノンが好みそうな形のサングラスである。
しかし、ジョン・レノンには合っているのかもしれないが、どうも私には合っていないような気がする。
サングラスが自分に合っているのかどうかは主観で決めるしかない。もしかしたら他人が見たら、ごく普通の良くも悪くもない感じだったかもしれない。しかし、私は何となく丸みのあるサングラスに居心地が悪く感じて、仕方なく違うサングラスを買うことにした。
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次のサングラスもうまくいかなかった
ところが、その次のサングラスもうまくいかなかった。
私は近視が入っているので、クリアな度付きのレンズのフレームに磁石でサングラスを取りつける二重グラスのものが合理的で良いのではないかと思った。たまたま、そのようなメガネが売っていたので、次にそれを選んだ。
当然、丸型(ラウンドタイプ)のフレームを注意深く避けて、今度はスクエア型のフレームにした。そのため、フレームに関して問題ないと思ったのだが、結論から言うとそれもまた失敗だった。
メガネ屋で試した時は問題ないと思った。ところが、いざ屋外で試してみると選んだメガネのフレームが小さすぎたせいで、サングラスをかけていても上部の隙間から太陽の光が燦々と入ってくる。まったくサングラスの意味がなかった。
メガネ屋では自分があれこれ試して「これ」と選んだ一本である。今さら「止めた」と言って返品もできない。しばらくそれを使っていたのだが、やはり納得できないものがあって私はそのサングラスもやめた。
そして3本目を買った。丸型のサングラスもマグネット式の着脱サングラスも懲りたので、今度は少し大きめのサングラスらしいサングラスにした。
「バレンチノ」というブランドのメガネだったが、店の店員は悪くないと褒めるし、自分もそんなにおかしくないと思ったのでそれにした。
今、このサングラスが今の私のメインになっているのだが、フレームが大きくてやたら重いせいか、しばらくかけていると耳のつるの当たる部分やひどく痛くなってくる。メガネ屋で何度か調整してもらったが、あまり良くならない。
このサングラスが一番気に入っているのだが、痛みを感じて長くかけられないので、似たような形の4本目を別に買った。今、バレンチノのサングラスとその4本目を交互に使っている。
しかし、つい先日「サングラスの色と濃さが違う方がいいのではないか」と何となく思ったりして、また違うものを買って5本目になった。それも使っているのだが、本当に自分に合っているのかどうか、まだよく分からない。
鈴木傾城が、日本のアンダーグラウンドで身体を売って生きる堕ちた女たちに出会う。電子書籍『暗部に生きる女たち。デリヘル嬢という真夜中のカレイドスコープ』はこちらから。
3000個のサングラスになる前に
ある女性と話をしていた時、彼女はたまたま芸能人が好みそうな大きなサングラスをかけていたので、サングラスはそれ一本でいつも使っているのかを訊ねたら、彼女はやはり数本持っていて気分によって使い分けていると答えた。
「同じ形ばかりじゃ飽きるでしょ?」
サングラスにこだわる人は彼女と同じく、違う形のものを会う人や行く場所によって使い分けて楽しんでいる。コレクターの中には所有するサングラスが20本も30本にもなるらしいが、こだわる人はそれくらいになる。
私はコレクターでも何でもないので、まあまあ気に入ったものが見つかったらそれ一本に絞って、後は使えるまでそれだけを使い続けていきたい。
しかし、今の私がまだあれこれ試行錯誤しているということは、まだ自分が本当に気に入った形や機能のサングラスに出会えていないということになる。
もう外に出る時はサングラスが手放せないので早く愛着を感じられる一本に巡り合いたいのだが、そのためにはまだまだトライ&エラーが必要なようだ。
サングラスは「紫外線をカットする」という部分だけ機能していれば、どんな形でも文句はないと最初は思っていたのだが、どうもそうではなかった。ずっと身に付けるものはやはり自分が良いと思うものでないと、なかなか長く使えない。
そのため、気が付けば試行錯誤になって、サングラスだけが何本も何本も増えることになる。自分の顔に合って、なおかつ愛着の持てるサングラスを見つけるのは、簡単なようで簡単ではなさそうだ。
フィリピンのイメルダ・マルコスは、マラカニアン宮殿に靴を3000足も保管していたようだが、3000個のサングラスになる前に何とか愛着が持てて長く使えるサングラスが見つかって欲しいのだが……。(written by 鈴木傾城)
ジョン・レノンの有名な写真。ジョン・レノンはいつの頃からかずっとメガネをかけるようになったが、丸メガネがジョン・レノンの象徴となっている。しかし、写真を見るとそれぞれメガネが微妙に違っており、かなりの数のメガネやサングラスを所有していたことが分かる。
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