努力しても報われないかもしれないが、それでも努力しながら生きる

努力しても報われないかもしれないが、それでも努力しながら生きる

子供の頃、私の住んでいたところから駅に向かって歩く途中、個人経営の鉄工所みたいなところがあった。

そこを通ると機械オイルの匂い、ガソリンの匂い、切り出した鉄の匂いがした。その匂いがとても心地良くて、私は立ち止まってずっと匂いを嗅いでいたものだった。

やがて引っ越して、その匂いを嗅げなくなってしまった。そして記憶からも消えた。

二十歳以後、私はタイをうろうろするようになったのだが、バンコクのヤワラー(中華街)の外れにいることも多かった。安宿が林立していたし、いろんな人がいたからだ。

このヤワラーの裏を歩いていくと、ふと街の到るところに町工場があって子供の頃に嗅いだあの懐かしい匂いがして、私は郷愁に駆られた。

ヤワラーの裏側にあちこち小さな鉄工場が点在していたのだが、最後に確認したのは10年くらい前だ。今はどうなっているのだろう。まだ残っているのだろうか。あの独特の匂いと共に、とても懐かしく思い出す。

ただ、その時に私の脳裏に浮かぶのは、暑い中でオイルにまみれて働く人たちの姿もある。私は仕事もしないでタイでふらふらとさまよいながら生きていたが、彼らは必死になって働いていた。

認めたくないことだったが、それが現実だった

一生懸命に働いている人が必ず報われるとは限らない。それが、この世の理不尽な現実である。

世の中は恵まれている人たちばかりではない。家庭が貧しくて勉強する環境になくて学歴がなかったり、もともと勉強が向いていなかったり、病気がちだったり、生き方に迷っていたりする人はたくさんいる。

社会は「自己責任だ」と冷たく突き放すが、必ずしも自己責任であるとは限らないのも事実だ。しかし、たいていは自己責任にされてしまうものなのである。

そして資本主義社会は競争社会だが、競争が好きな人ばかりで世の中が構成されているわけでもない。

競争よりも共存を、敵対よりも愛を、強さよりも優しさを望む人は世の中にたくさんいる。こうした人は概して押しの強い人たちに押しのけられたり、蹴落とされたりして、傷つきながら生きている。

そして、朝から晩まで必死で働いているのに、日々の暮らしすらも成り立たない人も出てくる。

多くの日本人は社会の底辺にいるこうした人たちを見て、無意識に「もっと努力した方がいいのではないか」「努力すれば報われるのだから」と考えるはずだ。

実は、私もかなり長い間「努力すれば必ず報われる」と考えていたこともあった。

しかし、本当だったのだろうか?

東南アジアのアンダーグラウンドを這い回っていると、どんなに努力をしても、どんなに必死になっても、どんなに頭が良くても、どうしても報われない世界があると私は認めざるを得なかった。

凄まじい貧困と社会の無理解の中で、叩きのめされている人たちをずっと見続けて、私はやっと「努力しても報われない世界もある」と思い知った。

認めたくないことだったが、それが現実だった。

「日本人はいいわね。金持ちで……」と言われた

まだ20代の前半だった頃、私はもう社会をドロップアウトしていた。東南アジアの気だるい空気の中で、日がな一日何もしないでブラブラして暮らしていた。

その頃、バンコクのヤワラーには安宿にたむろしていた女性がたくさんいた。彼女たちは安宿に巣食っている男たちにセックスを持ちかけて売春しながら生きていた。

彼女たちの多くが安宿に沈没していた日本人の「共同の恋人」のようになっていたのだが、その中のひとり、馴染みになった女性が私に言ったものだった。

「日本人はいいわね。金持ちで……」

安宿に居着く私が金持ちであるはずがなかった。金はないこともなかったが、仕事もしない20代の男だ。金持ちというにはほど遠い身分でもある。

それでも彼女が言わんとする意味は汲み取れた。

当時の日本はバブル期だった。日本人は自国の株でも買っただけで、あるいはほんの数ヶ月間どこかで働いただけで、その金で東南アジアにくると、半年は確実に何もしないで暮らしていけたのだ。

それが経済大国の国民のメリットだった。

日本人の月給は、安宿にいて売春ビジネスで生きていた女たちの10倍はあっただろう。

毎日毎日、身体を売って必死になって生きている女性は、どんなに必死に働いても、それでもブラブラしている日本人に敵わなかったのだ。

そして、そのヤワラーに小さな鉄工所がたくさんあって、そこに朝早くから夜遅くまで油にまみれて働く男たちの姿もあったのである。私は毎日、屋台で食事をしながらぼんやりと彼らを見ていたものだった。

灼熱の空気の中で、汗と油にまみれて働く彼らよりも、何もしないで屋台でのんびりしている自分の方が金をあることは、気が付いていた。

必死で努力している人が報われないのは残酷だ

そんな現実が目の前にあっても、私はそれでも「必死で働く人は報われる」と頑なに思い込んでいた。

「怠惰な人が運だけで豊かになって、必死で努力している人が報われないのは、正義ではないし、残酷だ」という考え方が、ずっとこびりついて離れなかったからだ。

私は自覚していなかったが、それは日本の教育の成果だったのだ。「必死に努力すれば道は拓ける」というのは、今も昔も学校教育の基礎だ。

本当は、人間ひとりひとりに能力があって、生まれつき頭の良い子供もいれば、どう努力しても能力の足りない子供もいる。この差は、生まれつきのものなので埋めがたいものがある。

しかし、学校教育は駄目な子供も面倒を見なければならないし、彼らをある程度「向上」させなければならない。そこで、学校は「必死に努力すれば道は拓ける」と教えることになる。

子供たちは、自分が勉強ができないのは「生まれつきではなく努力が足りないから」だと教育される。

自分を客観的に見つめられる子供は「ひょっとして自分は頭が悪いのか?」と冷静に思うのだが、教育はそれを認めず「努力が足りない」と言って「本当にできない子」を勉強に駆り立てていく。

本当は能力は人によってバラバラで、その差は決して埋まることはないのだが、「努力すれば報われる」と思い込まされるのである。

私も日本の教育を受けてきたので、無意識に「努力すれば報われる」という現実的ではない哲学が身についていた。

しかし、東南アジアで必死で生きている人たちを見て、気付いてしまったのである。必死で働き、必死で努力している人が報われるのであれば、なぜ彼らが報われないのか……。

現実を客観的に分析すると、努力など「何ひとつ」していない私の方が彼らよりも経済的余裕があった。日本に生まれて、なおかつ時代がバブルだったという僥倖があったからだ。

私はたまたま日本の良い時代に生まれていた。努力はまったく関係なかったし、私に持って生まれた特別な才能があったわけでもない。

私は愚かではないが天才でもない。本当に普通の人間だった。日本という国は素晴らしかったが、私自身は語るべきものは何もなかった。

それなのに、私は必死で生きようともがいている人たちよりも圧倒的に恵まれていた。

「努力すれば報われる」というのであれば、これは不可解な現実だ。「もしかすると、努力しても報われない」のが現実なのではないか、と私はうっすらと思うようになっていった。

「努力したら報われる」どころの話ではない

とどめになったのは、カンボジアの売春地帯にいた女性たちと付き合うようになってからだ。(売春地帯をさまよい歩いた日々:カンボジア編

彼女たちは、もう生まれたときから家が貧しく、教育もなく、計算もできず、身体を売るしか生きる方法がなかった。

そんな中で売春宿のオーナーに搾取され、乱暴な客に罵られ、這い上がることなど到底不可能な世界の中でもがいていた。

「努力したら報われる」どころの話ではない。あまりにも極限の底辺に堕ちると、足りないものが多すぎて必死で働いても浮かばれないのである。

借金もある。計算できないから売春宿のオーナーからピンハネされ放題だ。抜け出しても、字も書けず、計算もできないから普通の職業に就けない。教育を受けるにも金が要るが、そんな金もない。今を生きなければならない。

そんな世界で「努力したら報われる」など、きれい事でしかなかった。しかも、途上国で必死で働いても、先進国のアルバイトの時給にも負ける。時間が経てば経つほど差が開いていく。

先進国で生まれるか途上国で生まれるかは、それこそ運でしかない。富裕層で生まれるか貧困層で生まれるかも運だ。いろいろな環境が本人の努力を超えた部分で決まり、人生が左右される。

もし私がカンボジアの底辺で生まれていたら。あるいは、インドの低カーストで生まれていたら……。

私が生まれた国と時代が悪ければ、「一匹狼だ、野良犬だ、ハイエナだ」と斜に構えて生きることなど到底できなかった。必死で働いても何も得られず、社会に押しつぶされながら生きていたはずだ。

「努力しても報われない」世界があるのだ。それが分かった時、私は自分が信じていたものがガラガラと崩れ去るような気持ちになった。しかし同時に「それでも努力して生きていく」のが本当の人間の姿なのだと分かった。

暗闇の中で、ギラギラと光る目を持った女たち

努力しても報われない……。

しかし、そんな状況の悪い中で、必死になって生きている人たちも数限りなく存在する。いや、そんな人が大多数なのが、この世の中の現実だ。

私が見てきた途上国の身体ひとつの愛しい女たちは、みんなそうだった。彼女たちは何も持っていなかった。

そんな境遇の中で、彼女たちは出会う男たちに笑みを浮かべ、時には愛を分け与えたりしている。あるいは、したたかに立ち回って私を翻弄する。

もう、それだけで私は彼女たちに心が奪われてしまう。

努力して報われないことに傷つき、世の中の理不尽さに傷つき、もがいてももがいても何ともならない現状に傷つき、それでも、あえてもがいて生きる女たち。

苦しみに満ちた世界の中で生きている女たちに、私は深い深い関心と愛と哀しみを感じ続けている。どん底に堕ちた彼女たちの生き方に私は深い影響を受けた。

「努力したら報われる」というのは間違いだった。「努力しても報われないかもしれないが、それでも努力しながら生きていく」というのが正解だったのだ。

よく考えてみれば、誰でも楽に世の中を渡っているわけではない。必死に生きている。時には挫折を余儀なくされても、それでも必死にもがいて生きていく。

ぶざまだと思われようと、情けないと思われようと、それでも、とにかく必死で生きる。そんな「何も持たない人間」の生き様を、言葉ではなく、身体を通して女たちは教えてくれた。

私はどん底に堕ちてもなお、もがきながら生き続ける女性に、深い尊敬と、深い憧憬を抱いている。もう、居ても立ってもいられないほど堕ちた女性たちが好きだ。

今だって私は真夜中の女たちを愛し続けている。暗闇の中で、ギラギラと光る目を持った女たちに惹かれている。報われなくてもアンダーグラウンドを這い回って生きている女たちに強いシンパシーを感じている。

一生、私は変わらないのだろう。

 

よく考えてみれば、誰でも楽に世の中を渡っているわけではない。必死に生きている。時には挫折を余儀なくされても、それでも必死にもがいて生きていく。ぶざまだと思われようと、情けないと思われようと、それでも、とにかく必死で生きる。そんな「何も持たない人間」の生き様を、言葉ではなく、身体を通して女たちは教えてくれた。

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