
現金がなければ物欲も低下しそうな気もするが、実際はそうでもない。現金がなければないほど「欲しくても買えない」という消費に対する飢餓感が膨れ上がってしまって、より買いたくなってしまうからだ。飢えているときにスーパーに行けば無駄な食品を買いすぎるのと同じだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
年収が増えても資産が貯まらない理由とは?
「年収が増えれば増えるほど資産が貯まる」と考えている人もいるのだが、それは間違いだ。たとえば、私が長らく歓楽街で見てきた人たちは、大金を稼いでも「まったくカネがない」状態で苦しんでいた。
水商売やもっと裏の仕事をしている人たちというのは、男も女も稼ぐ額は大きいのだが出ていく額も私たちの想像以上に大きい。派手に遊び、高級品を買い、旅行でも大きく散財する。
全員が全員ともそうだとは言えないのだが、夜の世界は見栄が重要な世界なので、華美な服を着て、ブランド品を買って、高額なところに住む人が多い。それなのに仕事は不安定で、メンタルがやられるような出来事がしばしば起こる。
そして、彼らのまわりには口のうまい詐欺師や、有無を言わせぬ恫喝者が、おびただしく存在する。せっかく稼いだ金をむしり取られることもある。人間関係を構築するには難しい人も多いので、トラブルに巻き込まれるのは日常だ。
結局は高収入であっても、自滅しやすいのが夜の世界の人たちである。私はそういうのをさんざん見てきたので、「年収が増えれば増えるほど資産が貯まる」とはまったく思っていない。
では、表社会の高収入の人たちは安泰なのか。
彼らもタワマンに住み、高級車を乗り回し、高いレストランでワインでも飲んで、金のかかる趣味で遊んだりする人がいる。そういうのをSNSで見せびらかすような人間も多い。
やはり、そういう人たちは収入以上に背伸びし過ぎとなる。「いくらでも稼げる」という全能感の為せる業なのか、無謀な借金も平気でしたりする。そうするとクレジットカードの支払いなどが毎月増えていき、内情が火の車になって、仕事がうまくいかなくなった時点で人生が詰んでしまう。
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「あれも買いたい、これも買いたい」という目的
いくら高収入であっても、消費行動が狂っていたら資産が貯まるわけではない。毎月100万円を稼いでも200万円を使っていたらすぐに行き詰まる。大切なのはうまく収支を管理することであり、きちんと自分をコントロールすることに尽きる。
収入の範囲で暮らし、きちんと貯蓄し、金融リテラシーを高めておく。そうすれば、たとえ収入が少なくとも資産を増やすことができるし、生活に安定感ができて幸福度を高めることも可能である。
結局、大金を稼ぐ前にマネー・マネジメントをきちんと向上させておかなければ、手に入ったものは消えていくだけだということに尽きる。私が歓楽街で知り合った金持ちたちは、そういうのに無頓着だった人間ほど消え去るのは早かった。
自分の欲望のために大金が必要になればなるほど、その原資を稼ぐために危ない橋も渡らなければならなくなる。そうすると、必然的に詐欺や恐喝や暴力の世界に足を踏み入れていくことになる。
カネのために見境がなくなっていくと、やがて自滅する。それは物事の必然だ。朝がきたら、次は夜がくるのと同じくらいわかりきったことだ。
「高収入になりたい」「金持ちになりたい」という話はよく聞く。その人に、なぜ高収入や金持ちになりたいのかと言うと、だいたいの人は「あれも欲しい、これも欲しい。あれも買いたい、これも買いたい」という目的を話す。
そういうのを見聞きしていると、ほとんどの人が実際に高収入・金持ちになったとしても資産が貯まらない理由がよくわかる。彼らが高収入・金持ちになりたいのは、ただ単に「もっと使いたいから」なのだ。浪費することが前面にある。
自分の生活や人生にまったく必要ないものに金を使い、衝動買いの欲望を満たし、物欲を発散することしか見えていない。もし、そういう人が高収入・金持ちになったとしても、遅かれ早かれ最後には何もない人生に戻ってしまうだろう。
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「金がないから買えない」という強い欲求不満
「あれも買いたい、これも買いたい」と言っている人は、カネがそれほどないときからあれもこれも買っている。カネがあってもなくても消費するので、貯金が増えることはほとんどない。
現金がなければ物欲も低下しそうな気もするが、実際はそうでもない。現金がなければないほど「欲しくても買えない」という消費に対する飢餓感が膨れ上がってしまって、より買いたくなってしまうからだ。
飢えているときにスーパーに行けば無駄な食品を買いすぎてしまうのはよくあることだが、消費に対する飢餓感も同じだ。あれもこれも欲しいのに「カネがないから買えない」という不満が昂じれば、どうなるのか。
少しでも現金が入ったとき、飢餓感の穴埋めをするかのように多くを買ってしまう。
高収入の人はブランド品をデパートで買いまくるかもしれないが、低所得の人は100円ショップなどで目についたものを次々と買うような消費行動になる。そのため、貧困層になればなるほど、じつは家の中はモノであふれていたりする。
「欲しくても買えない」「消費欲を満たしたい」という気持ちが安物買いにつながって、家の中がガラクタまみれになってしまう。
「カネがない」という現実は「カネがあったら使いまくれるのに」という気持ちにつながり、それが「カネを使いまくりたい」という欲望に結びついていく。家の中が安物の不要品で埋もれて、ゴミ屋敷寸前になってしまっている人も多い。
それは、「カネがないから買えない」という強い欲求不満が生み出した心象風景であると言っても過言ではない。これは幸せな状態ではないというのがわかる。
ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々・インドネシア編。インドネシアには「女たちが捨てられた村」がある。リアウ諸島の知られざる売春地帯を扱った鈴木傾城入魂の書籍。
「買いまくりたい」という欲望を消す方法
たとえ貧困であっても、「収入の範囲で暮らし、きちんと貯蓄し、収支をコントロールする」ことによって、生活を少しずつ向上させることが可能だ。
だが、「買えない」という飢餓感を持っていると、まるでドラッグ依存者がドラッグを求めるように「何でもいいからモノを買う」という行為に走ってしまう。それが恒常的になると、浪費思考に向かっていく。必要がなくても、飢餓感が強いので買いまくってしまう。
こういう人は、まずは浪費に向かうライフスタイルや精神構造を何とか克服する必要がある。そのためには「使いまくりたい」「買いまくりたい」という欲望が何ら自分のためになっていないことを知る必要がある。
自分の「買いまくりたい」という欲望が、「自分のためになっていないのではないか」というのを確認するもっとも最適な方法がある。
それは「家の中の要らないものを捨てる」という行為である。
今まで消費に飢餓感があった人は、その飢餓感を埋め合わせるために大量の安物を買い込んで家の中がいっぱいになっている。浪費の結果として「ガラクタであふれる部屋」になっている。それを、今度はひとつひとつ捨てていく。
自分が本当に必要であるもの以外は捨てていく。それが、なぜ「買いまくりたい」という欲望を消すことにつながるのか? それは、捨てるためには分別しなければならず、分別するためには考えなければならないからだ。
そのときゴミになるものを前にしたら、「こんなくだらないものを買っていた」「こんなところに無駄金を使っていた」「なぜこんなものを欲しがっていたのか」と思う。この「なんで、こんなくだらないものを買ったのか」という気持ちが一片でもわくことが重要なのだ。
その気持ちは、やがて「これだけ無駄な買い物をしていたのか。馬鹿なことをしていた」と自分自身の反省につながっていく。それを日々、繰り返していけば部屋が片づく上に、無駄なものを買う気持ちも失せてくる。結果として浪費が減る。
「買いまくりたい」という飢餓感は、「不要なものを捨てる」という行為をきちんとすることで消えていく。
捨てるにもカネがかかったりして面倒だ。不要なモノを捨てるたびに、カネや時間をかけていたら、間違いなく「次に買うときはきちんと考えて買おう」という方向になっていく。それが重要なのだ。

躁状態の時、色々なホテルに泊まり歩き一か月帰らない事もありました。
ホテルの素晴らしい所は、モノが無い事。
モノが溢れ返っている自室に居ると、苦しいです。
鬱状態になると、要らないものがどれか分からない。
もういい加減、どんどん捨てたいです。