社会全体が「短期的な結果」に重きを置く構造になっている。結果をすぐに求めることは、かならずしも悪ではない。むしろ、それは現代社会には必須だ。だが、あまりにも過剰に効率性を追求していると、いずれ大きなしっぺ返しがくる。それは、どういうものか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「努力するのは無駄」「努力は非効率」か?
最近、よく「コスパ(コストパフォーマンス)」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉を聞くようになった。もはや日常的な語彙として定着しているといってもいいかもしれない。
これらの言葉が示す価値観は、どういうものか。それは、効率性を追求することに重点を置き、労力や時間を削減することに最大の価値を見出すものだ。わかりやすくいうと「時間をかけずに結果を出す」を目指している。
こうした考えかたは、現在の高度情報社会が加速させているといえる。インターネットの検索エンジンやSNSや、最近ではAIの普及により、結果だけがすぐに手に入れられるようになったのだ。
時間は貴重なものだ。それならば、効率性(コスパ・タイパ)が追求されていくのは悪い話ではない。ただ、これが「とにかく、すぐに結果を求める」という風潮を加速させ、地道な努力や持続可能な成長を省みない問題を生じさせる。
成功するまでの苦労や過程は隠され、その背後にある努力が軽視されるようになった。その結果、若年層を中心に「努力するのは無駄」「努力は非効率」という思い込みが生まれるようになってきている。
「一発逆転」を狙った起業や投資が推奨される場面もことさら増えており、堅実な事業運営の重要性が軽視されるようになってきているのも見て取れる。「時間をかけずに結果を出す」ことが重視されて、本来であればもっとも重要なはずの努力が無視される。
このようなタイパ志向は、個人の成長や社会全体の持続可能性を損ないかねない。本来、努力の積み重ねこそが価値を生むにもかかわらず、それを否定する風潮は、あとで大きなしっぺ返しを受けることになりかねない。
フルインベストの電子書籍版!『邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる=鈴木傾城』
すぐに結果を求める風潮のワナとは?
すぐに結果を求める風潮は、社会全体に広がっているように見える。
たとえば、就職活動に関する調査では、企業が求める人材像として「地道に努力できる人」が依然上位に挙げられる一方、若年層の意識調査では「効率重視」「短期間での成功」を望む回答が70%を超えている(日本労働研究機構、2023年調査)。
また、SNS利用者の行動分析によると、動画コンテンツの平均視聴時間は2020年の調査時点で1本あたり5分以上であったが、2024年には2分未満に短縮されている。この変化は、情報消費者が「瞬時の結果を求める」傾向を示していると解釈できる。
まさに、コスパ・タイパの典型である。
ビジネスにおける短期志向も顕著だ。株式市場においても、長期的な成長計画よりも短期的な利益確保が評価される現象が強まった。アメリカではそういう傾向が以前からあったが、日本も顕著なまでにそうなってきている。
投資においても、今日の投資で明日にも金持ちになるような短絡さで利益を求めようとしている。経営者も今日の経営方針が来月にも利益を生み出すような性急さで事業をおこなっている。
社会全体が「短期的な結果」に重きを置く構造になっていることは否めない。結果をすぐに求めることは、かならずしも悪ではない。むしろ、それは現代社会には必須であるともいえる。私自身も効率性を追求するようなクセがある。
だが、あまりにも過剰に効率性を追求していると、知識やスキルの深い理解が損なわれるので、そのあたりは意識的にバランスを取るようにしている。重要な部分では、あえてスローダウンして試行錯誤する。
試行錯誤は、タイパ志向の人間にとっては無駄なものに見えるかもしれない。たしかに、短期的には非効率であったりする。しかし、長期的には創造力や応用力を養う基盤となるので、最終的には有利になる。
インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたタイ歓楽街での出会いと別れのリアル。『ブラックアジア タイ編』はこちらから
世の中の大半はすぐに結果が出ない
短絡的に結果を求め、結論だけ欲しがる体質になると、「すぐに結果がでない状況」になったときには耐えられないのではないか。いうまでもないが、いくら効率性を高めても、すぐに結果が出ないことなど世の中には膨大に存在する。
科学研究や技術開発もそうだし、基礎研究もそうだし、臨床試験もそうだし、大規模なプロジェクトもそうだし、大規模な設備投資もそうだ。こういうのは、すぐに結果が出てこない。
プライベートにおいても、人間関係の構築なんかは時間を要する分野だろう。信頼や尊敬といった深い絆は、単なる短期的な努力では得られず、長期間にわたる誠実な行動が必要だ。
教育もそうだ。知識や技能を習得するには、反復学習や失敗からの学びが不可欠であり、一夜漬けで得られる成果は限定的である。ダイエットでも同様だ。短期間で体重を減らそうとして過激なダイエットに走れば、一時的な成果は得られても、リバウンドや健康被害につながる可能性が高い。
多くの分野で「すぐに結果が出ない状況」は当たり前なのだ。にもかかわらず、効率性(コスパ・タイパ)しか頭になければ、途中で投げ出したり、安易な近道を選ぼうとして自滅する。
過剰なまでのタイパ志向は、合理的でも効率的ではない。むしろ、それが非効率を生み出す。結局、いくらタイパ優先主義であっても、どこかでそこから離れて泥くさい努力をしていかなければ世の中を渡っていけない。
結果を焦ることによって、本来得られるはずの長期的な利益や成長の機会が失われてしまうのは、それこそ本末転倒である。だが、焦りすぎる彼らには、その「深く考える時間」すらもったいないと思うのかもしれない。
インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから
世の中全体がそうなるのであれば
ただ、そうはいっても、すぐに結果を見たいという人間は、今後はさらに増えていくのは間違いない。そうすると、これから社会に大きなゆがみが生まれていくのは今から想定できる。
社会は短期的視点の偏重となって、目先の成果に固執するようになる。すると、長期的に解決しなければならない問題が放置される。そうすると、社会は最後に大きなツケを払うことになる。つまり、短期志向になって、誰も長期的な責任を果たさなくなることで最後に破綻する。
人々は短時間での結果を求めるため、本質的な理解が不足するようになる。さらに、短期間で成果が出ないとモチベーションを失いやすくなるし、結果だけを求めることで、プロセスから得られる知見を失う。
人間関係の構築にも時間を割かなくなるので、人々の関係はより希薄化していく。そして、人々は結果が出ない状況に耐えられなくなっていく。地道な努力が避けられ、必要な能力が育たなくなる。スキルも劣化していく。
短期で結果が出ないものについては挑戦や試行錯誤を避ける傾向になるので、成長の機会も減少する。
タイパしか頭にない経営者が社会を覆い尽くすようになったら、スピード重視で製品やサービスの質が犠牲になるのだから、世の中は粗悪な製品やサービスで満ちあふれるようになることも考えられる。
これからタイパ志向の人々が社会に増えていけば、間違いなくこのような問題が発生していくことになるのだろう。個人個人にとってはタイパ志向によって効率化したと思っても、全員がそうなると逆に社会は効率性が低下する。
これは、まさに「合成の誤謬」である。
社会がそのようになっていくのであれば、私は逆に時間をかけなければならないような分野に進んでいこうと思っている。私自身もかなり合理性や効率性を優先するタイプなのだが、世の中全体がそうなるのであれば、そこから離れたい。そういうのには、迎合したくない。
タイパと聞くと腹が立つ自分がいる。
もっと努力しろと思ってしまう。
古い人間なのかもしれないが