自分の持っている「得意分野」は、それを一番過小評価しているのは自分

自分の持っている「得意分野」は、それを一番過小評価しているのは自分

隣の芝生は青く見えるし、他人はみんな自分よりも幸せに見えるし、上を見ればいくらでも自分の上がいる。

今は他人のプライベートがSNSで可視化される時代になっているので、余計に幸せそうな他人の姿が目に飛び込んでくる。

彼らはSNSでそうした自分の充実ぶりを誇示する。そのため、目に入ってくる他人は、誰もが自分にはない才能を持ち、自分にはないモノを持ち、自分にはない賞賛や幸せを得ているように見える。

この世は確実に「運の良し悪し」があるのだが、それを見せつけられるのだ。その結果、多くの人たちが他人と比べて今の自分に劣等感や不運を感じていく。感受性の強い人ほど、無意識に他人と自分を比較して落ち込む。

「自分は運が悪いのではないか」と悩む。

先天的に聡明な頭脳を持って生まれる人もいるが、自分にはない。容姿端麗に生まれる人もいるが、自分にはない。超人的な運動能力で生まれる人もいるが、それも自分にはない。

まわりを見回すと自分よりも優れた人、自分よりも豊かな人、自分よりも条件が良すぎる人が確かに存在する。まわりは、自分が持っていない何かを持っているのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

個人の能力では克服できない「運」

もっとも、運が悪いと思っているのは自分だけで、本当は自分もまたまわりから見ると、自分もまた「運が良い人間」だと思われているのかもしれない。

たとえば、戦乱の世に生きているコンゴやイラクの人たちから見ると、私たちが「日本で生まれ、日本で生きている」というだけで運が良いと思うはずだ。

少なくとも日本に住んでいるのであれば、戦乱で住んでいる家を追われることはないし、自分や家族が爆撃で手足が吹き飛ぶようなことを心配する必要もない。コンゴやイラクではそれが日常茶飯事だ。

同じ理由で、極貧に沈んでいるアフガニスタン人々も、インドの低カーストの人々も、やはり日本人を「先進国に住んでいる」というだけで「運の良い人」だと思っている可能性はとても高い。

私はインドネシアのスラムにいた時、「あなたは日本人で良かったわね。私も日本人として生まれたかったわ」と現地の女性に言われた。

さらに私は東南アジアでは何度も現地の女性に結婚してくれと言われたが、それは私自身に魅力があって愛されたからではなく、ただ単に私が日本人で一緒に日本に行けば貧困から脱することができるという彼女たちの打算があったからだ。

会ったその日に「結婚して欲しい」と言われたこともある。彼女は私の名前を聞くこともなく結婚を口にした。私がそれを断ると、彼女は雨に打たれてずぶ濡れになったまま私から去って行った。(ブラックアジア:名前も国籍も知らないのに、あなたと結婚したいという女

貧困国の貧困層の中で生まれてしまうと、這い上がるのはとても難しい。生まれた環境が悪すぎることで、辛苦の人生を歩まなければならなくなってしまう。

先進国に連れて行ってもらえて貧しい境遇から抜けられるかもしれないと思えば、知らない男と結婚することすらも彼女たちには幸せに思うほど荒んだ人生がそこにあったということだ。

 

◆名前も国籍も知らないのに、あなたと結婚したいという女

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

運の悪さを克服するには?

私たちがアフガニスタンに生まれていたら、まったく今とは別の人生を歩んでいたはずだ。ソマリアに生まれていたら、もっと違ってたかもしれない。どんなに向上心があって頭が良くても、アフガニスタンでは男は戦士や農民、女は無教育であることが一般的な人生である。

ソマリアで生まれていたら、男は海賊か失業者、女は男の財産として人生を全うする確率が高い。そう考えると、個人の能力では克服できない「運」というものは確かにあるのだ。

運が悪ければどうしたらいいのか。運の悪さを克服するにはどうしたらいいのか。

多くの国で、どん底に堕ちて這い回っている人たちを見ていると、彼らがそこから這い上がるにはどうしたらいいのか、よく考えるようになる。あるいは自分がそこに堕ちた時、自分に何ができるのかをよく考えることがある。

途上国の貧困に暮らす人たちであっても、彼らをよくよく観察すると面白いことが分かる。彼らは気付いていないけれども、個人的な資質から言うと、彼らは彼らなりにずっと恵まれた物を持っていると思うことがあるのだ。

彼らの中には、すさまじく壮健で無尽蔵な体力を持っている人もいる。話をしてみると、日本人には到底及ばないような頭の回転と度胸を持っている人もいる。女性にしても、思わず息を飲んでしまうような美しさを持った女性もいる。

彼らは確かに運が悪くて貧困地帯で暮らしているものの、個人的な資質から言うと、先進国の誰よりも優れているものをたくさん持っている。先進国で生まれていたら成り上がれた「潜在能力」を持った人がごろごろしていたのだ。

多角的に見ると、彼らも「運が良い」と思える何らかの長所をそれぞれ持ち合わせている。決してその存在の100%が不運なわけではない。

ここに突破口があるのではないかと私は思ったものだった。

誰でも、他人よりも優れた「何か」がある。誰にも負けないという得意分野を持っていたり、才能を持っていたり、能力を持っている。

ただ、本人がそれに気付いていなかったり、その国では誰も評価しなかったり、才能に気付いていても貧困で稼ぐのが精一杯で才能を磨く環境になかったりする。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

先天的に優れているもの

自分の持っている「得意分野」は、実はそれを一番過小評価しているのは自分だったりする。他人よりも早く走れるとか、他人よりも何倍も視力があるとか、他人よりも音感が優れているとか、そんなものは何ら意味がないように自分は思う。

しかし、自分には先天的に優れているものや得意なものが1つでもあって、それが自覚できるのであれば、それを軸にして運をつかむことができるかもしれない。

何もないと思っていた自分を振り返り、自分の中の「得意分野」を見つけられると、それにフォーカスし、それを活かせる生き方を考えるべきなのである。得意を活かせる環境に動く。あるいは、得意を活かせる環境を作る。

そして、得意分野から離れない。

他のものを切り捨てて、ただ得意分野に絞ってその方向に焦点を合わせて真っ直ぐに突き進んでいくようにする。そうすることによって、自分が持っていた潜在能力を活かすことができるようになる。

自分の得意分野や才能があるのに、それを活かせない環境や仕事に就いていると、永遠に浮上することができないし、うまく生きることもできない。

得意でないことや本位でない環境にいるというのは、それだけでうまくいかないのは当然のことだ。

自分の中の潜在才能を自覚して、それを活かすのか活かさないのかで、運の良し悪しは変わってくる。そんなことは当たり前であり、シンプルな原理だと思えるが、多くの人たちを見ていると、かなりの人が「自分の得意を活かさないで生きている」のが分かる。

隣の芝生は青く見えるし、他人はみんな自分よりも幸せに見えるし、上を見ればいくらでも自分の上がいる。しかし、見るべきはそこではない。見るべきものは、常に自分なのである。

自分が何を持っていて、それでどう戦えるか。自分が持ち合わせている大切なものを見れば、そこから突破口も見えてくるはずだ。(written by 鈴木傾城)

途上国の貧困に暮らす人たちであっても、彼らをよくよく観察すると面白いことが分かる。彼らは気付いていないけれども、個人的な資質から言うと、彼らは彼らなりにずっと恵まれた物を持っていると思うことがあるのだ。

関連記事

 

◆インドでは「1ヶ月のレンタル妻」以上に衝撃的な闇がある

彼女たちが夢を持って成功をつかんでくれたら私は夜も眠れないほど嬉しい

この記事のツイッター投稿はこちらです

この記事を気に入って下さった方は、リツイートや♡(いいね)を押して頂ければ励みになります。

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

一般カテゴリの最新記事