最近、ある30代の人から「スワイパー全盛期のカンボジアを見てみたかった」と言われた。今の20代や30代は、1990年代後半や2000年代初頭の時代はそれこそ赤ん坊だとか小学校だったわけで、あの無法地帯のカンボジアのことなど「歴史」だろう。
私自身は、あの時代がつい昨日のことのように思い出せるのだが、よくよく考えてみたら、もう25年ちかく昔の話でもある。
今はなきラピュータ出版から『ブラックアジア(売春地帯をさまよい歩いた日々)』を出版したのが2013年12月だったが、この本はタイ・カンボジアの売春地帯の2000年前後の時代を扱っている。
まさにこの時代のカンボジアといえば、1990年代後半から2003年頃までは東南アジアで、もっとも注目された暗黒のエリアだった。
首都プノンペンだけでも、スワイパー、トゥールコック(70ストリート)、63ストリート、ボーディン(モーディン)と4ヶ所に大きな売春宿が固まる場所が存在して、その他にも街中に売春宿が散らばっていた。
その理由は言うまでもない。貧困がこの国を覆い尽くしていたのだ。カンボジアは1970年後半を狂気のポルポト派に支配されて、民族大虐殺が引き起こされていた国だった。
その後もポルポトの一派はカンボジア西部のパイリン地区を支配して内戦状態が続き、それがやっと落ち着いたのが1990年代だった。1993年に平和は戻ったが、国民は何も持っていなかった。この1993年については、カメラマンの市来豊氏が『カンボジア1993写真集』を世に出している。
カンボジアは本当に貧困の国だった。だから、夜の暗闇に中で見たこともないような闇が広がっていた。この時代のカンボジアの売春地帯を克明に記した書物は、おそらく、この『ブラックアジア』だけである。
今は、もうプノンペンには巨大売春地帯は存在しない。そもそも、私は2000年くらいには、「この売春地帯は長続きしない」と考えていて、2001年にはカンボジアには行かないように決めていた。それには、大きな理由がある。